思うままに


by abdulmajid0922
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森鷗外『渋江抽斎』風の歴史小説技法を取り入れた本書は、下巻にその趣が著しい。

豊臣秀吉に仕えた前野将右衛門という、妻以外の美しい女性に襲われ、それと別に襲われ未遂もあった、死ぬまで女性に恵まれた男が主人公。

本小説の擱筆後、現地木曽川の川原に腰を下ろし本書に登場した前野将右衛門、その妻あゆ、蜂須賀小六、お市の方、吉乃......を偲ばれたという著者を思う読者は時空を超えて清冽な木曽川と深い河ガンジス川とが重なるのです。

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主人公、将右衛門の一生は最後の最後まで女性の香りが失せることのない殿方が羨む素敵な人生でした。


妻「あゆ」には生涯にわたって常に愛し続けるよう躾けられつつ、思わずゴクリと唾を飲むほどの美貌の「吉乃」に恋をする。


春の小川のほとりで草花を摘みながらあかるく笑っていた信長さまのお妹、少女の頃からの「お市さま」を存じ上げ、

孫六兼元の刀に♩会いたさ、見たさに怖さを忘れ「吉乃」に似た美女「お栄」に会ってしまう。


死を前にして、闇の遠くから聞こえてきた大変な美女であります「鶴」の可憐な唇から流れる闇笛の音に包まれるようにして生涯を終えた男。


♩うさぎ追いし伊木山
♩こぶな釣りし木曽川
思い出すは「あゆ」「吉乃」「お栄」.....
多くのものに支えられて生きた幸福な男、オペラ・ブッファにできそうな
将右衛門の物語です。


父親の墓と並んで、雑司ヶ谷墓地に眠る永井荷風は織田信長の母の実家、土田家の子孫であったと、大変に興味深い事実を知ることができました。


『男の一生』 遠藤周作 著 
1991年 日本経済新聞社


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# by abdulmajid0922 | 2017-11-14 14:56 | Comments(0)

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『鈴木大拙 没後40年』松ヶ岡文庫 編 より

「生き仏との出会い」と題して、 出光佐三は一九六六年(昭和四十一年)七月、聖路加国際病院にて亡くなられた鈴木大拙先生との出会いを回顧されました。


生涯にわたって仙厓を愛した出光佐三。

鈴木大拙の死の十五年前のこと、
ニューヨークでの『仙厓和尚の展覧会』を開催した際に、すでに鈴木大拙はニューヨークに滞在されており、展覧会のパンフレットをご覧になり、出光佐三へ手紙を書いたのがお二人の関係の始まりでした。


これには仙厓和尚の手引きがあったと、出光佐三は感じたと書いています。


出光佐三の非常な恩人、飛田重太郎が軽井沢の別荘で重病であられる。

その別荘の隣りは鈴木大拙先生の別荘であり先生の血圧が上がり危険な状態でした。

佐三は、早速鈴木大拙先生の別荘へ伺いました。

椅子に座っておられた鈴木大拙先生の膝下に座り、先生を仰ぎ見たとき「ははア、これが仏さまだ、これが阿弥陀さまだ」と思ったのです。
.....
全くそのままの姿が、生きた仏さまでした。....,.

それは一生忘れられない立派なお顔でした。
......

「生き仏との出会い」出光佐三
初出:『大法輪』三十三巻九十号
          [昭和四十一年年九月]

KAWADE道の手帖
『鈴木大拙 没後40年』
松ヶ岡文庫 編   河出書房新社 2006年

『生き仏との出会い』が掲載されています本書は出光昭介氏の「巻頭言」ではじまり鈴木大拙、明治三年(一ハ七〇年)出生から、昭和四十一年(一九六六年)生涯を終えられるまでの業績が記されています。

一九六二年(昭和三十七年)、
ニコニコ笑顔の鈴木大拙(九十二歳)と出光佐三(七十七歳)が東慶寺境内を歩く貴重な写真が掲載されています。

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画:仙厓義梵筆『双鶴画賛』出光美術館


佐三の死の一か月ほど前のことでした。

戦後の苦しい時に手放した『双鶴画賛』が古美術商により再び出光佐三の手元に巡ってまいりました。


出光佐三(1885-1981)
鈴木大拙(1870-1966)


お二人とも、神奈川県鎌倉市 
鈴木大拙が住まいとしておられた松ヶ岡文庫がある松岡山東慶寺の墓地に眠っておられます。
(合掌)


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# by abdulmajid0922 | 2017-11-01 10:34 | Comments(0)
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『鈴木大拙 没後40年』
松ヶ岡文庫編
河出書房新社 2006年 より


鈴木大拙を語るに、本書では4人の方々がポール・ケーラスに触れています。


1「巻頭言」出光昭介
.....米国ではポール・ケーラス博士が宗演の話を聞き「ゴスペル・オブ・ブッダ」を書く。

大拙は送られて来た本の翻訳をする。

その後ケーラスが老子の「道徳経」を英訳するのを手伝いに宗演老師の勧めで渡米する。



2「無限への憧れ 」構成:安藤礼二
.....ケーラスがその地で模索していたのは、なによりも宗教と科学の調和であった。

鈴木大拙が語る「私の履歴書」
......へゲラー氏というのは.....ポール・ケーラスを出版社の編集長に招き...仏教は科学的な教えであるというので万国宗教会議の時に宗演老師などをラサールに招待したのが縁で、老師の紹介で、わしはオープン・コート出版社に働くことに....。


3「若き大拙と科学問題」金子 務
西欧の個人主義と科学

......大拙は初めて、明治三〇年、世紀末の機械文明国アメリカに渡り、イリノイ州ラサールのポール・ケーラスが関係するオープン・コート出版社に勤めながら、翻訳や仏教の普及、新知識の吸収に務めた。


4 「鈴木大拙論」増谷文雄
国際関係のはじまり

.....シカゴにポール・ケーラスというドイツ出身のイギリス人が住んでおりました。

.....老子に興味を持ったようで「老子道徳経」の翻訳をまずやりかかった。
それからそのつぎは、The Gospel of Buddha 「仏陀の福音」を書きました。

これはひじょうに広く読まれました。
日本に翻訳が二つありますが、その一つは、鈴木大拙その人の翻訳であります。

......
ポール・ケーラスと一緒にオープン・コートの仕事をずっとつづけられること、十一年に及びます。



ポール・ケーラスを語らぬわけにはいかないほど、鈴木大拙とは切っても切れぬ関係であったことが理解できます。


ポール・ケーラスといえば、
"Karma : a story of Early Buddhism" 
1894年(明治27年) 雑誌「オープン・コート」に発表。42歳


ポール・ケーラスが発表した同年にトルストイ伯爵がこれをロシア語に翻訳して『カルマ』の作品名でロシア国内に発表しました。


"Karma : a story of Early Buddhism" を、
1898年(明治31年) 28歳の鈴木大拙が邦訳したのが『因果の小車』。

この中に“THE SPIDER WEB”(蜘蛛の糸)の話があるのです。
("Karma : a story of Early Buddhism" 
インターネットで確認することが出来ます)


1918年(大正7年)
27歳の芥川龍之介は『蜘蛛の糸』と題して発表しました。


この仏教小話『蜘蛛の糸』はロシアの一部の地方の民話にあり取材先のお婆さんから聞いた話だとして、すでにドストエフスキーは
1880年に刊行された『カラマーゾフの兄弟』の中でグルーシェンカのたとえ話「ねぎ」に書かれています。



地球のどこで暮らしていても、人種、宗教を超越して、
人間が心を動かし、感動することは一緒なのだとつくづく思う次第であります。


Paul Carus
ポール・ケーラス(1852-1919)

D.T.Suzuki
鈴木大拙(1870-1966)


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# by abdulmajid0922 | 2017-10-26 21:58 | Comments(0)


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安政六年(1859年) アメリカでは、ペンシルヴァニア州で本格的な石油採掘が行われた。

それにより「鯨油」を燃やしてランプを灯していた時代から「灯油」を燃やしてランプを灯すというアメリカ人の暮らしが変わったことが本書で描かれており、「鯨油」という言葉から昔の昔に読んだハーマン・メルヴィル著『白鯨』(1852年)を思い出し、痛快な気持ちで読み進むことができました。

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鐡造は腹をくくって「四千万円」と言った。

〈読書は、ここでページをめくります

次のページの第一行

読者にえっと言わせるこの技法は、
著者の捧腹絶倒作品 『幸福な生活』で一度味わいましたので、尚更滑稽でした。〉

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《日章丸》
日章丸はインド洋からアラビア海に向けて北上していた。

鐡造の檄文を読み終えた後、新田船長に
大塚一等航海士が言った。

「船長、一言、申し上げたいことがあります」
という下りがあります。

一等航海士が船長にはっきり物申す姿勢はハーマン・メルヴィル著『白鯨』に登場するスターバック一等航海士をふと思い出した。


トランプ大統領はイランへさらに制裁をかけるとTVニュースが報道する今日です。

本書はイランとアメリカとの不仲の原因がはっきり描かれており、
イランがなぜ日本に好意的なのか、よくわかり、とても勉強になりました。


ただの痛快娯楽小説じゃないことに感動し、インターネットで仙厓《双鶴画賛》を凝視し、ほのぼのと幸せな気持ちに浸っております。



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# by abdulmajid0922 | 2017-10-19 10:07 | Comments(0)
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安定感のある水差しに均衡のとれた配置で躍動する葉と薫り立つような八重咲きのキョウチクトウの花が生けられている。

エミール・ゾラの小説『生きる歓び
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《夾竹桃と本のある静物》拡大

(ÉmileZola La joie de vivre)を卓の端にわざわざ不安定に配置したゴッホの心理を想像する観覧者の頭の中には勝手な物語が生まれてくるのです。

《Oleanders》
《Still life:Vase with Oleanders and Book s》Vincent Willem van Gogh
《ひまわり》を描き終えた後に続く1888年8月アルルでの作品です。

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北海道立近代美術館前庭にて、酒樽に設えた夾竹桃に八重咲きの桃のような花が咲いています。

キョウチクトウ/夾竹桃
キョウチクトウ科・キョウチクトウ属

学名/Nerium oleander var. indicum

和名/西洋夾竹桃

原産地/地中海沿岸〜インド〜中国南部

花言葉/用心、油断しない......

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日本初公開《夾竹桃と本のある静物》

1888年5月にアルルの黄色い家に住み始めたゴッホから弟テオへの手紙〜

「....ぼくはまた、門の前に樽植えにして夾竹桃を二本、植えようと思っている」(書簡540/763)
(図録より)

本展覧会の関係者の意気込みが十分に伝わる素敵な演出です。


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日本初公開
フィンセント・ファン・ゴッホ
《夾竹桃と本のある静物》1888年
油彩/カンヴァス 60.3×73.7cm
メトロポリタン美術館蔵



『Van Gogh & Japan
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』

北海道立近代美術館にて公開中〜10/15/2017迄


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# by abdulmajid0922 | 2017-08-31 12:26 | Comments(0)
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オリジナルは江戸の浮世絵師、
渓斎英泉《雲龍打掛の花魁》
大判錦絵竪二枚続 73.1cm×25.8cm
千葉市美術館

雑誌「パリ・イリュストレ」1886年5月「日本特集 45号・46号 」の
表紙に掲載された浮世絵を見て、ゴッホはグリッドを使い拡大して仕上げました。
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19世紀フランスにおいて、娼婦はしばしば鶴や蛙と呼ばれました。

ゴッホは偶然ではなく、その意味を理解して描いています。

花魁の周りに描かれた動植物はすべて他の浮世絵からの借用です。(Google Arts & Culture)


『Van Gogh & Japan
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』

展覧会場では、ゴッホが引用した丹頂と蛙とが描かれているオリジナルを展示しています。

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(Wikipedia)

《タンギー爺さん》
Le Pere Tanguy 1887年
油彩/カンヴァス 92cm×75cm
ロダン美術館

《花魁(渓斎英泉による)》が背景の右に描かれています。

『Van Gogh & Japan
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』

展覧会場では、奥山儀八郎の複製
『ゴッホ作 《タンギー爺さん》による版画』1952年
が展示されています。

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『Van Gogh & Japan
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』
北海道立近代美術館〜2017年10月15日迄

展覧会場は、
青い上着を点描技法で描き上げた 《画家としての自画像》1887年から始まり、
次に並ぶ作品は観覧者にはサプライズ企画です.......。

《ポプラ林の中の二人》1890年で終わる素晴らしい展覧会です。




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# by abdulmajid0922 | 2017-08-26 11:40 | Comments(0)
録音テープ発見者の筆による、本書の発刊に至るメイキングを披露した「あとがき」がいい。

発見者が平岡家に宛てた録音テープの内容を公にすることの許可を乞う、思いっきり歯の浮くような美辞麗句を連ねたファンレターが圧巻である。


業界のプロフェッショナルである発見者の超絶技巧の熱い、熱い情を込めた思いに平岡家の遺族は胸を打たれたのであろう。

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TBS ヴィンテージ クラシックス 編
講談社


果たして、
録音テープに残されていた対談の三島由紀夫の肉声が活字になり、表紙には三島さんの精悍な面持ちの写真を用いて立派な単行本として出版された。


発見者の達成感に満ち溢れた北叟笑むようすが目に浮かぶ。


社内ミッションの任務遂行中にこの録音テープを発見したときの彼の雀躍りした姿を読者は想像に難くない。

業界のプロフェッショナルである発見者の脳裏に燦爛とひらめいたひとことを読書は想像に難くない。

「これは売れるッ!」

録音テープの対談を活字にしただけでは書店に並べたとき見た目の商品としては弱い。

検討した結果、
対談の内容を考慮して『太陽と鉄』を付録につけてページを増やすとこの定価がとれる。


買う方も、買う方だよと

泉下の三島由紀夫は例の如く呵呵大笑しておられよう。


本書の商品化の実現に至った発見者はさぞかし呵呵大笑しておられよう。


本書のあとがきに、三島家、三島家とあるが頭の中で平岡家と修正して読了せし。


『癩王のテラス』を引用すれば、

三島由紀夫の肉体は滅びても、三島由紀夫の精神こそずっと商品となり永遠なのだ。青春こそ不死なのだ。



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# by abdulmajid0922 | 2017-08-17 10:31 | Comments(0)
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近藤博重 《リスボン郊外》
油彩/カンヴァス 45cm×53cm
設置場所:札幌医科大学附属病院

風の音と潮騒が聞こえそうで、
アニメ映画のワンカットを見るようです。

空と海の神経を張り詰める強烈な青さが観覧者の心にぐっと突き刺さる。

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空より、海の青さの描き方がとても複雑に色を重ねていることがよくわかります。

襟裳岬でもない、積丹半島でもない、
遠い遠いポルトガルのリスボンの海岸を描いたこの異国情緒あふれる風景画は見る者に心地よい夢を見させてくれる作品です。
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# by abdulmajid0922 | 2017-08-02 11:15 | Comments(0)
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《Berchtesgaden・
SanktBartholomä》
《聖バルトロメ・ケーニッヒゼー》 佐々木幸雄 筆
油彩/カンヴァス 65×31cm

南ドイツ バイエルン州 ベルヒテスガーデン国立公園に屹立する Watzmann ヴァッツマン山と Königssee ケーニヒス湖(王の湖)に浮かんでいるような構図の赤い屋根の聖バルトロメ僧院。


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絵本の中に入ったようなドイツ・アルペン街道の一部です。

観光客の大勢訪れていることがわかります。

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《Berchtesgaden・
SanktBartholomä》
ドイツ語のヒゲ文字で作品名がカンヴァスの下部に記しています。

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落款 佐々木幸雄先生 雅号 「労多産翁」

第17回 札幌医科大学美術部
イリス会OBと仲間展
さいとうギャラリー
2017年7月4日〜7月9日

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# by abdulmajid0922 | 2017-07-12 10:00 | Comments(0)
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ウィーン自然史博物館でハプスブルグ家のコレクションの中から見つけたふくろうが著者の目を釘付けにした。

兄思いの弟、著者が三十七歳からふくろうを意識して、蒐集した膨大な数の写真集。

この本は、ふくろうのデザイナーへのプレゼンになること間違いなしです。

ふくろうの意味するところは、賢者のしるし。

増殖するふくろうを見据え世界を睥睨し、皇帝を夢みる著者は、自らの強い意志で日常的なストレスを解放していたのではないか。

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ページをめくるうち次第に著者のふくろうへの執着、気迫が伝わり魔界に引き込まれる怖さを感じ、本を閉じました。
なぜかというと、
北海道立近代美術館の向かいに、カエルのフィギュアの蒐集家が経営する喫茶店があります。

卍巴に数え切れないほどのカエルを展示して、備品には昔見た入院患者が病室で使用していた透明なガラス製の吸い飲みがいくつも目に付きます。

頭に浮かぶは鏡花の高野聖。

あまつさえ
商品を作る人、運ぶ人、皆女性です。

笑顔のない黒髪の長い六条御息所がもってきた珈琲は果たして口にしていいのか。

彼女の生き霊と全身カエルとにまみれて死にはしないか。

悪夢を見るような店なので、そこへは生涯二度と足を踏み入れないと心したことを思い出したからです。

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私のマニアック読本③『世界の街角のふくろう工芸品と装飾品』
TAKE FREE で会場に観覧者のためにご用意して下さった記念の本です。

ありがとうございます!

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近藤博重 筆
《牛豚君、溺愛されるも限りあり》
油彩/カンヴァス 50号


第17回 札幌医科大学美術部
イリス会OBと仲間展
さいとうギャラリー
2017年7月4日〜7月9日


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# by abdulmajid0922 | 2017-07-09 10:41 | Comments(0)
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文中.....
医学部では一学年違えば、雲の上と下くらいに精神的差があり、我々、最上級生はその頂点に存在することを自覚しはじめた。
.....

胸部外科和田教授と整形外科渡辺講師の話は真剣に聴いていた。
.....

7ページに亘り、和田教授による「我が国初の心臓移植」に触れ、ポルノ作家風の渡辺淳一の札幌医科大学を追われた話題をジョン・ミルトンの『失楽園』を引用して読者を楽しませるなかなかの妙技である。BRAVO!
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〈愛しき野良猫〉では14ページを割いて猫特集を組んでいます。

圧巻は
最後の章〈ふくろうに迷い込んで〉では
63ページに及び著者の蒐集した「ふくろう」のフィギュアの写真を親が我が子を自慢するようにたっぷりと掲載しているのです。

読者は途中でもう、ふくろうは辟易。
もう充分です。 お腹いっぱいになりました。(呵呵)
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改訂 近藤博重 マニアック読本①
『マカオカジノ戦記』(裏表紙)


札幌医科大学美術部に在籍されていました著者直筆のタブローがあります。

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近藤博重 筆《牛豚君、溺愛されるも限りあり》油彩/カンヴァス 50号

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近藤博重 筆《能登にて》
油彩/カンヴァス 30号


第17回 札幌医科大学美術部
イリス会OBと仲間展
2017年7月4日〜7月9日
さいとうギャラリー


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# by abdulmajid0922 | 2017-07-07 10:56 | Comments(0)
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入り口から真正面の一気に目を惹く
幸治敏興《天上大風》
油彩/カンヴァス 60号×2

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ルネサンス期のトンドを髣髴する円形の作品は、
佐々木 幸雄 《花の宴会》
油彩/28cmφ
特に蝶々の写実が、ため息のでるほど見事に緻密なのです。

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ポスターに使用された
千葉 靖男 《秋の賑わい》
油彩/カンヴァス 15号


第17回 札幌医科大学美術部
イリス会OBと仲間展
2017年7月4日〜7月9日
さいとうギャラリー





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# by abdulmajid0922 | 2017-07-06 11:42 | Comments(0)
むかし、むかしの西暦1503-1504年のこと、ヴェッキオ宮殿(現フィレンツェ市庁舎)大会議室(500人大広間)の壁に、
レオナルド・ダ・ヴィンチがフィレンツェ軍とミラノ軍との『アンギアーリの戦い』1440年、

ミケランジェロがフィレンツェ軍とピサ軍との『カッシーナの戦い』1364年を描くよう、
1501年にフィレンツェの終身国家主席に選ばれたピエロ・ソデリーニに制作を依頼されました。

ソデリーニは先にミケランジェロに《ダヴィデ》を制作させています。


ミケランジェロの弟子ジョルジョ・ヴァザーリがダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』の前面に新たに壁を作って製作したと考えられているフレスコ画《マルチャーノ・デッラ・キアーラの戦い》です。


現在では、ジョルジョ・ヴァザーリのフレスコ画が描かれた壁は二重構造になっており、この壁の裏にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた未完の油彩壁画《アンギアーリの戦い》が隠されている可能性があると考えられています。

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画像:(Google Arts & Culture)

ジョルジョ・ヴァザーリ 《The Battle of Marciano in Val di Chiana》

《La Battaglia di Marciano della Chiana》

《マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い》

フレスコ画 760cm×1300cm
1570-1571 ヴェッキオ宮殿

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《マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い》部分

フィレンツェ軍旗に書かれた"CERCA TROVA"「探せ、さすれば見つかる」と記されています。

絵の中にヴァザーリは後世の人々に謎をかけたように、意味深な言葉を残し学者、研究者は今尚、雀躍りして真相究明をしているのです。

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《マルチャーノの戦い》には、左手前の馬、中央の白馬の動き等、随所に《タヴォラ・ドーリア》をお手本にしていることが見えるのです。

《タヴォラ・ドーリア》に描かれた白馬の右下の兵士のポーズをもヴァザーリは踏襲しています。

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《タヴォラ・ドーリア》部分


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《タヴォラ・ドーリア》(ドーリア家の板絵)
ポプラ板/油彩・テンペラ
85.5cm×115.5cm 16世紀 作者不詳
Galleria degli Uffizi蔵(2012年 東京富士美術館の寄贈による)
〈1580年に竣工したウフィツィ美術館はジョルジョ・ヴァザーリの設計です〉


《タヴォラ・ドーリア》とは、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた
1440年のミラノ軍とフィレンツェ軍との戦い《アンギアーリの戦い》の中心的な部分の軍旗争奪戦を模写した作品です。

かつてない、人馬の苛烈を極めた戦闘描写は、後世の画家たちが描く戦争絵画の嚆矢となりました。


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三菱一号館美術館にて、
レオナルドXミケランジェロ展 が開催されています。
2017年6月17日〜9月24日
(日本経済新聞 2017年6月17日)

両者の作品どちらが、どちらの絵かわからぬほどいずれも、官能を呼び起こさぬわけにはおかない、ため息つく美しさです。

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道近美の展覧会にても
レオナルド・ダ・ヴィンチ
《少女の頭部/《岩窟の聖母》天使のための習作》(ファクシミリ版・東京富士美術館)


《岩窟の聖母》

の複製を展示してあります。
(図録にはどちらも掲載されていません)


レオナルド・ダ・ヴィンチと
「アンギアーリの戦い」展
〜日本初公開「タヴォラ・ドーリア」の謎

北海道立近代美術館〜2017年8月15日迄


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# by abdulmajid0922 | 2017-06-25 12:02 | Comments(0)
夏目漱石『こゝろ』1914年大正3年刊行

上 先生と私

....私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。

私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴れていたからである。

その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否や、すぐ私の注意を惹いた。.....

彼は我々の穿く猿股一つの外何物も肌に着けていなかった。....

猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。

.....翌日もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋まで出かけてみた。

すると西洋人は来ないで先生一人麦藁帽を被ってやって来た。
........
(青空文庫)


鎌倉で「私」が一目惚れした「先生」と一緒に海水浴をしていた西洋人のモデル、セルゲイ・エリセーエフ
Sergei Grigorievich Eliseev(1889-1975)の実家は、

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』〔1881年・明治14年刊行〕では、二ヶ所に書かれています豪商「エリセーエフ兄弟商会」です。


1 : 父親フョードルが僧院長の食堂に入って来た場面です。

第ニ編 場ちがいな会合

ハ 大騒ぎ

「....ここじゃどんなご馳走をこしらえているんです?」と言って彼は食卓に近づいた。

「ファクトリイの古いポートワインにエリセーエフ兄弟商会の蜂蜜酒か、やあ、こいつは驚いた! ....これはまただいぶ酒びんを並べましたなあ、へ、へ、へ!
ところで、だれがこういうものをここへ持ってきたと思います? ロシヤの百姓ですぜ、....
神父さん方、あなた方はまさに民衆の生き血を吸っているんだ!」.......



2 : 小一時間ほどほんとうに心からドミートリイを愛したことがあるというグルーシェンカに会うために、血まみれになって手に入れた札たばを持ってプロートニコフ商店に大量のシャンパンと食料品を注文する長男ドミートリイ.....

第八編 ミーチャ

五 とっさの決心

プロートニコフ商店は.....
金持ちの商人たちが協同で経営している、.....
首都の店にあるものならなんでも、どんな食料雑貨品でもあった。

『エリセーエフ兄弟商会元詰め』の酒類、果物類、葉巻き、茶、砂糖、コーヒー等、なんでもあった。......


(豪華版 世界文学全集ー15
ドストエフスキイ『カラマーゾフ兄弟』 1976年 講談社 北垣信行訳 より)

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画像:
東京大学の舊加賀藩上屋敷育徳園心字池
(三四郎池)


夏目漱石『三四郎』(1908年明治41年)で、
三四郎を一目見た美禰子が池のほとりを歩きながら、嗅いでいた白い花をわざわざ三四郎の前に落とし、その場を去ったあとに三四郎は本能に突き動かされたように拾い、匂いを嗅ぐ官能的な描写があった「三四郎池」のほとりにて


1908年明治41年-1912年明治45年、
セルゲイ・エリセーエフは東京帝国大学国文科に在籍しました。


セルゲイ・エリセーエフにまつわるエピソードがここにあります

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画像:
司馬遼太郎『街道をゆく』36 1992年刊
本所深川散歩、神田界隈

神田界隈

英雄たち

.....漱石門下だった白系ロシア人エリセーエフの逸話がおもいだされる。

欧米における日本学の草わけだったセルゲイ・グリゴリエヴィッチ・エリセーエフ(一八八九〜一九七三) のことである。

.....米軍による日本本土への爆撃がはじまったとき、エリセーエフ教授はマックアーサー将軍に進言して、神田の神保町を目標から除外するよう忠告したといわれているのである。

むろん証拠はない。
.....

紙を切り抜いたようにそこだけが焼けのこった。

エリセーエフ教授の進言によるものかどうかはべつとして、意図的だったと想像できる。

倉田保雄氏の『エリセーエフの生涯』(中公新書)によると、エリセーエフ自身、そんなことをいったことがないらしいが、フランスの日本学者のあいだでは常識のようになっているという。
.......



1973年 The Japan Foundation Awards(国際交流基金賞) 初めての外国人、セルゲイ・エリセーエフに授与されました。


ロシアで、フランスで、アメリカで「日本学」を教育したセルゲイ・エリセーエフの存在が今日、まったく人口に膾炙されないことは遺憾に存じます。


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1961年から1966年まで駐日米大使を務められたエドウィン・O・ライシャワーが残した本があります。


『ライシャワー自伝
MY LIFE BETWEEN JAPAN AND AMERICA 』

エドウィン・O・ライシャワー著
徳岡孝夫 訳  1987年 文芸春秋

本書はじめの謝辞では、
生涯をかけた仕事に参加してくれた何百、何千もの人々に深い感謝を捧げつつ極めて大きい役割を果たした人として
セルゲイ・エリセーエフの名を挙げています。



エリセーエフがハーヴァードに来たおかげでライシャワーは日本学を学ぶことができたのです。


ライシャワーは回顧します
....
ハーヴァード大学での二年目、思いがけない出来事により私の人生ははるかに明確で野心的な方向へと進むことになった。
それはセルゲイ・エリセーエフの登場である。.....


.....アメリカにおける「日本学の父」を求めるなら、それはエリセーエフをおいて他にないと思う。


...,..教師として献身的、生徒には刺激的だったエリセーエフは、私がかつて知った中で最も魅力的な人物でもあった。


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# by abdulmajid0922 | 2017-06-24 13:42 | Comments(0)
スコトプリゴーニエフスクの自宅で
長男ドミートリイの殴打を受けた
父親フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフは、三男アリョーシャに言った「鏡を取ってくれ」......

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』北垣信行訳の文章から、
三島由紀夫『鏡子の家』に登場する男も母親に同じことを言っていたと記憶が瞬時に蘇り、調べた。

すると、シェイクスピアまで遡ってしまった。

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画像 : 1947年ロシアで作出された、八重咲きのライラック
“クラサヴィトゥサ・モスクヴィ”(モスクワの美しさ)
Krasavitsa Moskvy (Beauty of Moscow)

作出者:Leonid Alekseevich Kolesnikov

五月の 札幌市中央区大通公園西12丁目 にて



シェイクスピア

『リチャード二世』1595年

第四幕

第一場 ロンドン、ウェストミンスター大会堂

王リチャード:
.....もうお前の陛下ではない、傲慢な無礼者め、誰の陛下でもない.....

仮にまだ私の言葉がイングランドで通用するなら、すぐに鏡を持ってこいと命じさせよう、私がどんな顔をしているか映してみたい、王の威厳が破産した顔を。

ボリングブルック:
誰か、鏡を取ってこい。
......

王リチャード:
(従者が鏡を持って登場)

その鏡をよこせ、中身を読んでみよう。
(鏡を受け取る)

まだ深い皺はないのか? 悲しみが私のこの顔に無数の打撃を加えたというのに、深い皺はつけなかったのか?
ああ、おべっか使いの鏡め、
私が栄華を極めていたころの臣下たちと同じだ、お前は私を騙している。

これが毎日宮殿の屋根の下に、一万もの人間を抱えていた顔か?
これが、太陽のように仰ぎ見る者をまぶしがらせた鏡か?
この顔に輝くのは脆い栄光ー
この顔も栄光のように脆い!
(鏡を床に叩きつけ、粉々にする)
な、ご覧の通りだ、粉々に砕けてしまった。

聞け、沈黙の王、このごっこ遊びの教訓は、悲しみが私の顔を砕くのはあっという間ということだ。

ボリングブルック:
あなたの悲しみの影があなたの顔の影を砕いたのだ。.....
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画像:
(リチャード二世 シェイクスピア全集26
松岡和子訳 ちくま文庫)



『ジュリアス・シーザー』1599年

第一幕 第二場

キャシアス:
だからこそ、だれしもが嘆いているのだ。ブルータスには、そういう鏡がないことを。

鏡に映して、君の隠れた真価を、君自身の目に明らかに見せる影がないことを。.....

ブルータス:
どんな危険に私を引き込もうというのだ、キャシアス。

私自身の心の裡を覗き込み、ありもしないものを探し出せとでもいうつもりか。

キャシアス:
だからこそ、ブルータスよく聞いてくれと言っているのだ。

君もたった今、認めたとおり 、自身の姿は、自分自身の目には見えぬ、鏡に映して見るしかない。

だから、おれが、君の、鏡になろう。

君自身もまだ知らぬ、君自身の心の奥を、君自身の目に、ありのままに見せてやろう。..,,..

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画像:
(ジュリアス・シーザー シェイクスピア
安西徹雄訳 光文社古典新訳文庫)



『リア王』1606年

五幕三場

リア、コーディリアの亡骸を両腕に抱いて登場。
後を追って、先程の兵士。


リア:
哭け。哭け。哭け!貴様ら、石か。

声はないのか。目はないのか。声があるなら、なぜ哭かぬ、天空も破れて崩れ落ちるまで。

死んでしもうた。

死んでしもうた。

(亡骸を降ろし)生きておる者と、死んだ者の区別くらい、わしにもつく。死んでおる。

土くされながら、死んで、動かぬ。

鏡をくれ。

息で曇れば、もしもそうなら、生きておるのだ。......

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画像:
(リア王 シェイクスピア 安西徹雄訳
光文社古典新訳文庫)



ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』1881年

長男ドミートリイに殴打され、顔が血まみれになった父親フョードルは一時間ほどして、ふと目をあけるとアリョーシャを見つめて.....

第一部

第三編 淫蕩な人たち

九 淫蕩な人たち

......「鏡を取ってくれ、ほら、そこに立ててあるだろう、取ってくれ」

アリョーシャは、箪笥の上に立ててあった小さな折りたたみ式の丸鏡を取ってやった。

老人は鏡をのぞいた。

鼻が相当ひどく腫れあがり、額の、左の眉の上にかなり目立つ紫色のあざができていた。......

(豪華版 世界文学全集 14
ドストエフスキイ『カラマーゾフ兄弟』
北垣信行訳 講談社 1976)



三島由紀夫『鏡子の家』1959年

母親の経営する喫茶店アカシヤ
で、いつも母親の借金の催促にくる愚連隊の男に顔を散々殴られた舟木収は.....

第二部

第六章

....そこでは、床にひざまづいて、顔を珈琲に隈取られたまま、母親が倒れた息子の足に抱きついて泣いてゐた。

しかし息子が一等先に母親に頼んだのは、鏡を持つてきてくれ、といふことであった。

(決定版 三島由紀夫全集 7 新潮社)


1985年の映画『Mishima: A Life In Four Chapters』
監督:ポール・シュレイダー

沢田研二演ずる舟木収は、男に殴られて床に倒れたまま身体をくねらせ、あらかじめ携帯していた鏡を無言でズボンの後ろポケットから取り出して、自分の傷つけられた顔を確認した。

三島由紀夫の原作どおり、『鏡子の家』の「鏡」の描写は、ポール・シュレイダーにとり重要な場面であったということです。


シェイクスピアの考案した小道具「鏡」、「鏡を取ってくれ」の台詞が時空を超えて、少なくともロシア、日本の文学者によって継承されていました。





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# by abdulmajid0922 | 2017-06-16 15:20 | Comments(0)
『カラマーゾフの兄弟』より

第七編 アリョーシャ

三 ねぎ

.....これはわたしがまだ子供だった頃に、いまうちで台所の仕事をしているうちのマトリョーナから聞いた話なんだけどね、それはこういう話なの。

『昔々ある所にそれこそひどく性悪な女がいて、それが死んだのよ。

そしてその女は生きているあいだになにひとついいことをしなかったものだから、鬼どもにつかまって、火の海へ投げこまれてしまったわけなの。

その女の守護天使は、なにかその女のしたよい行ないを思い出して神さまに言上できないものだろうかと、じっと立って考えているうちに、ふと思いだして、神さまにこう申しあげたんだって。

『あの女は野菜畑で葱を一本引きぬいて、女乞食に恵んでやったことがあります』
ってね。

すると、
『お前はその例の葱を取って、海のなかにいるその女にさしのべてやり、それにつかまらせて引きあげてやるがよい、そしてその女が海から引きあげられたら、天国へ行かせるがよい。
が、もし葱が切れてしまったら、女はいまいる所にそのままのこらなければならんぞ』
という神さまのご返事があったの。

そこで天使はその女のところヘ駆けつけて、葱をさしのべて、
『さあ、お前、これにつかまりなさい、引きあげてやるから』
とこう言ったんだって。

そして女をそろそろ引きあげにかかって、いよいよもうすっかり引っぱりあげられそうになったとき、海にいたほかの罪びとどもが、その女が引きあげられようとしているのを見て、みんなしてその女にしがみついて自分たちもいっしょに引きあげてもらおうとしたんだって。

ところが、その女はひどく性悪な女だったものだから、
『引っぱりあげてもらっているのはわたしで、お前たちじゃないよ、これはわたしの葱で、お前たちのじゃないじゃないか』
と言って、みんなを両足で蹴落としにかかったの。

すると、そう言ったとたんに葱がぷつりと切れて、その女は海へ落ちてしまい、いまだにそこで燃えているんだってさ。

そして天使は泣いてその場を立ち去ったんだって』

これがそのたとえ話でね、アリョーシャ、わたしこれをそらで覚えているのよ、だってわたしがその性悪な女なんだもの。.,,,.



(豪華版 世界文学全集ー14
ドストエフスキイ『カラマーゾフ兄弟』1976年 講談社 北垣信行訳より)

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画像 : 八重咲きのライラック
"クラサヴィトゥサ モスクヴィ"
Krasavitsa Moskvy
(モスクワの美しさ)
作出者:レオニード・コレスニコフ
Leonid Alekseevich Kolesnikov

五月の札幌大通公園にて


夏目漱石と縁があった釈宗演と長きにわたり親交のあった、ポール・ケーラス
Paul Carus(1852-1919)。

彼が書いた1894年(明治27年) "Karma : a story of Early Buddhism" を原作として、

1898年に出版された鈴木大拙訳「因果の小車」の中からTHE SPIDER WEB「蜘蛛の糸」を元に、

1918年(大正7年) 『赤い鳥』創刊号に発表された小説、鈴木三重吉に言わせると「創作的再話」となる、
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の物語は、

『カラマーゾフの兄弟』でドストエフスキーがロシアの民話を題材として、グルーシェンカが三男アリョーシャに聞かせる「ねぎ」のたとえ話と内容がほぼ同じです。

『蜘蛛の糸』の中で、地獄の底でうごめいている犍陀多が「ねぎ」の中の性悪女です。


"Karma : a story of Early Buddhism" はTHE OPEN COURTに発表された直後、
1894年(明治27年)レオ・トルストイ伯爵がロシア語に翻訳し、国の人々に推薦した。

と、説明されています。
(Amazon.com:“Karma : a story of Early Buddhism" eBook Paul Carus )

この仏教小話は『カルマ』という題でトルストイ全集に収録されています。


芥川龍之介『蜘蛛の糸』の発表は1918年(大正7年)です。

1915年(大正4年)に
森田草平訳『カラマーゾフの兄弟』はすでに発刊されていました。


グルーシェンカのたとえ話は、洋の東西を問わず、宗教をも超えて、文学者たちによって民衆に流布せんがために継承されていたのです。


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# by abdulmajid0922 | 2017-06-11 10:30 | Comments(0)
2017年の春、「森友学園問題」で、大きく注目され、全社の新聞紙面を一気に賑わした「忖度」という言葉。

それは、読者へと言うより新聞社に勤める社員が知らない言葉だったからだろう。
....「忖度」とは、こういうことです.....


開闢以来、文学の最高峰
1880年(明治13年)に完成したドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』の中から、舞台はストコプリゴーニエフスクの町、
家長フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフの料理番スメルジャコーフは、尊敬する次男イワンの心を推し量り、イワンにとっては良かれと思いフョードルを殺害してしまいました。

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第十一編 兄イワン

八 三度めの、最後の面談

....「.....あなたが主犯ですよ、私はただあなたの手先で、従僕リシャールにすぎず、私はお言葉どおりにあれを遂行したにすぎないんですからね」

「遂行した? じゃ、お前が殺したのか?」イワンはぞうっとした。....

「ほんとうに、ほんとうに、あなたはいままでご存じじゃなかったんですか?」とスメルジャコーフはもう一度聞いた。

.......遺産があなたの手にはいれば、後日私に労をねぎらうことができるようになった暁には、私の余生の面倒も見て下さるでしょう、だってなんといってもあなたは私のおかげでその遺産を手に入れることができたわけですが、これがもし旦那さんがアグラフェーナさんと結婚でもなさったら、あなたにはびた一文はいらなかったわけですからね」.......

「.....あなたがどんなにおとうさんの死を熱望していらっしゃったかってこと....」

「熱望していた? 僕がそれを熱望していたと言うのか、熱望していたと?」イワンはまた歯ぎしりした。

「まちがいなく望んでおられましたよ、だからこそ同意することによってあのとき暗黙のうちにあの仕事をやってもいいとお許しになったわけじゃありませんか」

スメルジャコーフはこう言ってイワンをしっかりと見すえた。

「.....あなたはフョードルの旦那といちばん似ていらっしゃる、三人のご兄弟のうちでいちばん似ていらっしゃいますよ、精神はおんなじです」

「お前はばかじゃない」とイワン......。

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Wikiart.org

イワン・ニコラビッチ・クラムスコイ( 1837~1887)筆
『瞑想する人』
/Contemplator
/Созерцатель 1876年
油彩/カンヴァス 80.3×120cm
ロシア美術館(ウクライナ キエフ市)
Kiev National Museum of Russian Art

ドストエフスキーはスメルジャコーフの印象をクラムスコイの絵を用いて描写しました。


ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

第三編 淫蕩な人たち

六 スメルジャコーフ

.....画家のクラムスコイに『黙想にふける人』という題名の非凡な絵がある。

冬の森が描かれているのだが、....
百姓が破れほうだいの百姓外套にわらじといったかっこうで、ひとりぽつねんと立って、物思いにふけっている様子だが、何も考えているわけではなく、なにか『黙想にふけっている』のである。......

スメルジャコーフもおそらくそうした黙想する人間のひとり.....。


(豪華版 世界文学全集ー15
ドストエフスキイ『カラマーゾフ兄弟』1976年 講談社 北垣信行訳 より)

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画像 : 五月の札幌で咲く
八重咲きのライラック
"クラサヴィトゥサ モスクヴィ"
Krasavitsa Moskvy
(モスクワの美しさ)


ライラック等の古い灌木がある父親フョードルの家の隣の裏庭で運命の女グルーシェンカがやってくるのを待つ長男ドミートリイは三男アレクセイを呼び入れたのです
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# by abdulmajid0922 | 2017-06-03 10:30 | Comments(0)
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鮮烈な黄色いの花の名前は、ルピナスのようで、ルピナスでない
センダイハギ(マメ科・センダイハギ属)

別名:キバナセンダイハギ

学名:Thermopsis lupinoides   

英名:Siberian Lupin、
Russian False Yellow Lupine.


原産地:シベリア〜中国北部〜日本

花言葉:内気な恋、知性、信念....

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三出複葉の葉と強烈な黄色の花の形状で、マメ科とわかり検索すると「萩」であった。

すぐそばには、赤や白やと「牡丹」が咲いています。

ぼた餅とおはぎの季節が同時にやってきたようで、愉快な気分です。


札幌市中央区円山パールモンドールそばにて
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# by abdulmajid0922 | 2017-06-01 15:46 | Comments(0)
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』1881年(明治14年)より


第二部

第四編 激情の発作

一 フェラポント神父

フェラポント神父とオブドールスクの聖シリヴェストルのささやかな僧院から来た修道僧との会話より


「...,なにか聖霊とたえず交渉をおもちだとかいう大変なお噂が遠い国々にまでとどいておりますが?」

「飛んでくるぞ。ちょくちょくな」

「どうやって飛んでまいります?
どんな姿で?」

「小鳥になってじゃ」

「鳩の姿の聖霊でございますか?」

「聖霊だったり、精霊だったりする。

精霊は別もので、これは鳩以外の小鳥になっておりてくることもある。

あるときは燕に、あるときはかわらひわに、あるときはやまがらになっての」

「やまがらが精霊だってことがどうしておわかりになります?」

「口をきくからじゃ」

「どんなふうに口をきくんです、どんな言葉で?」

「人間の言葉でじゃ」

「あなたさまにどんなことを言います?」

「きょうはこんな知らせがあったぞ、ばかが訪ねてきて、下らんことを聞くとな。

まったくお前はいろんなことを聞くやつじゃのう」

「これはまたおそろしいお言葉で、神父さま」と言って修道僧は首をふった。
......

(豪華版 世界文学全集ー14
ドストエフスキー『カラマーゾフ兄弟』
北垣信行訳 講談社 1976年)

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画像:M.C.エッシャー
『小鳥に説法する聖フランシス』
板目木版 50.9×30.7cm 1922年
ハウステンボス美術館

偉大な苦行僧フェラポント神父へ質問する修道僧との会話から、ふと昨年展覧会で観たエッシャーの絵が浮かんだのです。

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# by abdulmajid0922 | 2017-05-28 11:18 | Comments(0)

ヤマブキ・山吹 の巻

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八重ヤマブキ
(バラ科・ヤマブキ属)

学名:Kerria japonica 'Pleniflora'

英名:Bachelor's Buttons,

Double-Flowered Japanese Rose,

Easter Rose,

Double flowered Japanese Kerria.

原産地:日本〜Korea〜中国



花言葉:気品、金運.....


強烈な日盛りの日を浴びて八重咲きのヤマブキが金色に輝いています。

花径6cm ほどです。

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一重咲きのヤマブキの花径は約3cmです。

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四弁のシロヤマブキ 花径は約4cmです。


札幌市中央区円山にて

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俵屋宗達『桜山吹図屏風』17世紀
東京国立博物館

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(部分)


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# by abdulmajid0922 | 2017-05-22 10:04 | Comments(0)
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日本文学特有の情趣豊かな美しい文章は読者を慰藉するのです。

文中より

・夜空に青い月が出ていた。

・月を見ながら、采女は胸中の寂寥を思った。

・新兵衛は縁側から月を見上げた。

「ひとは大切に思うものに出会えれば、それだけで仕合わせだと思うております」

・政家は駕籠に乗り込もうとしてふと空を見上げた。

星が降るように輝いている。


・篠は胸の中で、「生きてくださいませ、あなたー」

生きて、生き抜いてください。

それが、私にとっての幸せなのです。

あなたが生き抜いてくださるなら、私の心もあなたとともにあるはずです。

形に添う影のように、いついつまでもあなたの傍に寄り添えることでしょう。

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剣術の平山道場の四天王と言われた
坂下源之進
篠原三右衛門
榊原采女
瓜生新兵衛

一人違和感のある名前が采女である。

さては榊原采女殿LGBTであったかと、この名前に何か企みがあると思いながら、勤しんで読了したが別に仕掛けはなかった。

何故、采女という名前にされたのか解せぬ。


.....やむなく藤吾は酒を受けた。
「一杯だけですぞ」
念を押して杯に口をつけた。
それが間違いのもとだった。

唯一、ぷっと吹き出す滑稽な描写です。

夜空の星のごとく、人の世にあっては愛おしい藤吾の若さが燦然と輝きを放つのです。


登場人物たちが若かりし日々を語るとき、著者の技巧に嵌まる読者は、同化してつい昔の友達の顔を思い浮かべ郷愁に誘われ胸が熱くなり、ここに『散り椿』の滋味が増すのです。



椿のみならず、人の命のみじかくも美しい輝きを露草や螢に見出した文章があります。

『螢草』より

....露草は螢草とも言う.....

「螢はひと夏だけ輝いて生を終えます。
だからこそ、けなげで美しいのでしょうが、ひとも同じかもしれませんね」
.....。


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「五色八重散椿」
撮影日:2016年3月18日

東京都中野区を散策して都立家政駅に向かう途中、若宮の住宅街で偶然発見した「五色八重散椿」です。

速水御舟『名樹散椿』の知識がありましたので目の前に突然現れますと白昼夢を見ているのか、頭の中で頓珍漢と鳴ったようでした。
だって、一本の木に紅色、桃色、白色、それに様々な絞りが混在して咲き誇っているのですから、それは、それは現とは思えない夢見るような心地よい初体験でした。


「五色八重散椿」が咲くところをもう一ヶ所、

新宿区原町2丁目
「有島武郎旧住居跡」の記念碑裏側の敷地内に植えられています。

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速水御舟『名樹散椿』重要文化財
二曲一双 山種羙術館

葉室 麟「散り椿』の装画に使用されました。

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# by abdulmajid0922 | 2017-05-10 11:32 | Comments(0)
上野公園、神宮外苑等、都内の名所がふんだんに登場し東京都民にとっては臨場感溢れる世界が展開され、読者サービスに富む娯楽性豊かな作品です。

会話に出てくる地下鉄の千駄木駅からは、団子坂を連想し、森鷗外、夏目漱石ゆかりの地を逍遥したことを思い出しました。

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妻から

「....バカじゃないの?」と言われた夫の語りは

「....長年一緒に暮らしてると、奥さんっていうのは旦那のことがうっとうしくなるらしい。

家で大きなクシャミされるだけでも殺意覚えるって。.....

結局、結婚生活なんてどっちかが我慢して初めて成立するもんだし、とすれば、我慢なんて現代の人間が一番不得意で、できるわけないんだし、結局、.....。」


著者自前の結婚観を述べているようです。


.....男が響に抱きついてきた。


.....響は謙一郎の膝に手を置いた。


ラスト一行に本作最高の美の世界が表現されています。

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画像:所 幸則『EINSTEIN ROMANCE』

氏の写真に音をつけるなら
シド・ヴィシャスが唄う♪マイ・ウェイがよく似合う。



いつの時代にも現代語があります。

文中より

「サンドイッチ、これしか残ってなかったっすけど」

「なんすか?」

「今日は観光っすか?」


明治時代の現代語は、

夏目漱石『門』1910年(明治43年)
朝日新聞の連載小説

......
「あなたそんな所へ寝ると風邪引いてよ」と細君が注意した。

細君の言葉は東京のような、東京でないような、現代の女学生に共通な一種の調子を持っている。.....(青空文庫)

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チューリップが咲く
上野公園 東京国立博物館前の噴水広場

本館を望む左手に法隆寺宝物館があります。

撮影日:2016年1月3日 気温21℃

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吉田修一『国宝』2017年(平成29年)朝日新聞小説連載中

題字には意味深長な二つの「玉」を強調し読者には頽廃的な薫りを感じさせ、
あまつさえ文豪谷崎潤一郎が偲ばれる語り口なのでござります。

著者でさえわからぬのに読者は今後の展開を自分の好きなように勝手な想像をしてしまう。
莫迦みたい。


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# by abdulmajid0922 | 2017-05-01 11:50 | Comments(0)
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面陳された本の表紙に描かれたタチアオイの絵が気に入り手にして、著者の名前を見ては、あれこの人のもの何か読んだことがあるぞと思った。


角々しい気持ちが丸くなりそうな題名に惹かれ読了した。


後記に至って

「花新聞 Hokkaido」(北海道新聞情報サービス発行 ググると384号をもち現在は休刊とある)
に連載されたコラムの著者であったということがわかり、漸く溜飲を下げました。

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装画 川上和生

『人生という花』文中より

・花を持たせる

.....自分は素晴らしい人間だぞと喚きつづけるのは、どうみても尋常でない光景だ。.....


ここで、一言居士登場

現在はグローバルな時代、
特に外資系企業やIT企業の面接を受ける際は、自信を持って自分で自分を120点にして売り込まなければならない。

丸の内の企業面接のみならず、国内に出店している米国本社のカフェの面接でも男子、女子は自分の売り込みに真剣。

美容師の世界では自分の技量が即戦力となりどれほど貴店の役に立つこととなるのかを売り込まなければならないのです。


21世紀の労働者はブルーもホワイトも人目憚らず、自己肯定して生きなければならないのです。

自己肯定感を大いに育む時代です。


もう一枚 タチアオイの絵があります
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フランス印象派の画家、
エルネスト・クオスト が描いた
Ernest Quost(1844-1931)

《タチアオイの咲く庭》
Garden with Hollyhocks(1881-1890)
カンヴァス/油彩 44.5cm×55cm
ファン・ゴッホ美術館蔵

この絵はゴッホが賞賛し、テオが購入し所有したこともありました。

絵の裏にはクオスト直筆の言葉が書いてあるのです。

「テオ・ファン・ゴッホへ/
私の友人フィンセントが大好きだったこの絵を/
愛情を込めて/
E .クオスト」

「A Theo van Gogh / Ce tableau
qu'aime tant mon ami Vincent /
Bien amicalement / E. Quost」

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# by abdulmajid0922 | 2017-04-27 10:30 | Comments(0)


不動貯金銀行 ニコニコ倶楽部発行の雑誌『ニコニコ』(第卅五號)
1913年(大正2年)12月1日発行に掲載されました。


夏目漱石(1867-1916)と津田青楓(1889-1976)との滑稽な会話です。

ー文藝笑話ーより

夏目漱石「漱石の磁器通」


お年の加減は爭はれないもので
近頃逍遥博士は書に凝り出し西洋文學通の孤蝶氏などが机の周囲に盆栽を一杯並べて眺め入つて居るなど思ひも附かない圖だが、猫の漱石先生なども近來益々骨董好きになつた。

此の間も訪ねて來た津田春楓(つだしゅんぷう)氏を對手に近頃掛け替えになつた表慶館の繪を品評して、宗達の竹は實に巧みなものだとか、岸駒の書も案外見られるとか云つてゐたが、『君、あの下に妙な格好をした壺があつたらう、あれは實に好いね、誰れかあれをうまく模造してくれるものはないだらうか』
などゝ話してゐる内に、
『あすこに交地のものが澤山あつたが、僕は交地のものは好かない』
と云ふと春楓氏、
『先生あの壺も交地のものですよ、』

『さうぢやないだらう、全くさうかね。
イヤ、ありや別だ。
ハ....,,』




:「漱石の磁器通」:

(出典:『ニコニコ』ー第35号ー:モダン周遊)

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画像:表慶館(重要文化財)

大正天皇の御成婚記念に国民から奉納された美術館。
竣工/明治41年 設計/宮内省 片山東熊


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# by abdulmajid0922 | 2017-04-15 17:10 | Comments(0)
〈1〉
帯文『1970年11月25日。運命のあの日、 私は楯の会会員とともに警察署の取調室の中にいた。』

この後、何が書かれているのかたいへん興味を唆られた。

読んでみると......
..,記憶はぷっつり切れて....四谷署だか新宿署だかの取調室にいて、どうしてそうなったのかさっぱり記憶はない....。


まったくもって格好の悪いこと。

読者は大いなる失望である。

〈2〉
石原慎太郎は老醜を晒して、ベストセラーを出して金儲けをして醜さが余計に目につくという記述があります。


巷の女の愚痴、嫉妬、ひがみを織り交ぜた話しを聞くようで読むに堪えない。

石原慎太郎へのルサンチマンという言葉が浮かぶ。


この後随所に見られる執諄い金の話。


またかと思うほど金に苦労する物語を綴り数々の名作を残した夏目漱石を思い出します。


ふる古賀の近況が書かれており、
嬉しいエピソードがある。


〈3〉
ーあとがきーについて

烏滸がましいことではありますが、
松岡剛のみならず

徳岡孝夫著
『五衰の人ー三島由紀夫私記ー』
(1996年 文藝春秋社 第10回新潮学芸賞受賞)から

胸にぐっとくる部分があります。

当時サンデー毎日の編集次長徳岡孝夫に三島由紀夫が言うのです

...,,
「ぼくは太宰治が大嫌いだけど、これほど嫌いなのはやはり似たところがあるからなのかなあ」....


ふる古賀、ちび小賀、小川の三人は現行犯逮捕されパトカーで連行された後、
駐屯地を出ようとする徳岡孝夫の目にしたものは....文中より

.....「数人の職員がバレーボールをしているのを見たのだった。

女性が四、五人、男も一人か二人いた。

それは平和な平和な日本の、これ以上は平和であり得ない、素晴らしい景色だった。

吐き気がした。」.....

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画像:今日の札幌駅前通り方面の風景

三島由紀夫著『夏子の冒険』より

.....快晴の午前の駅前通りの靴磨きに靴を磨かせた。
午前の日はすでにやや暑かった。
札幌の靴磨きは夏のあひだ日傘のサービスをする。.....

〈4〉
『私の中の三島由紀夫』を読みながら蘇ってきた記憶がある。

すすきのでバーを経営していた頃、全国版の情報誌の取材があり顔写真がその雑誌に掲載されたあと、楯の会会員だったと云うその雑誌読者から電話があった。

その後手紙が届き、ある時は赤い褌姿の写真が届いた。

数カ月後、遠路はるばるその男は友達だという男を伴いバーにやって来た。

山ほどある質問事項を胸のうちに整理して、ご対面をとても楽しみにしていたがその男は既に酔っていた。

小柄でよかにせの酔ったその男はとろんとした目付きでまるでスクリーン上のウッディ・アレンのようによく喋った。

お国訛りは感じなかった。

初の店の不安や緊張を隠すためにひっきりなしに喋る客の型である。

そのよかにせは東京で大学時代を過ごした。

大学の先輩を好きになり、勧めれられて「楯の会」に入った。

そうしてやがて六尺褌を覚え好きになったと言う。

楯の会以外の自分の身の上話は暫く止まらなかった。

周りの客に憚かることなく自宅から携えてきたお土産をバーカウンターの上に広げた。

お土産の中にはダビングしたカセットテープが三つあった。

・三島由紀夫と徳大寺公英とがレストランで食事をしながらカシャカシャ食器の触れる音が会話と一緒に入って学生時代のことなど昔ばなしを語り合う内容のテープ。

対話の中で中村真一郎の名前が出ていました。


・『英霊の聲』から

三島由紀夫自らが朗読する
「などてすめろぎはひととなりたまひし」

・「楯の会」の合唱曲
「起て!紅の若き獅子たち」を録音したテープ。

EPレコードジャケットの写真のカラーコピーの中に写る白皙の青年ちび小賀の美形に目を瞠ったものです。

お土産はとてもありがたいものばかりだったが、質問は上手にそらし全然答えなかった九州男。

訊いたことの返事はあやふやでその男のバーから出たあとではあったが一応眉毛に唾を付けた。

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画像:今日の狸小路の風景

『夏子の冒険』より

....二人が狸小路をぶらぶら歩いて、
映画を見たり、中食を食べたりして...


紙コップのコーヒーにすっかり慣れてしまった今日。

磁器に注がれた珈琲を飲むとその価値とありがたみにすっかり感動して仕舞う今日。

青空文庫にすっかり慣れてしまった今日。

『私の中の三島由紀夫』で頁をめくりめくり超久しぶりの読書体験を楽しむ今日。


老いたる身の上
読後、『私の中の三島由紀夫』を室内で温蔵していては何の価値もないので図書館に寄贈した。

よろこんでくれる方がいるだろう。


ーENDー

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# by abdulmajid0922 | 2017-04-10 14:47 | Comments(0)
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〈1〉
プロローグの後、早速五ページから未成年層をぐっと書面に引きつける性描写。

中高生男子の読者は勃起する。果てる。

思春期の読書によっての官能的な記憶は生涯に「渉」って善きにつけ悪しきにつけ、事が起こるたび脳裏に蘇る。

この快感へ導いてくれたこの本の作者と作品名は彼らの心の中に永遠に刻まれる。

そして100年経っても書店の棚にこの本は三島由紀夫と森鷗外とのあいだに陳列されているのです。

〈2〉
プジョー205ハッチバックで
アメリカン・ロード・ムービーよろしく主人公は妻を残し東京から北海道までドライブをします。

道中、四月に於いて北海道で老人がキノコ採りに山中に入って熊に襲われ死んだというニュースをテレビで知る主人公。

馬齢を重ねて65年北海道で暮らしているが雪が融けたばかりの四月のキノコ採りは一度も聞いたことがない話しです。

〈3〉
エージェントのアドバイスからローリング・ストーンズ 1964年『Time is on my side』
俺はいつも側にいる。
おまえはいつか戻って来る。
という内容の歌を連想する主人公。

沢田研二(ザ・タイガース)が50年前にカヴァーした曲

復縁をここでほのめかしている。

著者の配慮深く、素晴らしい選曲です。


1972年発売の『ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ』

1980年発売のブルース・スプリングスティーン『ザ・リヴァー』
を懐かしむ主人公。


プジョーに乗っていた主人公。
二歳年上の友人の旧式ボルボのカセットデッキでエアチェックした一九八〇年代の音楽を聴き歓談する主人公。


「騎士団長」の表情がマーロン・ブランド、リー・マーヴィンに似ているという主人公。


団塊の世代が懐かしむ時代の音楽、映画、文化をふんだんに描いています。

主人公の年齢の設定は三十六歳。

ゆえに主人公の年齢には合点がいかない!


物語をヒット曲と共に進行する手法は、田中康夫 著 1980年『なんとなく、クリスタル』で読者はすでに経験済みである。

〈4〉
東北地方の名前も知らない小さな町のファミリー・レストランでの描写は1960年代カリフォルニアのとあるダイナーを思わせ、昔の翻訳本を読んだ感覚が蘇ります。

その夜、出会った女の描写はそれを演ずるなら若き日のナスターシャ・キンスキーかイザベラ・ロッセリーニが似合う。

免色の家で双眼鏡を使って秋川まりえが盗み見をされていたことを知る。

観察されていることを知って意識して楽しむ秋川まりえ。

こういうファムファタールを確かに昔映画で、もしくはTVドラマにありました。

たっぷりと性描写を挟まれては、長編といえどもそれに引きつられて倦むことを知らない。青少年は大喜びしてあっという間に読み終えるだろう。

辞書を必要とするような言葉、漢字をほとんど使用していません。

著者は時代を読んでいます。

主人公が描いた秋川まりえの三枚のデッサンについて....彼女を描くことは、表面ではなく中心に存在するものをつかまえる...というようなことを免色に説明をします。

この部分を読んで瞬時にある記憶が蘇りました。

こんなテキストがあります。

森鷗外著『花子』
1910年(明治43年)「三田文学」に掲載

「人の体も形が形として面白いのではありません。霊の鏡です。形の上に透き徹つて見える内の焔が面白いのです。」 

.....ロダンは云つた。(青空文庫)


たくさんの芸術、音楽家やその曲名を挙げ、歴史描写を挟み、
随所に顕れる昔の映画を回顧させる描写。

オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』をも思い浮かべてしまい、
懐かしく、懐かしく、沸き起こる記憶を蘇らせながら楽しく、楽しく読み終えました。


読後感は【独創性に欠ける】です。


読者が連想することを承知して、著者自ら『レイダース』と書き込み言い訳をしています。

地下通路は江戸川乱歩『孤島の鬼』を髣髴する。

1980年 田中康夫著『なんとなくクリスタル』のサントラ盤を思い出しながら

初めて読んだ著者の作品。

文学に弱い現代人に飽きられない手法として読者の好色におもねる度重なる性描写は、馬の鼻に人参をぶら下げたようで、何だか馬鹿にされているような気がします。

不愉快な技巧です。

ノーベル賞を与えられないのが納得出来ました。

【独創性がない】

ー以上ー

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スプリング エフェメラル
Spring ephemeral

雪が融けたばかりの北海道の四月に咲く花
クロッカスです。


東北地方の小さな町のファミリー・レストランで『阿部一族』を読む主人公。

現代人は暇があるとスマホに手が伸びるのですが、作品登場人物は主人公はもちろんのこと、妹と 主人公と二人で風穴に入っている間に本を読んでいる叔父。

秋川まりえのデッサンを待つ間に本を読んでいる叔母。

本を読むというところを頻繁に描写します。

本を読んでくれない人々に何とかして読者層を開拓するには、スポーツ新聞のアダルトページのような性描写。

てっとり早くていい方法だ。

『騎士団長殺し』
美しい十代の学校で話題になって盛り上がっていただきたい。


読者にサービスしたようなサブリミナル効果を与えるように自画自賛する主人公の語りがあります。

『騎士団長殺し』....その見事な芸術作品.....。


BRAVO!『騎士団長殺し』

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# by abdulmajid0922 | 2017-04-09 12:06 | Comments(0)

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劇団状況劇場
『唐版 滝の白糸』
1975年3月
作=唐十郎 演出=蜷川幸雄
宣伝美術=篠原勝之

ポスター画:篠原勝之
ポスターの下部にサインをしています

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劇団状況劇場
『糸姫』
作・演出=唐十郎
宣伝美術=篠原勝之

ポスター画:篠原勝之
馬の前足の下にサインをしています

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♪帰り来ぬ青春 が聞こえそうな

懐かしい、懐かしい50年前の出来事である。

1966年の事 三島由紀夫は .......何という低俗の極みの色彩であろう。.....と横尾忠則さんの作品について文章を寄せたことがあった。

21世紀の今、再見しますと作家の打ち込み度合いの強烈さが並大抵ではない。
縦横無碍に描かれた作品群が再び観覧者に活力を与えてくれる。

展覧会の関係者の皆様に感謝を申し上げます。

ありがとうございます。


ジャパン・アヴァンギャルドーアングラ演劇傑作ポスター展

2017年3月9日〜4月11日
グランビスタ ギャラリー サッポロ
札幌グランドホテル1F

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この時代のポスターの色合いに戸惑い、見る者の嗅覚までをも働かされるほどの
不快感を生むモチーフが多々ありました。

当時は、大正期の遊女の着物の着付けに見られた特有なクドい色彩を連想したものです。

三島も、唐も、蜷川もいない。
横尾忠則さん、篠原勝之さんまだまだ思いっきり生きておくれよな!

素晴らしき哉 人生!

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# by abdulmajid0922 | 2017-03-12 16:35 | Comments(0)
泉 鏡太郎「蛇くひ」1898年 明治31年3月
「新著月刊」


.........
 蝗いなご、蛭ひる、蛙かへる、蜥蜴とかげの如ごどきは、最もつとも喜よろこびて食しよくする物ものとす。語ごを寄よす(應おう)よ、願ねがはくはせめて糞汁ふんじふを啜すゝることを休やめよ。

もし之これを味噌汁みそしると洒落しやれて用もちゐらるゝに至いたらば、十萬石まんごくの稻いねは恐おそらく立處たちどころに枯かれむ。

 最もつとも饗膳きやうぜんなりとて珍重ちんちようするは、長蟲ながむしの茹初ゆでたてなり。蛇くちなはの料理れうり鹽梅あんばいを潛ひそかに見みたる人ひとの語かたりけるは、(應おう)が常住じやうぢうの居所ゐどころなる、屋根やねなき褥しとねなき郷がう屋敷田畝やしきたんぼの眞中まんなかに、銅あかゞねにて鑄いたる鼎かなへ(に類るゐす)を裾すゑ、先まづ河水かはみづを汲くみ入いるゝこと八分目はちぶんめ餘よ、用意ようい了をはれば直たゞちに走はしりて、一本榎いつぽんえのきの洞うろより數十條すうじふでうの蛇くちなはを捕とらへ來きたり、投込なげこむと同時どうじに目めの緻密こまかなる笊ざるを蓋おほひ、上うへには犇ひしと大石たいせきを置おき、枯草こさうを燻ふすべて、下したより爆と火ひを焚たけば、長蟲ながむしは苦悶くもんに堪たへず蜒轉ぱツ/\のたうちまはり、遁のがれ出いでんと吐はき出いだす纖舌せんぜつ炎ほのほより紅あかく、笊ざるの目めより突出つきいだす頭かしらを握にぎり持もちてぐツと引ひけば、脊骨せぼねは頭かしらに附つきたるまゝ、外そとへ拔出ぬけいづるを棄すてて、屍しかばね傍かたへに堆うづたかく、湯ゆの中なかに煮にえたる肉にくをむしや――むしや喰くらへる樣さまは、身みの毛けも戰悚よだつばかりなりと。.....
(青空文庫)

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画像:泉鏡花墓碑

鏡花 泉鏡太郎墓 と刻まれています。

戒名:幽幻院鏡花日彩居士


お参りをする間に聞こえて来る都電荒川線「都電雑司ヶ谷」駅直ぐそばの踏切の
警報音が郷愁を感じます。一句浮かびそうです。

雑司ヶ谷霊園にて



夏目漱石「吾輩は猫である」1905年 明治38年1月「ホトトギス」

迷亭君の語る懐旧談より「蛇飯」

《六》
........
「その時分の僕は随分悪あくもの食いの隊長で、蝗いなご、なめくじ、赤蛙などは食い厭あきていたくらいなところだから、蛇飯は乙おつだ。早速御馳走になろうと爺さんに返事をした。そこで爺さん囲炉裏の上へ鍋なべをかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものだね。不思議な事にはその鍋なべの蓋ふたを見ると大小十個ばかりの穴があいている。

.........
すると一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首かまくびがひょいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からもまたひょいと顔を出した。また出たよと云ううち、あちらからも出る。こちらからも出る。とうとう鍋中なべじゅう蛇の面つらだらけになってしまった」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這い出そうとするのさ。やがて爺さんは、もうよかろう、引っ張らっしとか何とか云うと、婆さんははあーと答える、娘はあいと挨拶をして、名々めいめいに蛇の頭を持ってぐいと引く。肉は鍋の中に残るが、骨だけは奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのが面白いように抜け出してくる」「蛇の骨抜きですね」と寒月君が笑いながら聞くと「全くの事骨抜だ、器用な事をやるじゃないか。それから蓋を取って、杓子しゃくしでもって飯と肉を矢鱈やたらに掻かき交まぜて、さあ召し上がれと来た」「食ったのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君は苦にがい顔をして「もう廃よしになさいよ、胸が悪るくって御飯も何もたべられやしない」と愚痴をこぼす。「奥さんは蛇飯を召し上がらんから、そんな事をおっしゃるが、まあ一遍たべてご覧なさい、あの味ばかりは生涯しょうがい忘れられませんぜ」.........
(青空文庫)

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画像:夏目漱石・キヨ墓碑

戒名:文献院古道漱石居士
圓明院清操淨鏡大姉


雑司ヶ谷霊園にて


雑司ヶ谷霊園といえば、夏目漱石「こころ」です。


「こころ」

上 先生と私


《四》.......
始めて先生の宅を訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。

........すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。 

私はその人から鄭寧に先生の出先を教えられた。

先生は例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にある或る仏へ花を手向けに行く習慣なのだそうである。

「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。

私は会釈して外へ出た。

賑かな町の方へ一丁ほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。

先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。

それですぐ踵を回らした。......

《五》......
墓地の区切り目に、大きな銀杏が一本空を隠すように立っていた。

その下へ来た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。

この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」といった。

先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。.......



下 先生と遺書


《五十》......
国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへ埋めるかについて自分の意見を述べました。

私は彼の生前に雑司ヶ谷近辺をよくいっしょに散歩した事があります。

Kにはそこが大変気に入っていたのです。

それで私は笑談半分に、そんなに好きなら死んだらここへ埋めてやろうと約束した覚えがあるのです。

私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬ったところで、どのくらいの功徳になるものかとは思いました。

けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前に跪いて月々私の懺悔を新たにしたかったのです。

今まで構い付けなかったKを、私が万事世話をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。

(青空文庫)






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# by abdulmajid0922 | 2017-01-09 12:14 | Comments(0)

伊藤若冲/夏目漱石 の巻




伊藤若冲/夏目漱石 の巻


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動植綵絵

宝暦巳卯仲秋居士若冲製

《秋塘群雀図》1759年
絹本着色 一幅 142.8×80.1cm
宮内庁三の丸尚蔵館



「一夜」1905年 明治38年 9月「中央公論」


......「あすこに画がある」と葉巻の煙をぷっとそなたへ吹きやる。 

床柱に懸けたる払子の先には焚き残る香の煙りが染み込んで、軸は若冲の蘆雁と見える。

雁の数は七十三羽、蘆は固より数えがたい。

籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣がある。

「ここにも画が出来る」と柱に靠れる人が振り向きながら眺める。
( 明治38年 7月26日)
(青空文庫)



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伊藤若冲筆《梅鶴図》
紙本墨画一幅 個人蔵

「草枕」1906年 明治39年9月「新小説」

《三》
......
床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。

これは商売柄だけに、部屋に這入った時、すでに逸品と認めた。

若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形の胴がふわっと乗かっている様子は、はなはだ吾意を得て、飄逸の趣は、長い嘴のさきまで籠っている。床の隣りは違い棚を略して............
(青空文庫)




「硝子戸の中」1915年 大正4年 1月13日〜2月23日「朝日新聞」連載

《二十七》
......
話題がいつか絵画の方に滑って行った。

その男はこの間参考品として美術協会に出た若冲の御物を大変に嬉しがって、その評論をどこかの雑誌に載せるとかいう噂であった。

私はまたあの鶏の図がすこぶる気に入らなかったので、ここでも芝居と同じような議論が二人の間に起った。

「いったい君に画を論ずる資格はないはずだ」と私はついに彼を罵倒した。

するとこの一言が本になって、彼は芸術一元論を主張し出した。......
(青空文庫)

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画像:
The 300th Anniversary of Birth:
Jakuchu

生誕300年記念
若冲展
東京都美術館 2016.4.22〜5.24



レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)
カラヴァッジョ(1571-1610)
レンブラント(1606-1669)
フェルメール(1632-1675)
尾形光琳(1658-1716)
伊藤若冲(1716-1800)
与謝蕪村(1716-1784)
円山応挙(1733-1795)
葛飾北斎(1760?-1849)
速水御舟(1894-1935)

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# by abdulmajid0922 | 2017-01-02 10:19 | Comments(0)

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センリョウ(仙蓼・千両)
センリョウ科・センリョウ属


学名:Sarcandra glabra

英名:Sarcandra、Senryou

別名:クササンゴ(草珊瑚)

原産地:日本〜中国〜インド〜マレーシア

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花言葉:裕福、恵まれた才能....

*センリョウの実は葉の上につけています。(マンリョウの実は葉の下につけています。)

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キミノセンリョウ(黄実の千両)


東京都杉並区にて。
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# by abdulmajid0922 | 2016-12-31 11:06 | Comments(0)