ひまわり の巻
2014年 08月 26日
1910年 明治43年
森鷗外主宰の文芸誌「スバル」の
コラム「椋鳥(むくどり)通信」に
鷗外により初めて「ゴッホ」の名前が載りました。
1910年 明治43年 創刊
文芸誌「白樺」により、
1911年 明治44年2月号に
日本で初めて「ゴオホ」が紹介されました。
1912年 11月号に「ゴオホ特集」が組まれて、ゴッホの作品の写真が載りました。
特に武者小路実篤は強くゴッホに共感しました。
実現しませんでしたが
「白樺美術館」のために、
兵庫県芦屋市の実業家、
山本顧彌太(こやた)
(1886年明治19年-1963年昭和38年)
が武者小路実篤に乞われて、
ゴッホの「向日葵・ヒマワリ」
を1919年に購入しました。
併せて、セザンヌ、ドラクロワ、ロダン等9点を購入しました。
1888年8月製作 サン=レミ時代
別名「芦屋の向日葵」
《5本のひまわり》
Vase with Five Sunflowers./
August 1888
98cm×69cm
東京、大阪での展覧会の後、
山本氏の自宅の応接室に飾られていました。
この「向日葵」は
1945年昭和20年8月6日
芦屋市の大空襲で焼失しました。
「花瓶に挿された向日葵」
全7作品中の第2作目の5本のひまわりでした。
兵庫県立美術館には「複製」があります。
「損保ジャパン東郷青児美術館」の「向日葵」は
第5作目の15本のひまわりが描かれています。
100cm×76cm
色は一番明るく、最も大きい作品です。
1880年
モネ《ひまわり》
キャンバス/油彩
101cm×81.5cm
メトロポリタン美術館蔵
*日本製のような白磁に青染付の花瓶におそらく、
実際には耐えられずに倒れるだろうと思われるほどの
「ひまわり」を詰め込んでいます。
1881年 製作
《ヴェトゥイユのモネの庭》
キャンバス/油彩
150cm×120cm
ワシントン、ナショナルギャラリー蔵
ひまわりがいっぱい咲く
「ヴェトウィユの庭」の階段のある絵は他に4枚描いています。
1881年に生活の困窮から抜け出す事ができました
専門の庭師を雇い入れ、
子供の背丈ほどもある大きな壺に植えた花はグラジオラスのようです。
富裕な暮らしでなきゃこんな贅沢な事はできません。
夏の陽射しが幸福を物語っているようです。
1883年
パリの西80km、
睡蓮のある日本庭園を建設した
ジヴェルニーへ移転しました。
ここへは作品購入のために
国立西洋美術館
「松方コレクション」でご存知の松方孝次郎も訪れました。
1907年 ウィーンでゴッホ展が開催されました。
クリムト、
エゴン・シーレらも自らの画法でひまわりに挑戦しました。
山口蓬春「向日葵」
紙本彩色/額装
82cm×60cm
1955年昭和30年 製作
北海道近代美術館蔵
この作品の面白味は
「向日葵」の向きにより花瓶の茶色の動物までの目の流れを画家の思惑通りに操作される観客の
「目線の流れ」です。
左下の「向日葵」の種の色と動物の色を統一する事で、
観る者の目が自然に作品を逆時計回りで一周するのです。
素直に時計回りでも時の流れ、
繰り返されられる生死を覗きこむことができます。
いつまでもぐるぐる、ぐるぐる
見ていられる飽きのこない絵です。
「花瓶」の絵です。
童話のような世界を通じて、
人間の性悪説「性・さが」を描いています。
フランス印象派の画家たちの作品を知悉した上で、
彼らとは一線を画した
日本画家としての強い矜恃が見られます。
花瓶の絵は
陶芸家バーナード・リーチ
(1887年〜1979年)
の数々の作品を髣髴とさせてくれます。
「観覧者よ、
決して花瓶をないがしろにはしてくれるなよ」
と画家の気持ちが見えています。
「花瓶」の絵だけで一枚のタブローが完成しています。
素晴らしい作品です。
画像:
夏季名品選
近美コレクション のポスター。
北海道立近代美術館前庭
札幌市中央区北1条西17丁目
北海道神宮表参道にて。
晩夏
札幌市中央区石山通り
イチョウの街路樹の土場です。