ツタとゴッホ の巻
2014年 09月 17日
フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ
1887年夏 パリ時代には
《木々と下生え》2点
《下生え》2点を描いています。
2年後の《キヅタ》の原点のような作品をすでに描いていました。
画像:シンジュ(神樹)とナツヅタ(夏蔦)との共生。
シンジュの根元と幹です。
札幌市中央区南3条西17丁目
サン=レミ時代の作品です。
(1889年5月-90年5月)
1889年7月 製作
《キヅタのある木の幹》
キャンバス/油彩
73cm×92。5cm
ゴッホ美術館蔵
*画面上部に強い陽光の当たる明るい大地を描いています。
下草に咲く白い花々。
作品全体は青い世界です。
画像:イチイの木と生きるナツヅタ。
札幌市中央区南5条住宅街にて。
《キヅタのある下生え》
キャンバス/油彩
49cm×65cm
ゴッホ美術館蔵
*蔦の這い上がる幹を上部に描き、
画面のほとんどは下草の生い茂る
大地が占めています。
手前に若木を一本置いています。
作品全体は緑色の世界です。
画像:屋敷の門にすがって生きる夏蔦。
札幌市中央区南5条住宅街にて。
《キヅタのある木の幹》
キャンバス/油彩
45cm×60cm
クレラー・ミュラー美術館蔵
*蔦の這う幹を画面50%まで占めています。
作品全体は黄色い世界です。
画像:樹木に寄り添って生きるナツヅタ。
札幌市中央区南6条住宅街にて。
1890年4月~5月(サン=レミ)
《サンポール病院の庭の松の木とタンポポ》
《木の幹とタンポポのある花咲く草原》
キャンバス/油彩
72cm×90cm
クレラー・ミュラー美術館蔵
の原型のような作品です。
*一年間でこんなにも幹の見方が変わる物かと驚かされます。
(松の木の幹はキュビスム表現です。)
サン=レミのサン=ポール精神病院
(アシール聖パウロ修道院)
を退院して、
セザンヌ、ピサロ、ギヨーマンの友人である
画家兼精神科医「ガシェ医師」
(当時61歳)の住む
オーヴェール=シュル=オワーズ
に移転しました。
これはピサロの勧めでした。
(1890年5月-7月27日)
パリから北へ30kmの村
オーヴェール=シュル=オワーズ
70日ほどの滞在中、70枚以上の絵を描きました。
レストラン(オーベルジュ)
「RAVOUX」
の5部屋あるひとつの屋根裏部屋に住み、アトリエにしました。
このオーベルジュは現在も営業中です。
世界中から観光客が訪れています。
(THE AUBERGE RAVOUX known
as THE HOUSE OF VAN GOGH
より)
1890年
《アドリーヌ・ラブーの肖像》
を描いています。
オーヴェルジュ「RAVOUX」の娘さんです。
ピストル自殺未遂でオーヴェルジュへ帰って来た時の様子が、
彼女の記憶に残っており記録があります。
(web:ダンナ・ナンダゴッホ論 3)
オーヴェール・ブルーと黄色で描きあげています。
オーヴェールは
終焉の地となりました。
テオの妻、ヨー(ヨハンナ)の計らいでゴッホと半年後に亡くなった
テオの墓は
1914年にこの村に兄弟並んで建てられているのです。
ゴッホ 享年37歳
テオ 享年33歳
妻、ヨー(Johannna)とテオとの
一人息子の名前は
フィンセント・ウィレム・
ファン・ゴッホです。
(1890年〜1978年)
ヨーは(1862年〜1925年)
大正15年に亡くなりました。
画像:札幌市中央区北1条
北海道神宮 表参道の
ハリエンジュ(ニセアカシア)
と共生するナツヅタです。
蔓性の植物は縋る支えがあって、
ひかり、輝くのです。
宝石が絶対に光を必要とするように。
•キヅタ(木蔦・ウコギ科・キヅタ属)
学名:Hedera rhombea
Hedera=へデラ=ラテン語=蔦
rhombea=ラテン語=菱形の
別名:フユヅタ(冬蔦)
冬でも落葉せず葉を付けています。
画像はすべて、夏蔦です。