夏目漱石「片付く事があるものか」の巻
2016年 10月 15日
[心の落着は死ぬまで焦ったって片付く事があるものか。]
珍客 八木独仙が主人に説法をします
《ハ》
......
西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。
第一積極的と云ったって際限がない話しだ。
いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない。
向に檜があるだろう。
あれが目障りになるから取り払う。
とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。
下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。
どこまで行っても際限のない話しさ。
西洋人の遣り口はみんなこれさ。
ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。
人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭へ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。
心の落着は死ぬまで焦ったって片付く事があるものか。
寡人政治がいかんから、代議政体にする。
代議政体がいかんから、また何かにしたくなる。
川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道を堀る。
交通が面倒だと云って鉄道を布く。
それで永久満足が出来るものじゃない。
さればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。
西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。......
(青空文庫)
初出:俳句雑誌「ホトトギス」
1905年 明治38年 1月~
1906年 明治39年 8月 全11回連載
画像:
昭和46年(1971年)「吾輩は猫である」が執筆された住居跡地に設置されました記念碑です。
「跡居旧石漱目夏」の揮毫は川端康成によるものです。
平成14年(2002年)猫の像が塀の上に設置されました。
場所:日本医科大学 橘桜会館
東京都文京区向丘2丁目
「道草」より
[世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。]
《百二》
.....
彼は無言のままもう一枚の書付を開いて、其所に自分が復籍する時島田に送った文言を見出した。
「私儀今般貴家御離縁に相成、実父より養育料差出候については、今後とも互に不実不人情に相成ざるよう心掛たくと存候」
健三には意味も論理も能く解らなかった。
「それを売り付けようというのが向うの腹さね」
「つまり百円で買って遣ったようなものだね」
比田と兄はまた話し合った。
健三はその間に言葉を挟むのさえ厭だった。
二人が帰ったあとで、細君は夫の前に置いてある二通の書付を開いて見た。
「こっちの方は虫が食ってますね」
「反故だよ。何にもならないもんだ。破いて紙屑籠へ入れてしまえ」
「わざわざ破かなくっても好いでしょう」 健三はそのまま席を立った。
再び顔を合わせた時、彼は細君に向って訊いた。
──「先刻の書付はどうしたい」「箪笥の抽斗にしまって置きました。」
彼女は大事なものでも保存するような口振でこう答えた。
健三は彼女の所置を咎めもしない代りに、賞める気にもならなかった。
「まあ好かった。
あの人だけはこれで片が付いて」 細君は安心したといわぬばかりの表情を見せた。
「何が片付いたって」
「でも、ああして証文を取って置けば、それで大丈夫でしょう。
もう来る事も出来ないし、来たって構い付けなければそれまでじゃありませんか」
「そりゃ今までだって同じ事だよ。
そうしようと思えば何時でも出来たんだから」
「だけど、ああして書いたものをこっちの手に入れて置くと大変違いますわ」
「安心するかね」
「ええ安心よ。
すっかり片付いちゃったんですもの」
「まだなかなか片付きゃしないよ」
「どうして」
「片付いたのは上部だけじゃないか。
だから御前は形式張った女だというんだ」
細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「じゃどうすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。
一遍起った事は何時までも続くのさ。
ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
健三の口調は吐き出すように苦々しかった。
細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。
「おお好い子だ好い子だ。
御父さまの仰ゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」
細君はこういいいい、幾度か赤い頬に接吻した。
(青空文庫)
初出:「朝日新聞」連載
1915(大正4)年6月3日~9月14日
「道草」は、処女作「吾輩は猫である」から10年後、死の前年、「明暗」を執筆する8ヶ月前の作品です。
「門」
《二十三》
.....
ある日曜の午宗助は久しぶりに、四日目の垢を流すため横町の洗場に行ったら、五十ばかりの頭を剃った男と、三十代の商人らしい男が、ようやく春らしくなったと云って、時候の挨拶を取り換わしていた。
若い方が、今朝始めて鶯の鳴声を聞いたと話すと、坊さんの方が、私は二三日前にも一度聞いた事があると答えていた。
「まだ鳴きはじめだから下手だね」
「ええ、まだ充分に舌が回りません」
宗助は家へ帰って御米にこの鶯の問答を繰り返して聞かせた。
御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。
宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。
(青空文庫)
初出:「朝日新聞」連載
1910年 明治43年 3月〜6月
画像:
「夏目漱石の胸像」(富永直樹作)
平成3年(1991年)に建立されました
「道草」を執筆した「漱石山房」があった現在の「新宿区立 漱石公園」にて
2017年の夏目漱石生誕150周年記念に向け新宿区は、仮称「漱石山房」記念館を建設しています。
東京都新宿区早稲田南町7番地