思うままに


by abdulmajid0922
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<   2016年 11月 ( 9 )   > この月の画像一覧

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
Tiziano Vecellio(1488/1490頃-1576)

《鏡の前の女》1515年頃
LA DONNA ALLO SPECCHIO
油彩/カンヴァス 99×76cm
ルーヴル美術館蔵

2015年2月21日〜6月1日国立新美術館「ルーヴル美術館展」にて公開されました。

*大きな鏡を背景に、男の右手に持つ手鏡を見つめる女性の肌の美しい描写には驚きました。

500年前の絵画であることを忘れさせるほど右腕にかかる鮮烈な青い布の色が今でも印象に残っています。

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歌川国貞(1786-1864)
Utagawa Kunisada

五渡亭 国貞画《今風化粧鏡 合せ鏡》
1823年頃
"Two Mirrors Held Facing Each Other,
from the series Hand Mirrors Reflecting Current Makeup"
collection of the HokkaidoMoMA
北海道立近代美術館蔵


*白粉の商品名「美艶仙女香」と描いています。

男には見られたくないはずの化粧の最中、浮世絵師 国貞はよくぞここへ参上できたものぞな。

美人大首絵の揃物
《今風化粧鏡》10枚揃いの中、会場では6点を展示しています。

貴重な作品です。
是非、会場にて実物をご覧になってください。


Utagawa Kunisada's Ukiyoe
浮世絵師・歌川国貞展
2016年11月23日ー2016年12月18日
北海道立近代美術館

HOKKAIDO MUSEUM OF MODERN ART
HokkaidoMoMA
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by abdulmajid0922 | 2016-11-28 10:22 | Comments(0)
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"版画商 クレメント・デ・ヨンへ"
"Clement de Jonghe, printseller"

Rembrandt van Rijn(1606-1669)、
制作年:1651年
エッチング、ドライポイント、エングレービング/紙 20.5×16cm
北海道立近代美術館蔵
Collection of the HokkaidoMoMA

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この版画商の生き様までも想像して物語が作れそうなほどいきいきと描いています。

顔にかかる帽子のつばの影が引き立ち、上着の質感、重みさえ感じられる描写に感動します。是非、会場にて実物をご覧になってご確認ください。


冬から春の名品選
【近美コレクション2階】
2016年11月23日-2017年4月9日

北海道立近代美術館
HOKKAIDO MUSEUM of MODERN ART

HokkaidoMoMA
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by abdulmajid0922 | 2016-11-27 16:12 | Comments(0)
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初夏 6月に咲く「きばなふじ・黄花藤」
別名「金鎖・キングサリ」の花です。

きばなふじの花言葉: 相思相愛、淋しい美しさ.....

原産地:ヨーロッパの中央部〜南部


札幌市資料館「カッコウの森」にて

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ルイス・カムフォート・ティファニー作
Louis Comfort Tiffany(1848-1933)

「ランプ・きばなふじ」
Lamp "Laburnum"
1900-10年頃 ガラス、ブロンズ、銅
/56.0×79.0cm
北海道立近代美術館蔵
Collection of the HokkaidoMoMA


電球の放つ熱でさらに香り立つような初夏に咲く
「きばなふじ」の花をモチーフにした大きな美しいティファニー・ランプです。


北海道立近代美術館にて公開しています。

冬から春の名品選
【近美コレクション2階】
2016年11月23日〜2017年4月9日


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by abdulmajid0922 | 2016-11-25 10:40 | Comments(0)
歌川国貞(1786-1865)

Lips painted on two colors of green and red which became fashionable in the early 19th century.

文化・文政頃に流行った「笹色紅」(ささいろべに)で仕上げたリップメイクが描かれています。

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「当世三十弐相 あづまのお客もうけ相」
とうせさんじゅうにそう
あづまのおきゃくもうけそう
A Courtesan seems to be Popular with Her Edo Costumers,from the series Thirty-two Physiognomies Today.

五渡亭 国貞画
大判 36.5×26.5cm
制作年:1821-1822
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部分拡大:「当世三十弐相 あづまのお客もうけ相」
とうせさんじゅうにそう
あづまのおきゃくもうけそう
A Courtesan seems to be Popular with Her Edo Costumers,from the series Thirty-two Physiognomies Today.

五渡亭 国貞画
大判 36.5×26.5cm
制作年:1821-1822

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「当世美人合 おゐらん」
とうせびじんあわせ
A High-ranking Courtesan,from the series Beautiful Women Today.

五渡亭 国貞画
大判 36.5×26.5cm
制作年:1824-1830

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部分拡大:「当世美人合 おゐらん」
とうせびじんあわせ
A High-ranking Courtesan,from the series Beautiful Women Today.

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「お高祖頭巾の女」
おこぞずきんのおんな
A Woman Wearing a Hood.

香蝶樓 国貞画
73×26.5cm(大判 36.5×26.5cm を縦に2枚連ねています)
制作年:1824-1844

北海道立近代美術館蔵

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部分拡大:「お高祖頭巾の女」
おこぞずきんのおんな
A Woman Wearing a Hood.



北海道立近代美術館にて
Utagawa Kunisada's Ukiyoe
浮世絵師・歌川国貞展
2016年11月23日ー2016年12月18日

是非、展覧会場にて本物をご覧になってください。

HOKKAIDO MUSEUM OF MODERN ART

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by abdulmajid0922 | 2016-11-23 20:04 | Comments(0)

アオダモ(青梻) の巻

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アオダモ(青梻)
モクセイ科・トネリコ属

学名: Fraxinus lanuginosa Koidz f. serrata (Nakai) Murata.

英名: Japanese ash

別名: アオタゴ、コバノトネリコ

原産地:南千島〜日本〜朝鮮半島

花言葉:幸福な日々、未来への憧れ

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アオダモは鋸歯のある奇数羽状複葉です。

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野球バットができる成木に育つまでは60年かかると言われるアオダモの幹です。

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青色の樹液は着色剤として染料に利用することが出来ます。

乾燥させた樹皮は「秦皮」という生薬になります。

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平滑なアオダモの樹皮です。

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2016年10月20日札幌に初雪が降った翌日、黄葉したアオダモの葉です。


札幌市資料館「カッコウの森」にて
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by abdulmajid0922 | 2016-11-19 16:15 | Comments(0)
森鷗外と夏目漱石の小説から「劈頭第一 へきとうだいいち」の言葉を学ぶ



森鷗外(50歳の時の作品)《かのように》

.*五条秀麿と綾小路との会話....

......
「綾小路さんがいらっしゃいました」と、雪は籠の中の小鳥が人を見るように、くりくりした目の瞳を秀麿の顔に向けて云った。

雪は若檀那様に物を言う機会が生ずる度に、胸の中で凱歌の声が起る程、無意味に、何の欲望もなく、秀麿を崇拝しているのである。 

この時雪の締めて置いた戸を、廊下の方からあらあらしく開けて、茶の天鵞絨の服を着た、秀麿と同年位の男が、駆け込むように這入って来て、いきなり雪の肩を、太った赤い手で押えた。

「おい、雪。若檀那の顔ばかり見ていて、取次をするのを忘れては困るじゃないか。」

雪の顔は真っ赤になった。

そして逃げるように、黙って部屋を出て行った。

綾小路の方は振り返ってもみなかったのである。
 秀麿の眉間には、注意して見なくては見えない程の皺が寄ったが、それが又注意して見ても見えない程早く消えて、顔の表情は極真面目になっている。

「君つまらない笑談は、僕の所でだけはよしてくれ給え。」

「劈頭第一に小言を食わせるなんぞは驚いたね。
気持の好い天気だぜ。
君の内の親玉なんぞは、秋晴とかなんとか云うのだろう。
尤もセゾンはもう冬かも知れないが.....。」

(青空文庫)


明治45年(1912年)1月「中央公論」に掲載



夏目漱石(38歳の時の処女作)

《吾輩は猫である》

*主人と美学者迷亭先生との会話....

《一》
......
主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美学者が久し振りで主人を訪問した。

彼は座につくと劈頭第一に「画はどうかね」と口を切った。

主人は平気な顔をして
「君の忠告に従って写生を力めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。

西洋では昔しから写生を主張した結果今日のように発達したものと思われる。

さすがアンドレア・デル・サルだ」.....,.
(青空文庫)



俳句雑誌「ホトトギス」
1905年 明治38年 1月~
1906年 明治39年 8月 全11回連載


夏目漱石著
《吾輩は猫である》は現住所東京都文京区向丘2丁目 で執筆されました。

現在の「日本医科大学 橘桜会館」です。

ここは夏目漱石が住む前に森鷗外が1年間ほど住んでいた「千朶山房」です。

明治25年(1892) 鷗外はすぐ近くの現在の千駄木1丁目へ引越しをしました。

明治36年(1903年)から夏目漱石が3年間住むこととなり、後に「猫の家」と呼ばれるのです。


現在は川端康成の揮毫による
「跡居旧石漱目夏」の石碑が建立されて、「猫の家」は「森鷗外・夏目漱石住宅」博物館明治村へ移築されています。

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夏目漱石と夏目鏡子のお墓

菅虎雄揮毫の戒名: 文献院古道漱石居士
圓明院静操浄鏡大姉

妻鏡子の発案による安楽椅子の形の墓は鈴木禎次(鏡子さんの妹の夫)の設計です。
(「則天去私」とは掛け離れた此の大きな墓は夫婦間のお互いを理解することがいかに難しいことなのかの現れと思われる現象です)

左手は「夏目家之墓」です。


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夏目漱石と夏目鏡子のお墓

安楽椅子の裏に彫られた
俗名: 夏目金之助 夏目キヨ


東京都豊島区南池袋4丁目
東京都立 雑司が谷霊園



森鷗外著
《かのように》は現住所 東京都文京区千駄木1丁目 で執筆されました。

「観潮樓」と鷗外自ら名付けました
現在の「文京区立 森鷗外記念館」です。



《吾輩は猫である》が執筆された場所「猫の家」(千朶山房)と
《かのように》が執筆された場所「観潮樓」。

この二軒の家は「文京区立 森鷗外記念館」脇の「観潮樓」正門前の近道になる「藪下通り」を南へ歩き日本医科大学と大学中央図書館の間のコンクリート製の階段「解剖坂」(階段の上り口の左手には解剖棟があります)を上ると5分足らずで着きます。

この二軒の家に通ずるもう一つの道があります。

「森鷗外記念館」の建つ団子坂を上った道を西へ歩き駒込高校前の交差点を左折すると9分で到着する距離でした。


森鷗外、夏目漱石の両氏は
妻より男同士の友情を重んじ大切に育て生きた男たちである。

こんな近くに住んでいたならもっともっと交際があって普通だろうと思うのだが....,.。


漱石は江戸生まれですから佐幕派、
鷗外は石見の国生まれですから攘夷派。


新しい物語を創作できそうです..。

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文京 ミューズネット マップ

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五基ある墓の奥から
1:弟 森篤次郎、鷗外の次男不律、甥のとおる之墓

2:父 森静男墓

3:森林太郎墓(中村不折の揮毫)

4:妻 森志げ子墓

5: 森家墓 弟 潤三郎、長男於莵と妻らの墓


東京都三鷹市下連雀4-18-20
黄檗宗 霊泉山禅林寺にて




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by abdulmajid0922 | 2016-11-12 13:23 | Comments(0)

歌川国輝(二代) の巻

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歌川国輝(二代) 一曜齋 国輝画
《現如上人北海道巡教錦絵
札縨本府 其二》
木版/紙 36.5×24.5cm 1871年 明治4年
北海道立近代美術館蔵
Collection of the HokkaidoMoMA


「勅賜 東本願寺管刹地所」の木柱は
1870年 明治3年 現如上人・大谷光瑩(京都東本願寺第22代法主・当時19歳)により「管刹」をこの地に建立することが決定された標です。


弘法大師偈(こうぼうだいしげ)
(弘法大師の詠まれた歌)

閑林独坐草堂暁三宝之声聞一鳥
一鳥有声人有心声心雲水供了々


(松浦 弘(武四郎)の歌)

蓬窓月落天将暁歌枕
閑聞念仏鳥唱名此地
豈無由法統東漸原了
了 松浦弘和韻

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大きく描かれた「仏法鳥」の絵の下の説明

庚午七月廿五日平旦
両三声を聞て土人
是を仏法鳥なりと云

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(資料:近美コレクション
北海道美術紀行
Travelling Hokkaido through Art
北海道立近代美術館
2016年 7月2日〜11月8日)

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上部中央に描かれた
「勅賜 東本願寺管刹地所」の木柱は、
昭和7年12月に石柱で再建されております。


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「明治三年七月建設セシモ腐朽セシヲ以テ今囬石材ニテ再建
昭和七年十二月 北海道廳長官 佐上信一書之」
と刻まれております。


真宗大谷派 札幌別院 山門前
札幌市中央区南7条西8丁目


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by abdulmajid0922 | 2016-11-06 14:09 | Comments(0)

歌川豊国(四代) の巻

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歌川豊国(四代)画《現如上人北海道巡教錦絵 札縨本府 》 木版/紙 36.5×24.5cm
1871年 明治4年
北海道立近代美術館蔵
Collection of the HokkaidoMoMA


「勅賜 東本願寺管刹地所」の木柱が描れています。

1870年 明治3年 現如上人・大谷光瑩(京都東本願寺第22代法主・当時19歳)により「管刹」をこの地に建立することが決定された標です。


佐幕派であった東本願寺は政府の方針に従い道路建設に邁進しました。

明治6年に屯田兵制が開始



松浦武四郎の歌が書かれています。

「北海道人」とは「北海道」という地名の名付け親松浦武四郎の雅号です

北海道人
御仏の
すかたは
たときもの
としり
猛き獣も
なれなれ
てくる

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ススキの穂がいっぱい描かれた原野には広い道が開けています。

(1871年明治4年 北海道開拓使は東本願寺の直ぐ近くに「すすきの遊郭」地区を設置しました。

「聖」と「俗」とで人間の精神の均衡は保たれるのです。)

緋色の法衣をまとう現如上人の前には二頭の鹿までもが正座をしています。

紺幕の外にも一頭の鹿が描かれています(画像左上に)


チョンマゲ、日本刀が目に付きます。
此の絵が描かれた
1871年 明治4年 散髪脱刀令が発令されます。

明治6年3月20日 明治天皇のご断髪
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(資料:近美コレクション
北海道美術紀行
Travelling Hokkaido through Art
北海道立近代美術館
2016年 7月2日〜11月8日)

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「勅賜 東本願寺管古刹地所」
往時の木柱は朽ちた為、昭和7年12月に石柱で再建されました。

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「明治三年七月建設セシモ腐朽セシヲ以テ今囬石材ニテ再建
昭和七年十二月 北海道廳長官 佐上信一書之」
と刻まれております。

真宗大谷派 札幌別院 山門前
札幌市中央区南7条西8丁目

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by abdulmajid0922 | 2016-11-06 14:04 | Comments(0)

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画像: 積丹半島の古地図
「口蝦夷」に当たる口の字の左側に「イワナイ」と書かれています。

道南方面一帯は「口蝦夷」と書かれています。

江戸時代に作成された蝦夷闔境輿地全圖(えぞこうきょうよちぜんず)より
(札幌市中央図書館蔵)


蟹堂・高原 操の紀行文『極北日本 樺太踏査日録』

「序」の文中に、夏目「漱石」は岩内町に「送籍」したという事が記されています。


『極北日本』序

余は東京の場末に生れたものであるが、妙な関係から久しい以前に籍を北海道に移したぎり、今に至つて依然として後志國の平民になつてゐる。

原籍のある所を知らないのも變だと思つて機會があつたら一度海を越えて北の方へ渡つて見たい積りでゐたが、つい積り計りで實行の決心は容易に出來ず、來る年來る年を荏苒(じんぜん)と暮して仕舞つた。

二三年前ある知人が、あちらへ行くから一所に行かぬかとわざわざ勧めて呉れたが、其の時も都合が悪くて矢張愚図々々東京に殘つてゐた。

戸籍面からいふと故郷ともいふべき北海道ですら斯の通りだから、其先の樺太へ旅行などは固より思ひも寄らぬ事で、樺太と云へば嘸寒いだらうと想像する位がせきの山であつた。

所が去年の夏我社の講演會があつたとき蟹堂君と同じ組になつて、堺と大阪と二ヶ所で、君の樺太談を二席聞いてから樺太が大いに面白くなつた、「極北日本」には此二席で述べ足りない所が悉く布衍してあるのだから、余から云へば、其面白さが又遺憾なく布衍された譯になる。

樺太の記事中膃肭臍(オットセイ)の叙述は、此動物の生活状態に暗き余を、大いに驚かしたものである。

然し君の筆に上つた長官や第一部長の名も亦官吏の動靜に無頓着な余を少なからず刺戟した。

蟹堂君が親しく大経営の方針を聴いたといふ平岡長官や、それから君が世話になつたといふ中川第一部長は、二人共豫備門時代に於ける余の同窓である。

平岡君とは夫程親しくはなかつたが、中川君とは別懇の間柄であつた。

たしか學校を卒業した時の話だと記憶してゐるが、知り合ひの某々等がある序で顔を合はした折り、座上を見廻して此うちで誰が一番先に馬車に乗るだらうといつたものは此中川君であつた。

誰も答へない先に、まあ己だらうなと云つたものも此中川君であつた。

其時居合はした五六の卒業生のうちで出入りに馬車を驅つてゐるものが今あるかないか、まだ調べて見ない余の知らう筈もないが、少なくとも中川君丈は、慥かに橇に乗つて樺太を横行してゐるに違ひない。

その時の一人であつた某理學士も近々樺太へ轉任するといふから、これも中川君と前後して橇に乗る事だらう。

蟹堂君の筆は縦横に自在である。
だから何でも構はず筆に任せて洒落のめし過ぎるのが、憾むらくは君の文章の煩ひになりはせぬかと危まざるを得ない。

けれども「極北日本」は高級な藝術的作物の積りで書いたのでない事は、讀者も承知して置く必要がある。

蟹堂君は新聞の讀ものとして、其日々々をたゞ我我に面白く讀ませるため、成るべく内容の平板単調を補ふ工夫に出たのである。

だから蟹堂君の書き方は、單に文學的といふ方面から見れば短所もあらうが、新聞の續き物といふ刺激を一位に置かなければならない條件つきの文章を本義として見ると、中々に成功した才筆に相違ないのである。

大正元年十月 夏目漱石


文學士法學士 高原 操著
『極北日本 樺太踏査日録』
東京 政教社蔵判 1912年大正元年12月発行
(出典: 国立国会図書館デジタルコレクション)



*1912年大正元年とは、
七月二十日 明治天皇崩御

九月十七日 明治天皇大喪

十二月六日 新聞小説「行人」の連載開始。



「序」文中の中川君とは、夏目漱石、中村是公らと結成した「十人会」の一人であった中川小十郎の事です。

中川小十郎は樺太庁赴任後、1912年に西園寺公望を学祖とした「財団法人 立命館」を設置しました。

平岡君とは樺太庁長官平岡定太郎の事です。
平岡公威つまり、三島由紀夫の祖父です。

「それから」には、
代助とは中学時代からの知り合いという
平岡常次郎なる人物が登場します。

妻子より男子との交歓の時を大切に生きた夏目漱石の熊本時代の元教え子蟹堂君つまり高原操を愛おしむ優しさが非常によくあらわれた文章です。

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画像: サハリンの北部です。
地名は北蝦夷唐太・一名サカレイン(Sakhalin)

1854年嘉永7年に作成された蝦夷闔境輿地全圖(えぞこうきょうよちぜんず)より
(札幌市中央図書館蔵)


夏目漱石(金之助)

1892年 明治25年4月5日
牛込区馬場下町から
後志国岩内郡吹上町十七番地浅岡仁三郎方に本籍を移す。

1897年 明治30年1月22日
岩内郡岩内町大字鷹台町54番地浅岡仁三郎方に転籍。

1914年 大正三年六月二日
東京市牛込区南町七番地へ転籍。
(現在の新宿区早稲田南町7番地)
(出典: 北海道ファンマガジン2008/03/14)
(Web版 夏目漱石デジタル文学館|県立神奈川近代文学館)


1969年 昭和44年3月 岩内町字御崎13番地には記念碑「文豪夏目漱石立籍地」が建立されております。

岩内町郷土館にて夏目漱石の戸籍謄本のレプリカを展示しています。
(岩内町 総務財政課 広報担当者のご協力を得ました。ありがとうございました。)

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by abdulmajid0922 | 2016-11-04 10:15 | Comments(0)