思うままに


by abdulmajid0922
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森鷗外『渋江抽斎』風の歴史小説技法を取り入れた本書は、下巻にその趣が著しい。

豊臣秀吉に仕えた前野将右衛門という、妻以外の美しい女性に襲われ、それと別に襲われ未遂もあった、死ぬまで女性に恵まれた男が主人公。

本小説の擱筆後、現地木曽川の川原に腰を下ろし本書に登場した前野将右衛門、その妻あゆ、蜂須賀小六、お市の方、吉乃......を偲ばれたという著者を思う読者は時空を超えて清冽な木曽川と深い河ガンジス川とが重なるのです。

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主人公、将右衛門の一生は最後の最後まで女性の香りが失せることのない殿方が羨む素敵な人生でした。


妻「あゆ」には生涯にわたって常に愛し続けるよう躾けられつつ、思わずゴクリと唾を飲むほどの美貌の「吉乃」に恋をする。


春の小川のほとりで草花を摘みながらあかるく笑っていた信長さまのお妹、少女の頃からの「お市さま」を存じ上げ、

孫六兼元の刀に♩会いたさ、見たさに怖さを忘れ「吉乃」に似た美女「お栄」に会ってしまう。


死を前にして、闇の遠くから聞こえてきた大変な美女であります「鶴」の可憐な唇から流れる闇笛の音に包まれるようにして生涯を終えた男。


♩うさぎ追いし伊木山
♩こぶな釣りし木曽川
思い出すは「あゆ」「吉乃」「お栄」.....
多くのものに支えられて生きた幸福な男、オペラ・ブッファにできそうな
将右衛門の物語です。


父親の墓と並んで、雑司ヶ谷墓地に眠る永井荷風は織田信長の母の実家、土田家の子孫であったと、大変に興味深い事実を知ることができました。


『男の一生』 遠藤周作 著 
1991年 日本経済新聞社


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by abdulmajid0922 | 2017-11-14 14:56 | Comments(0)

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『鈴木大拙 没後40年』松ヶ岡文庫 編 より

「生き仏との出会い」と題して、 出光佐三は一九六六年(昭和四十一年)七月、聖路加国際病院にて亡くなられた鈴木大拙先生との出会いを回顧されました。


生涯にわたって仙厓を愛した出光佐三。

鈴木大拙の死の十五年前のこと、
ニューヨークでの『仙厓和尚の展覧会』を開催した際に、すでに鈴木大拙はニューヨークに滞在されており、展覧会のパンフレットをご覧になり、出光佐三へ手紙を書いたのがお二人の関係の始まりでした。


これには仙厓和尚の手引きがあったと、出光佐三は感じたと書いています。


出光佐三の非常な恩人、飛田重太郎が軽井沢の別荘で重病であられる。

その別荘の隣りは鈴木大拙先生の別荘であり先生の血圧が上がり危険な状態でした。

佐三は、早速鈴木大拙先生の別荘へ伺いました。

椅子に座っておられた鈴木大拙先生の膝下に座り、先生を仰ぎ見たとき「ははア、これが仏さまだ、これが阿弥陀さまだ」と思ったのです。
.....
全くそのままの姿が、生きた仏さまでした。....,.

それは一生忘れられない立派なお顔でした。
......

「生き仏との出会い」出光佐三
初出:『大法輪』三十三巻九十号
          [昭和四十一年年九月]

KAWADE道の手帖
『鈴木大拙 没後40年』
松ヶ岡文庫 編   河出書房新社 2006年

『生き仏との出会い』が掲載されています本書は出光昭介氏の「巻頭言」ではじまり鈴木大拙、明治三年(一ハ七〇年)出生から、昭和四十一年(一九六六年)生涯を終えられるまでの業績が記されています。

一九六二年(昭和三十七年)、
ニコニコ笑顔の鈴木大拙(九十二歳)と出光佐三(七十七歳)が東慶寺境内を歩く貴重な写真が掲載されています。

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画:仙厓義梵筆『双鶴画賛』出光美術館


佐三の死の一か月ほど前のことでした。

戦後の苦しい時に手放した『双鶴画賛』が古美術商により再び出光佐三の手元に巡ってまいりました。


出光佐三(1885-1981)
鈴木大拙(1870-1966)


お二人とも、神奈川県鎌倉市 
鈴木大拙が住まいとしておられた松ヶ岡文庫がある松岡山東慶寺の墓地に眠っておられます。
(合掌)


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by abdulmajid0922 | 2017-11-01 10:34 | Comments(0)