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夏、同じ町内の露地には環境省による特定外来種生物に指定されているダリアのように咲く八重咲きハンゴンソウも咲きますが、これは似ても似つかぬハンゴンソウの花です。


キク科 キオン(黄苑)属
学名 : Senecio cannabifolius
英名 :  Aleutian ragwort,
Hemp-leaved ragwort 
原産地 : 中国〜日本〜サハリン〜アリューシャン列島

花言葉 : 正義

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江戸小紋柄にありそうな美しい複散房花序。

金色の頭花は五弁の舌状花、花径は約2cmです。

*花茎、葉柄からは乳白色の液体が出てきます。

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互生し鋸歯のある5裂の羽状深裂の葉の大きさは約23×36cmです。

直立した茎の高さは2mほどあります。

強い香りで死者を蘇らせるといわれることから反魂草という名前がついたというウェブサイトがありますのでどれほどの香りなのか花、葉、茎を手折ると特別な不快感はなく自生の山野草らしい匂いを発します。

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九月中旬 : 長さ1cmに満たない綿毛と種子(achene・痩果)ができました。


マンションのベランダから毎年眺める隣の廃屋の荒れた庭に咲く花です。

葉に特徴がありますから唯の雑草ではないと注目しておりました。

おやっ!
綺麗な花が咲いていると気がついてから四年経ち今年は観察することにしました。

十一月になって初雪にあたり、ようやく小さな葉から黄色になり、枯れ始めています。




# by abdulmajid0922 | 2019-11-11 11:34 | Comments(0)
日本ではこの度の2019-2020を入れて2001年、2016年と三度、開催されたカラヴァッジョ展。


9月27日
主催する北海道新聞社と北海道立近代美術館は「カラヴァッジョ展」到着遅延作品 展示断念のお知らせ に加えて、再入場は可能です。入場時にカラヴァッジョ作品の絵ハガキ二枚をお贈りします。

という格別の配慮をされた発表がありました。

未到着の作品は、
カラヴァッジョ作品二点の他、カラヴァジェスキらによる作品六点の計八点です。

予定通りにはいかず来日しなかったカラヴァッジョ作品は《瞑想するアッシジの聖フランチェスコ》、《女占い師》の二点です。

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(再入場時配布された絵葉書)

"San Francesco in Meditazione"
《瞑想するアッシジの聖フランチェスコ》1605-06年

油彩/カンヴァス  123.0×92.5cm
サン・ピエトロ教会(カルピネート・ロマーノ)
(ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館に寄託)


信仰生活を始めるためにすべての物質的な財と富を放棄した聖フランチェスコはボロをまとい、耳と鼻の先が赤くなるほど寒い洞窟の中で跪き、人間が避けられない必ず迎える死と人生の儚さ、虚しさを象徴する頭蓋骨を指先が赤くなった両手で持ち上げ見つめています。

右手の甲には聖痕が見られます。

総合芸術家といえようカラヴァッジョの冴えた演出は特有のテネブリズムで立体感を出し、あたかもオペラの一場面のような劇的効果を発揮しています。

観覧者は最も簡単に洞窟の中で瞑想する聖フランチェスコ(1182-1226)の精神世界へ引き込まれてしまうでしょう。

デル・モンテ枢機卿の依頼で制作した《法悦の聖フランチェスコ》とは正反対のイメージです。

静物画において象徴的に頭蓋骨を描き込む絵画のスタイル Vanitas の嚆矢となった作品です。

1606年、クレメンス八世(ローマ教皇在位1592-1605)の甥ピエトロ・アルドブランディーニ枢機卿(1571-1621)がこの作品の依頼主です。

完成した絵はカルピネート・ロマーノの領主アルドブランディーニ枢機卿の強い要請で1610年に建設されたサン・ピエトロ教会に寄付しました。

本作品は1968年にサン・ピエトロ教会で発見され、2005年にカラヴァッジョの作品であることが確定しました。


「カラヴァッジョ 光と影の巨匠 ー バロック絵画の先駆者たち」
2001年9月29日〜12月16日
東京都庭園美術館

本邦初のカラヴァッジョ展が2001年に開催され、《瞑想するアッシジの聖フランチェスコ》は公開されました。

北海道立近代美術館では壁一面の中心に本作品一点のみを展示するスペースが用意してありました。嗚呼。

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(絵葉書)
"Buona Ventura"
《女占い師》1596-97年

油彩/カンヴァス 115.0×150.0cm
カピトリーノ絵画館(ローマ)
Roma, Musei Capitolini, Pinacoteca Capitolina 

カラヴァッジョは偶然近くを通るジプシーの女性をモデルに起用しました。

汚い爪の女は占いをするどころか、貴族の青年の手のひらを中指でくすぐり指輪を今、正に抜き取ろうとしている瞬間です。

図録によりますと、
カピトリーノ絵画館所蔵の《女占い師》はフランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿が所有していたことが知られている。

本作品はX線検査により、一度描かれたカンヴァスを再利用していることが明らかになっているのです。

カラヴァッジョが貧しかった頃の作品である証しとなりカピトリーノ絵画館版が第一ヴァージョンであることがわかります。

第一バージョンの頃はどんな低価格でも売らなければならない暮らしだったのです。

英語版WIKIPEDIAでは、
本作品、第一バージョンはヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニ伯爵が低価格で購入した。

《トランプ詐欺師》を購入したカラヴァッジョの最初のパトロン、フランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿の邸で暮らしたカラヴァッジョは枢機卿のために第二バージョン(ルーヴル美術館蔵)を描いた。

イタリア語版WIKIPEDIAでは、
ローマのカピトリーノ絵画館に保存されています。この絵の別ヴァージョンはルーヴル美術館にあります。

カラヴァッジョがミラノからローマに出て来てカヴァリエーレ・ダルピーノの工房にいた頃1593-94年の作品であろうと思われる。

1977年のX線検査でダルピーノが描いた絵の上を塗り替えていることがわかっています。

最初の購入者はデル・モンテ枢機卿。

筆者は図録とイタリア語版WIKIPEDIAを支持します。

カラヴァッジョは
デル・モンテ枢機卿との出会いから、貧しさとは掛け離れた枢機卿のマダマ宮殿での生活が始まり、剣を腰に下げて外出し、枢機卿の嗜好に合わせた数々の作品を制作しました。


2016年3月1日〜6月12日
「日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展」が国立西洋美術館で開催された際に本邦初公開されました。


2019年は札幌会場、北海道立近代美術館のみの展示予定であり、《リュート弾き》の右隣りに展示スペースは用意してありましたが実現することはありませんでした。
Mamma mia !!!

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カラヴァッジョ作品が二ヶ月以上に亘り北海道立近代美術館で展示され新たな歴史が刻まれた喜びと関係者への感謝の思いがひとしおです。

Caravaggio 2019-2020
La verità dell'arte
カラヴァッジョ展
2019年8月10日〜10月14日
北海道立近代美術館



# by abdulmajid0922 | 2019-10-08 12:20 | Comments(0)
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本展覧会のポスターに使用された《1882年の冬》の制作者フランセスク・マスリエラの甥、リュイス・マスリエラが制作したダイヤモンドを鏤めた金細工が個人蔵、Bagués-Masriera Collection、及びカタルーニャ美術館(バゲス・マスリエラ コレクションから長期寄託)の全10作品を鑑賞することができます。


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Francesc Masriera(1842-1902)

"Hivern del 1882" 


ポスターに使用されています、

フランセスク・マスリエラ

1882年の冬》1882

油彩/カンヴァス 72.0×62.0cm

カタルーニャ美術館 ©️MNAC


1877年に創設されたバルセロナでは最も古いギャラリー、Sala Parés に初出展され、1888年のバルセロナ万博にも出展されました。


淡いイエローの手袋に淡いピンクのドレス、大判の淡いブルーのショールで色の三原色を淡く揃えています。


シルクとファーの流行を装う女性の

右上に F, Masriera と署名があります。


左腕にシルバーのブレスレットを強調している由縁は


フランセスク・マスリエラの父親

Josep Masriera i Vidal(1810-1875)は1839年、バルセロナで銀細工工房を開業しました。


フランセスクの一歳上の兄、Josep Masriera i Manovens(1841-1912)と家業を手伝いました。


二人ともジュネーブやパリで修行をして

絵を描きながら、金細工職人でもありました。


父親のJosep Masriera i Manovensと同じく息子も絵を描き、宝飾デザイナーでもあり、本展覧会で10作品が展示されているLluís Masriera i Rosés(1872-1958)です。


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Santiago Rusiñol(1861-1931)

"Portrait of Miquel Utrillo" 1890-91


サンティアゴ・ルシニョル

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットでのミケル・ウトリリョ》

油彩/カンヴァス 222.5×151cm

カタルーニャ美術館 ©️MNAC


右端にテラコッタ製のような女性の胸像を配し、木の葉が散った時期に生気を失った緑を手前に添えて且つかなりの奥行きが立体感を生み観覧者の目がぐるぐると回るのです。


ルノワール、ユトリロ、ゴッホらも描いたモンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレットでポーズを決めてジャーナリストらしく論文を手にしたミケール・ウトリーリョとは1890年、シュザンヌ・ヴァラドンの私生児で7歳になった男の子、モーリス・ヴァラドンの養父になった人です。


その男の子が画家モーリス・ユトリロです。


サンティアゴ・ルシニョールは189010-912月にかけて画家仲間のラモーン・カザスとムーラン・ド・ラ・ギャレットにあるアパルトマンを共有していた時期がありました。


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Miquel Utrillo(1862-1934)

"Portrait of Suzanne Valadon"


ミケル・ウトリリョ

《シュザンヌ・ヴァラドン》1891

鉛筆・コンテ・サンギーヌ/

30.5×19.7cm

カウ・ファラット美術館 ©️MCF


ピエール=オーギュスト・ルノワール《都会のダンス》1883

で純白のシルクの豪華なドレスを着ていた女性がシュザンヌ・ヴァラドンです。


本作品の制作者、ミケール・ウトリーリョはシュザンヌ・ヴァラドンの息子モーリスの養父です。


本作品制作時、彼女は29歳。

モーリス・ユトリロ・ヴァラドンとはまるで違う骨格をした輪郭の横顔です。


右下にUの中にMのモノグラムの署名があります。


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Ramón Casas(1866-1932)

"Portrait of Otojiro Kawakami"


ラモーン・カザス

《川上音二郎の肖像》1902

木炭・セピア色鉛筆・パステル/レイド紙 48.5×33.5cm

演劇美術館 


19025月、川上音二郎と貞奴の一座はバルセロナで公演を行いました。


ラモーン・カザスは二人を自宅のアトリエに招いて本作品と《貞奴の肖像》59.5×39cm カタルーニャ美術館蔵 とを制作しました。


日本

川上音二郎

於西斑牙 と署名があります。


ミケール・ウトリーリョは一座の公演の批評とともに両作品をラモーン・カザスが中心になって発行した週刊誌「四匹の猫」の後継誌でウトリーリョが主導する「ペル・イ・プロマ」88号に掲載しました。


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Joaquim Mir(1873-1940)

"La catedral de los pobres"


ジョアキム・ミール

《貧しき者の大聖堂》1898

油彩/カンヴァス 209.3×253cm

カタルーニャ美術館 ©️MNAC


貧しき者の大聖堂、サグラダ・ファミリアの左側の陽を浴びた明るい茶色の壁と大理石かと思われるたくさんの白い石材は思い切った厚塗りで立体感を出しています。


腰を下ろした男性がじっと観覧者を見つめ、物乞いをしています。


1882年に礎石を設置して建設が開始された建築家ガウディが創造した初期のサグラダ・ファミリアの記録として見られるところが本作品の価値を増しています。


ガウディの許可を得て実際に工事現場にて制作したという

本作品は1898年、バルセロナでのExposición del Bellas Artesで初めて公開され、ラモーン・カザス、サンティアゴ・ルシニョール、ミケール・ウトリーリョ、ぺラ・ルメウ(店長・料理担当)の四人が1897年に開店したカフェ、Els Quatre Gats(四匹の猫)にても展示されました。


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Le Corbusier(1887-1965)

"Sin título (La caída de Barcelona)


ル・コルビュジエ

《無題 (バルセロナ陥落)》1960

リトグラフ/  71×102cm

大成建設株式会社



1933年、未来のバルセロナのための都市改造計画《マシアー計画》(完成予想の俯瞰図が本展覧会場に展示されています)の立案でバルセロナと関わりのあったル・コルビュジエは193941日の反政府軍フランコ将軍の勝利宣言後に制作した

"Chute de Barcelone "《バルセロナ陥落 1939 

油彩/カンヴァス 81×99.5cm

ソフィア王妃芸術センター(マドリード)をもとに制作されました。


パブロ・ピカソが1937年、スペイン内戦中に描いた《ゲルニカ》(ソフィア王妃芸術センター蔵) がふと脳裏に蘇りました。




本展覧会は

庶民がお目にかかることのないスペイン王室御用達、バルセロナの宝飾ブランド、Bagués-Masriera Collection のジュエリーを目の前でじっくり鑑賞することができ感動しました。



パブロ・ピカソ、サルバドール・ダリ、ホアン・ミロ....

十分に堪能することができました。



奇蹟の芸術都市

バルセロナ展

   ガウディからピカソ、ミロ、ダリまで


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札幌芸術の森美術館



BARCELONA

THE CITY OF ARTISTIC MIRACLES

2019-2020


BARCELONA 

  La cuidad de los milagros artísticos  

2019-2020


# by abdulmajid0922 | 2019-09-15 18:12 | Comments(0)

《瞑想するアッシジの聖フランチェスコ》、《女占い師》が展覧会初日には間に合わず展示スペースだけは確保されてありました。

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"Vaso di Fiori,Frutta e Ortaggi"
《花瓶の花、果物および野菜》
1605-06年より前
油彩/カンヴァス 105×184cm
ボルゲーゼ美術館(ローマ)
Ministero per i beni e le attività culturali - Galleria Borghese,Roma 


カラヴァッジョ独特のテネブリズムと高度な写実的描写力には度肝を抜かれます。

蝶が舞う花卉には春の花、花びらが半分散った花、秋になり弾けた実、黒く熟した実が描かれています。

目を凝らして見ますと、白い花瓶の右側には大きいトカゲと小さいトカゲが今まさに噛みつきあいの喧嘩が始まりそうな形相で描かれてあり、カラヴァッジョの気性の激しい性格があらわれているようです。

花卉だけを主題に描いたヤン・ブリューゲルやアルチンボルドの作品が脳裏に浮かんできます。

1596年ローマ、カラヴァッジョは画家カヴァリエーレ・ダルピーノ(1568-1640)の工房で8か月の間、助手として働いていました。

1607年4月、ダルピーノは銃の不法所持で逮捕され、教皇庁会計院に財産を没収されたのです。

ローマ教皇パウルス五世は150点近い絵画コレクションの放棄と罰金を条件にダルピーノを釈放しコレクションを甥のシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿に譲渡したのです。

没収品にはカラヴァッジョの初期作品が含まれていました。

本作品はその中の一点なのですがカラヴァッジョ筆であるとは未だ特定されていません。

本作品の本邦初公開は10年前です。
当時の作品タイトルは
《2匹の蜥蜴がいる静物》
作者不詳(17世紀に活動)、カラヴァッジョの追随者

『ボルゲーゼ美術館展』
2009年10月31日〜12月27日
京都国立近代美術館

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"Bacchino Malato"
《病めるバッカス》1593-94年頃 
油彩/カンヴァス 67×53cm
ボルゲーゼ美術館(ローマ)
 
札幌会場限りの本邦初公開!

バッカスの聖樹である蔦を冠にして、カラヴァッジョは両手で慈しむように葡萄を抱えています。

カラヴァッジョのローマでの貧しい下積み生活の時代、モデルを雇う金は無く、病み上がりの自分を鏡に映して描いた自画像であり、静物画も肖像画も描ける自分自身をローマの美術市場に売り出したのです。

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"Suonatore di Liuto"
《リュート弾き》1596年
油彩/カンヴァス 96×121cm
個人蔵

本邦初公開!

カラヴァッジョの最初のパトロン、トスカーナ大公国の枢機卿フランチェスコ・マリア・デル・モンテ(1549-1627)に愛と忠誠とを誓い、歌を捧げるカストラートを描いています。

ヤン・ファン・エイクが《アルノルフィーニ夫妻の肖像》1434年 で凸面鏡に反射した室内を描いたように本作品のカラヴァッジョは花瓶のガラスに反射した室内を描いています。

カラヴァッジョは初期フランドル派の影響を受けていることがわかります。

カラフの細い口にすべての花が入るとは思えないたくさんの花々を描き、朽ちる前の刹那の美、若き肉体の老いる前の刹那の美それは虚しいものなのですと読み解くことができます。

白いアイリスは春の花、梨が実るのは秋。

カラフの表面と花々には水滴も描いています。

若い頃、カラヴァッジョといざこざがあった画家ジョヴァンニ・バリオーネは『画家・彫刻家・建築家列伝』(1642年出版)の中で、カラヴァッジョ本人が本作品を彼自身の最高傑作だと述べていたと伝えています。

図録よりー


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"Medusa"
《メドゥーサの盾》1596-98年
油彩/カンヴァス(ポプラ材の凸板円形盾) 直径48-50cm
個人蔵

2016年、国立西洋美術館でも公開された第一バージョンです。
Michel A F のサイン入りです。
(ラテン語で Michel Angel Fecit)

ファンデーションは塗っていますよねと言いたくなるほどカラヴァッジョの自画像であるメドゥーサの美しい肌の描写には圧巻の画力を見ることができます。

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"Decapitazione di Sant'Agapito"
"Martyrdom of Saint Agapitus"
《聖アガピトゥスの殉教》1606-09年 
油彩/カンヴァス 116×98cm
パレストリーナ、司教区博物館(ローマ)
Palestrina(Roma),Museo Diocesano di Arte Sacra.
Direzione Centrale per I’Amministrazione del Fondo 
Edifici di Culto del Ministero dell’Interno

274年8月18日、キリスト教の棄教を迫られ、拒んだアガピトゥスはパレストリーナの町の外で斬首刑により15歳で殉教しました。

聖アガピトゥスはパレストリーナの守護聖人です。

聖人の斬られた首から飛び散る血が二つの口の細いカラフに溜まっています。

首が斬り落とされる瞬間という凄惨な主題に対して、衣擦れの音がしたであろう肩から滑り落ちるアラベスク模様の艶のある上質な絹織物が耽美的な印象を残すのです。


1606年5月28日
殺人事件を起こしたカラヴァッジョには「見つけた者は誰でもこの罪人を殺しても良い」という重い死刑宣告が下されました。

5月から9月にかけてカラヴァッジョはコロンナ家の援助のもと、コロンナ家の領地パレストリーナで隠れ家生活をしていた時期に制作したのです。

ローマのバルベリーニ宮殿の国立古代美術館にて修復作業が行われ2008年9月20日にパレストリーナ司教区博物館に戻されました。

見ればみ見るほど目を閉じたくなる恐ろしくぞっとする怖い絵です。

驚くほど質素な額に収められ展示されています。

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"San Sebastiano" 
《聖セバスティアヌス》1606年
油彩/カンヴァス 170×120cm
個人蔵(ローマ)


3世紀末期、ローマ帝国の軍人、近衛兵の一団を指揮していた眉目秀麗なセバスティアヌスはキリスト教徒であったことが発覚し、ディオクレティアヌス帝から処刑が言い渡されたのです。

本作品は描かれていない、矢を放った死刑執行人は観覧者の側にいるという設定です。

死刑執行人の役割を担うのは観覧者ということです。

カラヴァッジョの奇想天外な発想です‼︎!

カラヴァッジョ独特のテネブリズムは地面に落ちた布に配色された鮮やかな紅白でより一層、美しく対比を強調して格調高い作品に仕上げました。

ローマからナポリへ逃れていた期間に制作されました。

*シチリア島、シラクーザの守護聖女となったルチアは304年頃、同じディオクレティアヌス帝のキリスト教弾圧により短剣で首を斬られ殉教したのです。
カラヴァッジョは《聖女ルチアの埋葬》を制作しました。

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"Il Cavadenti"
《歯を抜く人》1608-10年頃
油彩/カンヴァス 139.5×194.5cm
ウフィツィ美術館群パラティーナ美術館(フィレンツェ)
Firenze,Gallerie degli Uffizi,Galleria Palatina

本邦初公開!
キアロスクーロを際立たせて庶民の日常生活を描いた晩年の風俗画です。

バンビーノの頭が置き物のひとつと見紛うほど、テーブルの上の小物と同じ高さに配置されているのが一層可愛らしく、カラヴァッジョの諧謔と子供への優しい眼差しが窺えます。

全員が患者に同情し、集中して注目している最中、鉗子を握りしめ歯を抜く人は口から血が垂れている患者に集中せず一瞬、きらりと瞳を輝かせ観覧者を真っ直ぐ見ているところが滑稽で藪医者であることを匂わせるのです。

患者の歯が一本、光を受けてきらりと輝きを放つ技法はレンブラントやフェルメールに継承されました。

金縁の額の下部にプレートが付いています。内容は
MICHELANGELO MERISI, DETTO CARAVAGGIO (ATTR,A)
1573-1610
IL CAVADENTI (INV.1890.No.5682)



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"San Giovanni Battista"
《洗礼者聖ヨハネ》1609-10年頃
油彩/カンヴァス 159×124cm
ボルゲーゼ美術館(ローマ)
Ministero per i beni e le attività culturali - Galleria Borghese,Roma 

ローマ教皇パウルス五世(在位1605-21年)から恩赦を得るために甥にあたるボルゲーゼ枢機卿(1577-1633)へ贈呈しようと逃避行中のナポリでボルゲーゼ枢機卿の好みに合わせて描いた作品です。

カラヴァッジョがローマ教皇から死刑宣告の恩赦を請願しようとナポリからローマへ向かった船の荷物の中に保管されていた三点の絵の中の一点です。
(他の二点は《法悦のマグダラのマリア》、《横たわる洗礼者聖ヨハネ》)

聖ヨハネのアトリビュートである切り株は足元にあり、子羊ではなく聖ヨハネに背を向け葡萄の木に気をとられているのは牡羊、横木のない十字架の長いアシの杖は人間の罪が贖われていないことを示してボルゲーゼ卿にカラヴァッジョ自身の救済を求めているのです。

展覧会場にて実寸の本作品を目の当たりにしますと、聖ヨハネの妖艶な容姿がボルゲーゼ卿をかなり挑発していることがよく伝わります。

ボルゲーゼ枢機卿への贈呈品にふさわしく会場の展示品の中では最も豪華な金縁の額に収められている、
本作品はカラヴァッジョの生存中にボルゲーゼ卿の下へ届きませんでしたが恩赦を乞い願うカラヴァッジョは強かにロビー活動をしていたことが理解できます。

本作品の本邦初公開は、
『ボルゲーゼ美術館展』
2009年10月31日〜12月27日
京都国立近代美術館

本展のカラヴァッジョの展示作品は他に2016年、上野の国立西洋美術館で世界初公開された

《法悦のマグダラのマリア》

"Maria Maddalena in Estasi"


2018年にイタリアで開催された「カラヴァッジョの事実」会議で初めて一般公開された

《横たわる洗礼者聖ヨハネ》

"San Giovanni Battista disteso"



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《メドゥーサ》を除き、他の全作品はアクリル板やガラス板の覆いをせずに出展してあることには驚きました!

《花瓶の花、果物および野菜》を出展していたことには感激しました。

《ホロフェルネスの首を斬るユディト》、《ゴリアテの首を持つダヴィデ》は見られずとも十分、楽しむことができた企画です。

Caravaggio 2019-2020
La verità dell'arte
カラヴァッジョ展
2019 8.10-10.14
北海道立近代美術館

(画像はチラシ・図録を使用しました)

何日君再来。

# by abdulmajid0922 | 2019-08-11 18:00 | Comments(0)
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入り口から見た展示会場の様子。

奥正面は
千葉靖男《春霞》
F50号(116.7×91.0cm)
油彩/カンヴァス 

新緑と海との色使いにおぼろげな春の陽気を感じ、儚い青春の躍動感が伝わります。

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幸治敏興《黄ショウブ》
F3号(27.3×22.0cm)
油彩/カンヴァス

例年の位置に大きな絵がないので幸治先生の絵はどこですか?とお尋ねすると
幸治先生曰く、
「忙しかったんです。来年まで持ち越しですっ。
途中まで描いているんですっ!」

今年は小品が三点展示されています。

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佐々木幸雄《メンヒ4099m頂上よりユングフラウ4158m》
P12号(60.6×45.5cm)
油彩/カンヴァス

屹立する(Eiger)を背後に修道士(Mönch)が乙女(Junghrau)を俯瞰する構図。


昭和九年生まれの幸治先生曰く、昭和十一年生まれの佐々木幸雄先生は実際にメンヒを登頂されたとのこと。

特筆すべきは観覧者を感動させる画家の徹底的な写実主義!!!

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近藤博重《牡丹》
F12号(60.6×50.0cm)
油彩/カンヴァス

日本画によく用いられるモチーフに黒い縁取りを施し、存在感のある油絵で写実的に描いています。

お医者さまが牡丹を描くと薬用植物という言葉がピーんと頭に浮かび、観覧者の脳内はオキシトシンやセロトニンやで充満するのです。

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金子一成《船見坂 朝》
F30号(91.0×72.7cm)
油彩/カンヴァス


連作《小樽名所図会》といえる本作は一見、黒い額縁も絵に描かれた電柱の一部のような工夫が見られます。


埠頭ヘ向かう陽のあたる坂道の左側に小さく青を一点、右側に赤茶、絵の中心に明るい緑を配色して画家の絵画制作を楽しむ様子が伺えます。


坂道の全体を彩り豊かに優しい水彩画のような筆致で描き、空と海と大地とがさりげなく調和しています。

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学生会員、賛助会員の作品の展示

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出展リスト

さいとうギャラリー
2019.7.2〜7.7

# by abdulmajid0922 | 2019-07-03 12:23 | Comments(0)

1959年12月、東京都千代田区の彌生画廊『東山魁夷 近作展 TOKYO』に発表した冬の東京を描いた連作 東京十二景 の中の

《お堀端》(三宅坂) 

紙本彩色 額装45.5×34.3cm 

財団法人川端康成記念会

で上下対称の構図を描いた作品があります。


宮内庁から依頼を受けて制作した東山魁夷《萬緑新》1961 は猪苗代湖に浮かぶ上下対称で湖面に反射した翁島を描きました。


この翌年の北欧4カ国旅行からの帰国後の《映象》1962 から

絶筆《夕星》1999 に至るまで上下対称の構図で描いた数々の作品が継続しました。


どの作品を見ても人物を配さず、水鏡に映る樹形とその本体のみが存在する風景を描いてあり、

孤独を大いに好む東山魁夷らしさが十分伝わります。


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《緑響く》

"Vibrant Greens" 1982

紙本彩色 額装 84.0×116.0cm

長野県信濃美術館 東山魁夷館



「...白い馬はピアノの旋律で、木々の繁る背景はオーケストラです」


長野県にある溜池、御射鹿池が水鏡となり見事に反映した森の風景。



テレビ北海道開局30周年記念

東山魁夷

唐招提寺御影堂障壁画展


北海道立近代美術館

201968日ー728 

にて公開中



水面に反映した上下をシンメトリーな構図で描かれた絵画には前例があります。


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(Wikipedia)


サルヴァドール・ダリ

Salvador Dali(1904-1989)


《水面に象を写す白鳥》

"Swans Reflecting Elephants" 1937

油彩/カンヴァス 51×77cm

個人蔵



・ダリお得意のダブルイメージ。


三羽の白鳥の水面に映る姿は何と象なのです。


画集で初めて見たときはえええっと声が出たほど驚いた忘れられない作品です。


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(Wikipedia)


クロード・モネ

Oscar-Claude Monet (1840-1927)


《ジヴェルニーのセーヌ川》

"La Seine à Giverny" 1897


油彩/カンヴァス 81.5×100.5cm

ナショナル・ギャラリー. ワシントンD.C.


・モネはジヴェルニーの自宅の庭の池の《睡蓮》に集中する前、1896年から1898年に亘り、上下対称の《セーヌ河の朝》の連作を制作しました。


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(Wikipedia)


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ

Michelangelo Merisi da Caravaggio (1571-1610)


《ナルキッソス》

"Narcissus" 1598-99

油彩/カンヴァス 113.3×94cm

バルベリーニ宮国立古典美術館 (ローマ)



今日の舞台や映画芸術にも影響を与える、カラヴァッジョ独自の手法であるキアロスクーロで像主のみを描き、劇的な効果を生み出しています。


モチーフはギリシャ神話の一節であるにもかかわらず、服装はカラヴァッジョが活躍していた当時の若者の現代ファッションであろう。


カラヴァッジョには大いなる舞台演出家の才能が見られます。


# by abdulmajid0922 | 2019-06-08 11:27 | Comments(0)
1994年、相原求一朗は帯広市の六花亭製菓株式会社から北海道の名峰を描く連作の依頼を受けました。

六花亭の提案した北海道の名峰9山のうち、相原求一朗は雄阿寒岳と雌阿寒岳を分けて描き《北の十名山》としました。


1995年、喜寿を迎えた相原求一朗はこの1年間で8点の作品を制作しました。


1996年、六花亭が十勝の中札内美術村に開館した「相原求一朗美術館」にて《北の十名山》が収蔵展示されました。


連作《北の十名山》

・本展、北海道立近代美術館の展示順 
・画像は絵葉書を掲載しました。
・文章は相原求一朗が自ら各作品に添えた解説文の抜粋です。

《山峡新緑 羊蹄山》1995年
油彩/カンヴァス 80.3×130.1cm
相原求一朗美術館

・喜茂別という町を過ぎる....。
ふり返ると、はるか山の稜線にうす紫の小じんまりした羊蹄山が拗ねた私をねぎらうように、やさしい姿を見せていた。



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《山麓紅染む 旭岳》1995年
油彩/カンヴァス 97.2 ×130.2cm
相原求一朗美術館

・旭岳は大雪山系の主峰で2290メートル。
.....美瑛側から見るプロポーションが最も美しい。
...,,此処をダムにしようとする工事がいま始まっている。

〈忠別ダムは2007年竣工〉



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《潮騒に屹つ 利尻岳》1995年
油彩/カンヴァス 80.3×130.3cm
相原求一朗美術館

・海底から突如火山が爆発し、マグマを海上高く吹き上げ1700メートルの利尻岳ができたという。
.....錐状の溶岩は見るからに荒々しく、風化の痕跡もないまま、噴火の凄まじさをいまに。

〈利尻島、沓形岬公園からの眺めと思われます〉


《山頂残雪 雄阿寒岳》1995年
油彩/カンヴァス 80.3×130.0cm
相原求一朗美術館

・阿寒湖の湖面には、まだ名残りの氷が点々と浮いていた。
....観光シーズンは、もうま近である。



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《春宵 斜里岳》1995年
油彩/カンヴァス 89.3×130.1cm
相原求一朗美術館

・春の宵、肌をうす紅色に染め黄昏のけだるい大気の中で、ひそやかに呼吸するさまは、宛ら乙女のように清純で、艶やかである。

〈斜里岳の美しさのみならず永井荷風か谷崎潤一郎を髣髴する耽美な文章による山の描写力に驚きます〉


《錦繍装う 羅臼岳》1995年
油彩/カンヴァス 97.4×130.1cm
相原求一朗美術館

・知床横断道路....
霧が跡切れて、見る間に鋭い山頂が顔を出し、やがて黄と紅に彩られたあでやかな広い斜面がゆっくりと、午後の眩しい陽を浴びて姿を現わす。

《春の丘陵 トムラウシ山》1995年 油彩/カンヴァス 89.4×130.0cm
相原求一朗美術館

・丘の彼方、目指すトムラウシが純白の姿で眼下の大地を見下ろしている。まるで童話の世界。
私は神に感謝しながら、心はずませてコンテを走らせた。

《水ぬるむ 雌阿寒岳》1995年
油彩/カンヴァス 80.3×116.5cm
相原求一朗美術館

・時々キーンという鹿の鳴き声がする。
....眼下にオンネトーの白い湖が見えた。



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《雪の平原 十勝幌尻岳》1996年 
油彩/カンヴァス 89.5×130.5cm
相原求一朗美術館

・標高1846メートル、十勝幌尻岳の美しさは冬にとどめをさす。....


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《早暁 十勝岳》1998年
油彩/カンヴァス 112.0×194.0cm
相原求一朗美術館

・大自然の造形は完璧で、神々しいほどに美しい。
何故か年令を重ねるにつれて、この想いが深まるばかりである。....

絵葉書の作品の右下にKyu 1998と署名、日付を書き入れてあります。

絵葉書の裏には1991-1992年の制作と記入してある。

北海道立近代美術館の職員にそこを尋ねると、以下の回答あり。

1994年、六花亭製菓株式会社から北海道の名峰の連作を依頼された相原求一朗は既に制作してあった《早暁 十勝岳》1991-1992年の絵に加筆したが絵は傷んでしまった。

それで1998年に新しく描きなおした第二の作品がこの絵葉書に載ったということでした。

本展の《北の十名山》全作品にぐるりと囲まれて思うことは、山の絵に革命を起こした葛飾北斎『富嶽三十六景』の価値の偉大さを改めて感じ、それに倣ってサント=ヴィクトワール山のシリーズを描き続けたポール・セザンヌに思いを馳せた次第です。

古えより続く山の絵の連作は21世紀を目前に生きた相原求一朗(1918-99)《北の十名山》に継承されていたのです。

天然自然に畏敬の念を持って真摯な姿勢で臨んだ相原求一朗の誠実な人間性がこの連作《北の十名山》からよ〜く伝わり感動しました。



生誕100年 歿後20年
相原求一朗 の軌跡
ー 大地への挑戦 ー   

北海道立近代美術館にて公開中
4月19日〜 5月26日 2019

# by abdulmajid0922 | 2019-05-01 09:58 | Comments(0)

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毎日新聞夕刊の連載小説(1989年2月20日-12月31日)

著者が長野県軽井沢から同じ県内の東御市勘六山というところへ別荘を移したのは平成三年(1991年)のことです。

平成十六年(2004年) 死去するまで
過ごした自宅を『勘六山房』と称して著者自らショベル・カーを駆使し、地元の土で陶器を焼く窯があり、骨壺づくりは有名であったという。


本作は舞台を若狭に設定し、すでに心筋梗塞の兆候がある藤堂伊作にこう語らせています

「....苦労多い人生を暮らして、その果てに入る壺がそっけない。

自分でつくった気にいる壺に入りたい」

・伊作は死んだ後にも「欲」があり、生きている者に方針を従わせ「我」をしっかり通す意思の強い人であることが読みとれます。

本作は日常を両親や兄との思い出とともに暮らす七十歳の藤堂伊作の言動に著者の生き方、価値感、思想を感じとることができます。

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陶芸家、河井寛次郎(1890-1966)が昭和三十年(1955年)のこと、文化勲章授与を辞退したエピソードを孫に話して聞かせます。


伊作は受賞者を讃えるのではなく、その褒美に至るまで支え続けた表に出ない人びとを賞賛するのです。
孫には縁の下の力持ちのような伊作の望む人になれというのです。


自己肯定感の強い伊作は長男誠市にではなく孫に自分の思想を仕込むのです。


著者自身は素直に表舞台に立ちたくさんの賞を受賞しました。


伊作の計画に協力している男は女に
新しい運動靴を買ってあげようと、
脚気がひどくなった女の足の寸法をはかるとき紐をつかったか...
と男と女の刹那を伊作に想像させ、官能的な足フェティシズムをさらりと描写しています。


足フェティシズムの権化は谷崎潤一郎。

著者は昭和五十年(1975年)『一休』で『谷崎潤一郎賞』を受賞。



昆虫や野鳥、獣、草木等、動植物の名前を次々と書き出し、天然自然に生息する動物の異性間の行動と人間との類似性をあげ、人間はその生態系の一部と謳う大いなる生き物讃歌です。


# by abdulmajid0922 | 2019-04-01 11:08 | Comments(0)
原作:川口松太郎(1899-1985)
脚本:田中澄江
美術:間野重雄
照明:伊藤幸夫
撮影:宮川一夫(1908-1999)
音楽:池野成
監督:吉村公三郎(1911-2000)
助監督:小松原力 阿部 毅 井上芳夫
出演:京マチ子、山本富士子、船越英二、山村聰、芥川比呂志......

『夜の蝶』
1957年/大映株式会社製作
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17世紀オランダの画家、
ヨハネス・フェルメール(1632-1675)絵画を髣髴する映像が見られます。

左側の窓からの日射し。

窓辺に佇む女性。

楽器を配置。

左手前に椅子。

音楽家を目指す役の船越英二の座るベッドの奥には白いカーテンがかけられています。

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ほとんどのフェルメール絵画は映画の一場面を見るようで、観覧者は勝手な物語を創作しやすく、絵画の世界に闖入して愉しめるのが大きな特徴です。

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今日こそフェルメールといえば知名度がかなり高いのですが、
1957年に於いてフェルメール絵画の再現を試みたと思われる映像作家たちの美意識の高さに驚嘆する次第であります。


# by abdulmajid0922 | 2019-03-01 16:34 | Comments(0)
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レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)
『トビトとアンナ』1626年

Rembrandt van Rijn
“Anna Accused by Tobit of Stealing the Kid”
油彩/板 39.5×30cm
アムステルダム国立美術館

Image:Wikimedia

レンブラントが18歳の時、半年間ほど師事した、カラヴァジェスキ、ピーテル・ラストマンのバロック絵画の影響を受け、15世紀のヤン・ファン・エイク等の伝統的な画法を受け継いだ写実的細密描写です。

人物の劇的な表情に加え、心理状態までをも描いています。

左下角にはヤン・ファン・エイクがしたように署名・日付を書いています。

左側窓からの明るい日射しとキアロスクーロ。


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レンブラントの弟子、
ヘラルト・ダウ(1613-1675)
《田舎の料理人の女》(水を注ぐ女) 1640年頃

Gerard Dou
"La Cuisinière Hollandaise"
(Woman Pouring Water into a Bowl)
油彩/板 36×27.4cm
ルーヴル美術館

Image:edmée de xhavée

左側窓からの明るい日射しとキアロスクーロ。

フェルメール《牛乳を注ぐ女》1658年頃 はこの作品から影響を受けたものと思われます。


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ヘラルト・ダウ
『クラヴィコードを弾く婦人』1665年頃

Gerard Dou
"Woman at the Clavichord"
油彩/板 37.7×29.8cm
ダリッジ美術館、ロンドン

Image:Wikipedia

左側窓からの明るい日射しとキアロスクーロ。

豪華なカーペット。

フェルメール《ヴァージナルの前に座る女》1675年頃 はこの作品から影響を受けたのであろう。

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ヘラルト・ダウの弟子、
クヴィリング・ファン・ブレーケレンカム(1622-1669頃)
《仕立て屋の仕事場》1661年

Quiringh Gerritsz. van Brekelenkam
“The Tailor‘s Workshop”
油彩/カンヴァス  66.0×53.5cm
アムステルダム国立美術館

Image:Wikipedia

仕事場には
左側窓からの明るい日射しが注がれています。

左手前に引いた椅子の配置はフェルメール絵画にも見られます。


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ハブリエル・メツー(1629-1667)
《手紙を読む女》1664-1666年頃

Gabriël Metsu
"Woman Reading a Letter“
油彩/板 52.5×40.2cm
アイルランド国立美術館

Image:Wikipedia

《手紙を書く男》"Man Writing a Letter“ との対作品です。

フェルメール絵画に見られた市松模様の床、海洋絵画、オコジョのファーで縁取りした女性の黄色い上着が描かれ、フェルメールの影響を受けています。

メイドの左手に持つ手紙の宛先には
「メツー氏、アムステルダムへ、郵送」と署名をしています。


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ハブリエル・メツー
《手紙を書く男》1664-1666年頃

Gabriël Metsu
"Man Writing a Letter"
油彩/板 52.5×40.2cm
アイルランド国立美術館

Image:Wikipedia

左側窓からの日射し。
手紙。
テーブルに掛けられた豪華なカーペット。
大理石の床。
壁の下部にはデルフト陶器のタイル。
フェルメール絵画に見られたモチーフです。

右上角に署名しています。


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レンブラント、ヘラルト・ダウ、ピーテル・デ・ホーホ等....から影響を受けた、ヨハネス・フェルメール(1632-1675)
《牛乳を注ぐ女》1657-1658年頃

Johannes Vermeer
"The Milkmaid"
油彩/カンヴァス 45.5×40.6cm
アムステルダム国立美術館

Image:Wikipedia

メイドの動作はヘラルト・ダウ
《田舎の料理人の女》(水を注ぐ女) 1640年頃
を確かに想起させます。

17世紀オランダの室内画を列挙しましたが、ここにこれらの絵画の種明かしのような原点を紹介します。

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15世紀初期フランドル派の創始者、革命的な画家ヤン・ファン・エイク(1390/95-1441)がすでに左側窓から射し込む光を描き、板に油絵の具による細密描写技法の絵画の総本山が完成していました。

《アルノルフィーニ夫妻像》1434年

"Portret van Giovanni Arnolfini en zijn vrouw"
"The Arnolfini Portrait"

油彩/三枚のオーク材 
81.8 ×59.7cm 
ナショナル・ギャラリー、ロンドン

Image:Wikipedia

・フェルメール絵画には獅子頭で描かれていた椅子の背の頭頂部に彫られたフィニアルが家具の上部に数点、見られます。

・夥しい数のモチーフの中で驚嘆すべきは、凸面鏡の側面の10個の小さな円の中、すべてにキリストの受難の場面が描かれています。

・壁に掛けた鏡の上部に
Johannes de eyck fuit hic. 1434
ヤン・ファン・エイクここにありき 1434年」と独創的な美しい装飾文字をラテン語で署名・日付をしています。

ヤン・ファン・エイクは
署名を入れた画家の先駆者です。

後世の若き画家たちに計り知れない影響を及ぼした記念碑的な作品があったのです。




# by abdulmajid0922 | 2019-02-01 09:15 | Comments(0)
2019年はレンブラント没後350年


レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)は生誕の地ライデンで1624年、18歳のときに自分のアトリエを持ちました。

1624年頃-1625年頃に描かれた ‘Five Senses’ のオリジナル絵画は20×18cmほどのオーク板に油彩です。

『五感』は16世紀以来、人気のあったテーマでした。


北部のヨーロッパ の風俗画の伝統に則った絵を描いています。

題名の言葉に二つの意味を込めて遊ぶのです。

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《眼鏡売り》(視覚の寓意)
"Spectacles Seller (Allegory of Sight)"


イヤリングを付けファッショナブルで信用できない行商人の売る箱に入っている眼鏡を視力の弱い老夫婦がいろいろ見ています。

オランダの言い伝えで「誰かが眼鏡を売る」とは人を欺くことを意味します。
(参考: The Senses (Rembrandt)-IPFS)


(視覚の寓意)ではvisionとobservationとの両方の意味を探っています。


(参考:Spectacles Seller
(Allegory of Sight),
 What Rembrandt Did as a Teenager : 4 of His ‘Sense’ Works 
Are Reunited.  nytimes.com)

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《失神した人》(嗅覚の寓意)
"Unconscious Patient (Allegory of Smell)"

2015年9月22日、ニュージャージー州、Nye&Companyのオークションに登場した作品です。

棚のハサミ、ナイフ、カミソリなどからイヤリングと金のネックレスを飾り付けた男性はイカサマ師で知られた理髪外科医。


毛皮のフード付きマントルを着た、非常に心配している老女は気付け薬を含ませた白いハンカーフを嗅がせているのです。


カラフルなハウスコートを着た若者は右腕を出していることから17世紀では普通の治療法だった刺絡をするまえに失神してしまったようです。


ヤブ医者や老女のことのみならず、
根性のない、ひ弱な若者を嘲笑しています。


この絵だけ上の右角にモノグラムRHFと署名があります。

RHF=Rembrandt Harmenszoon Fecit.
=Rembrandt,son of Harmen,
Made this.
=レンブラント、ハルメンの息子が作成した。
(参考:The Senses(Rembrandt)-IPFS)



*パッと目につく理髪外科医の上着に輝くボタンの画法は数十年後、デルフトのフェルメールの多くの絵画に見られます。

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《手術》(触覚の寓意)
"Stone Operation (Allegory of Touch)"

ネーデルランドに古くからあった寓話に基づいています。

旅するイカサマ師の理髪外科医がショーで見せる愚かな石を除去することによって愚かさを治療するという「石の手術」このような手術は実際には行われていませんでした。

"頭から石を除去する"とは一般に普及していた言葉であり、
愚かで容易に騙される人を嘲笑する言葉です。


カラヴァジェスキの師匠ピーテル・ラストマンの影響かドラマチックなキアロスクーロでしわしわのおばあちゃんが持つロウソクだけの明かりが場面を照らしています。


*被害者の両手の力を込めた握り拳、歯をきつく食いしばって耐える表情が実に痛々しいのですが、
泣き止まない赤ちゃんのようにも見え可愛いらしさが伴っています。


・除去されるのはぼってりした男の腹に収められた財布の中身です。


・理髪外科医(barber-sergeon)は、レンブラントの父親がモデルの可能性あり。
(参考: The Senses (Rembrandt)-IPFS)

*ヒエロニムス・ボス
《患者の石の切除(愚者の治療・いかさま) 1475-1480頃 
油彩/板 49×35cm プラド美術館

150年ほど前に同じテーマを描いています。



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《三人の歌い手》(聴覚の寓意)
"Three Singers (Allegory of Hearing)"

楽しげな高齢の男性と女性の歌い手に加わる後ろの若者はレンブラントと同じ工房の友人、画家のヤン・リーフェンスです。


高齢になっても音楽に関わり、調和のとれた生活を送る理想を暗示しているのです。


男性の毛皮の胴着、老夫人のターバンといい、現代的ではない服装が寓意的な特徴をさらに醸し出すのです。


・"Stone Operation" でロウソクを描きましたから本作では省きましたがここでも、光の描写はカラヴァッジョの影響を受けています。

(参考: Three Musicians
(Allegory of Hearing) 
The Leiden Collection 
theleidencollection.com)


*第五番の作品 (味覚の寓意)はおよそ400年前の展覧会以後行方知れずです。

(参考:  What Rembrandt Did as a Teenager : 4 of His ‘Sense’ Works 
Are Reunited.  nytimes.com)

(画像 : Rembrandt Re-create)

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リ・クリエイトでよみがえる
光と影の世界

フェルメールとレンブラント
オランダの2大巨匠展


# by abdulmajid0922 | 2019-01-01 09:44 | Comments(0)
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本書、草枕 の章より

......「探偵」は漱石自身の被害妄想、関係妄想ともからんだ言葉である。

誰かが自分を「探偵」しているという妄想にかられた彼は、本当は自分の中に強力な「探偵」を飼っていたのだ。......


そこで「ガッテン!」承知の助

早速、改めて夏目漱石の作品を読み直し探偵とつながる箇所を以下に列挙した。


処女作『吾輩は猫である』から絶筆となりました未完『明暗』に至るまで、探偵、尾けられるということに夏目漱石は極めて強い執着のあることがわかりました。


モーパッサンが追躡妄想であったことが森鷗外『沈黙の塔』に書かれています。


『坊っちゃん』では翌日学校へ行くと昨日の行動が知れ渡っている。

『こころ』では雑司ヶ谷霊園にて「K」の墓参りを済ませた「先生」が「どうして、どうして.....」と「私」に問い詰める。

このくだりは夏目漱石は幾つもの病いに加えて追躡妄想にも患わされていたのではあるまいかという気がしてなりません。


1『吾輩は猫である』より

..,,,吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある。


.....例によって金田邸へ忍び込む。


ー何探偵?ー

もってのほかの事である。

およそ世の中に何が賤しい家業だと云って探偵と高利貸ほど下等な職はないと思っている。


「無論ただの商売じゃない。探偵と云ういけすかない商売さ。
あたり前の商売より下等だね」

「君そんな事を云うと、ひどい目に逢うぜ」

「ハハハそれじゃ刑事の悪口はやめにしよう。......」


探偵と云う言葉を聞いた、主人は、急に苦い顔をして....,
探偵について下のような事をさも大議論のように述べられた。


2 『坊っちゃん』より

.......学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚ろいた。

何だか生徒全体がおれ一人を探偵しているように思われた。

くさくさした。

・沖釣の船上にて野だいこと赤シャツとの会話から聞こえる〜


......バッタだの天麩羅だの、団子だのというところをもって推し測ってみると、何でもおれのことについて内所話しをしているに相違ない。


・野だと赤シャツの芸者遊びの証拠をつかもうと〜

.....温泉の町の枡屋の表二階へ潜んで、障子へ穴をあけて覗き出した。

....おれと山嵐は一生懸命に障子へ面をつけて、息を凝らしている。

チーンと九時半の柱時計が鳴った。

.....角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾けた。.......


3『草枕』より

....,.五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思ってる。


・観海寺の和尚との会話〜

「衛生じゃありません。探偵の方です」

「探偵? なるほど、それじゃ警察じゃの。

いったい警察の、巡査のて、何の役に立つかの。

なけりゃならんかいの」


.....,,余のごときは、探偵に屁の数を勘定される間は、とうてい画家にはなれない。

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新宿区立 漱石山房記念館に隣接する漱石公園にて咲く ソメイヨシノの奥は「道草庵」


4『彼岸過迄』より

ー停留所ー

.....敬太郎は警視庁の探偵見たような事がして見たいと答えた。

「じゃするが好いじゃないか、訳ないこった」

「ところがそうは行かない」
 敬太郎は本気になぜ自分に探偵ができないかという理由を述べた。

元来探偵なるものは世間の表面から底へ潜る社会の潜水夫のようなものだから、これほど人間の不思議を攫んだ職業はたんとあるまい。

それに彼らの立場は、ただ他の暗黒面を観察するだけで、自分と堕落してかかる危険性を帯びる必要がないから、なおの事都合がいいには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴露にあるのだから、あらかじめ人を陥れようとする成心の上に打ち立てられた職業である。

そんな人の悪い事は自分にはできない。

.....,それは黒の中折に霜降の外套を着て、顔の面長い背の高い、瘠せぎすの紳士で、眉と眉の間に大きな黒子があるからその特徴を目標に、彼が電車を降りてから二時間以内の行動を探偵して報知しろというだけであった。

敬太郎は始めて自分が危険なる探偵小説中に主要の役割を演ずる一個の主人公のような心持がし出した。


ー報告ー

.....,,.「実はあなたの後を跟けてわざわざ江戸川まで来たのです」
と云って松本の顔を見ると、案外にも予期したほどの変化も起らないので、敬太郎はまず安心した。

「何のために」
と松本はほとんどいつものような緩い口調で聞き返した。

「人から頼まれたのです」

「頼まれた? 誰に」 
松本は始めて、少し驚いた声の中に、並より強いアクセントを置いて、こう聞いた。


5『行人』より

ー塵労ー

......,,「はなはだ御迷惑かも知れませんが、兄といっしょに旅行される間、兄の挙動なり言語なり、思想なり感情なりについて、あなたの御観察になったところを、できるだけ詳しく書いて報知していただく訳には行きますまいか。

その辺が明瞭になると、宅でも兄の取扱上大変便宜を得るだろうと思うんですが」

「そうさね。
絶対にできない事もないが、ちっとむずかしそうですね。
だいち時間がないじゃないか、君、そんな事をする。
よし時間があっても、必要がないだろう。
それより僕らが旅行から帰ったらゆっくり聞きに来たら好いじゃありませんか」 
      

.....手紙は下のように書いてあった。「長野君を誘って旅へ出るとき、あなたから頼まれた事を、いったん引き受けるには引き受けたが、いざとなって見ると、とても実行はできまい、またできてもする必要があるまい、もしくは必要と不必要にかかわらず、するのは好もしい事でなかろう.....


......現にその人のいる前で、その人の事を知らん顔で書いて、そうしてそれをそっと他に知らせるのはちょっと私にとってはでき悪いのです。

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《漱石胸像》
富永直樹(1913-2006)製作
ブロンズ 1991.FeB.9,
新宿区立 漱石公園

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右碑面:漱石自筆「則天去私」

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左碑面:漱石自筆の俳句

ひとよりも空 語よりも黙 

肩に来て人なつかしや赤蜻蛉


6『こころ』より

....,私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。

......そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。

先生は突然立ち留まって私の顔を見た。

「どうして……、どうして……」 先生は同じ言葉を二遍繰り返した。

その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。

私は急に何とも応えられなくなった。

「私の後を跟けて来たのですか。どうして……」 
先生の態度はむしろ落ち付いていた。

声はむしろ沈んでいた。

けれどもその表情の中には判然いえないような一種の曇りがあった。 


7『道草』より

......健三はすぐ眼をそらしてまた真正面を向いたまま歩き出した。

けれども相手は道端に立ち留まったなり、少しも足を運ぶ気色なく、じっと彼の通り過ぎるのを見送っていた。

健三はその男の顔が彼の歩調につれて、少しずつ動いて回るのに気が着いた位であった。

 彼はこの男に何年会わなかったろう。

 ....六日目の朝になって帽子を被らない男は突然また根津権現の坂の蔭から現われて健三を脅やかした。

それがこの前とほぼ同じ場所で、時間も殆どこの前と違わなかった。 


その時健三は相手の自分に近付くのを意識しつつ、何時もの通り器械のようにまた義務のように歩こうとした。

けれども先方の態度は正反対であった。

何人をも不安にしなければやまないほどな注意を双眼に集めて彼を凝視した。

隙さえあれば彼に近付こうとするその人の心が曇よりした眸のうちにありありと読まれた。

....「私ゃ島田に二度会ったんですよ、姉さん。これから先また何時会うか分らないんだ」

「いいから知らん顔をして御出でよ。何度会ったって構わないじゃないか」

「しかしわざわざ彼所いらを通って、私の宅でも探しているんだか、また用があって通りがかりに偶然出ッくわしたんだか、それが分らないんでね」 
この疑問は姉にも解けなかった。



8『明暗』より

・津田と清子との会話〜

「僕が待ち伏せをしていたとでも思ってるんですか、冗談じゃない。

いくら僕の鼻が万能だって、あなたの湯泉に入る時間まで分りゃしませんよ」

「なるほど、そりゃそうね」

津田は仕方なしに側面から向った。

「それでは、僕が何のためにあなたを廊下の隅で待ち伏せていたんです。
それを話して下さい」

「そりゃ話せないわ」

「そう遠慮しないでもいいから、是非話して下さい」

「遠慮じゃないのよ、話せないから話せないのよ」......。

.....「そんならそうと早くおっしゃればいいのに、私隠しも何にもしませんわ、そんな事。
理由は何でもないのよ。
ただあなたはそういう事をなさる方なのよ」

「待伏せをですか」

「ええ」

「馬鹿にしちゃいけません」

「でも私の見たあなたはそういう方なんだから仕方がないわ。

嘘でも偽りでもないんですもの」

「なるほど」 
津田は腕を拱いて下を向いた。.......
(青空文庫)


*探偵に執着する夏目漱石の精神的な特性がこれほどの作品群に見出だすことができたことにはとても驚きました。


つまり、生涯に亘って妄想から逃がれることができずにいたということであり大変に痛ましい人生だったであろうと思い知らされた次第です。


妻子に向かっては癒されることがない夏目漱石にとって、可愛い、可愛い青春を盛り上げたような男たちがやってくる「木曜会」が最高の慰めであり救いであったろうと思われます。

# by abdulmajid0922 | 2018-12-01 09:11 | Comments(0)
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《岩内郊外の安達牧場へ向かう有島武郎と木田金次郎》

〔有島武郎、死の前年の1922年(大正11年7月)木田金次郎の友人による撮影〕

服装が二人のおかれた境遇を雄弁に語っています。

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《ポプラ》
1924年(大正13年) 木田金次郎31歳
油彩/カンヴァス 52.9×40.8cm
個人蔵


有島武郎好みの
明るいフランス印象派の風景画を髣髴する作品です。


有島武郎の死から一年後の作品。


1910年(明治43年)
木田金次郎17歳のとき、
札幌市内を流れる豊平川沿いのリンゴ園の中にあった有島武郎の家を偶然見つけてからふたりの交流が始まりました。

既にコロー、ミレーの作品は知っていましたがセザンヌについては有島武郎の持っていた複製画で初めて知り驚異の瞳を見張りつつ眺めいった木田金次郎でした。(木田金次郎著述文)

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《朝鮮金剛山》
 1928年(昭和3年) 木田金次郎35歳
油彩/カンヴァス 45.7×61.0cm
木田金次郎美術館


展示会場で異彩を放つ唯一の透明感のある爽やかな青色ではっきりした遠近感が描かれており最も印象的な作品です。


木田金次郎は1928年(昭和3年)35歳のとき、満洲・朝鮮を写生旅行しました。

北海道以外を描いた風景画は本作と
会場で隣りに展示されている《大連風景(老虎灘)》の二点しか残っていないという貴重な作品です。

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《バラ(絶筆)》
1962年(昭和37年) 木田金次郎69歳
油彩/カンヴァス 64.8×53.3cm
木田金次郎美術館

木田金次郎の死後、アトリエのイーゼルに載ったままだったという本作は、『木田金次郎 新作展』で東京、大阪、福岡、札幌を巡回した後、渡す約束をした方の為に加筆していた最中だったのでした。

リンゴ、牡丹などの静物画では鮮やかな赤色を大胆に使用しています。

散る花、咲き誇る花には周りのみんなに支えられて生きる人の儚い一生を見るおもいがいたします。

光をふんだんに描き生命力にあふれたバラの花々の赤色の濃淡が観覧者の気持ちを生き生きとさせ掉尾を飾るにふさわしい作品です。

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『木田金次郎 画集』
発行/木田金次郎美術館 1999年
〈表紙カバー《春のモイワ》1961年〉


『生れ出づる悩み』出版100周年記念
「有島武郎と木田金次郎」展

2018年10月13日〜11月4日

会場:札幌 JRタワー プラニスホール


# by abdulmajid0922 | 2018-11-01 10:12 | Comments(0)
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舞台は花の東京、八百八町。
鳥居忠重部長の伝法な六方詞に江戸落語の趣きがあり、痛快な捕物帳が展開されることを予想して最後まで読む者の心を惹きつけるのです。

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荒木刑事巡査の江戸詞は、どこかわざとらしい気がし、生まれも育ちも深川と言ってはいるが、本当に江戸っ子かどうかと訝る岡崎巡査です。


この岡崎の疑惑は黒猫先生と荒木との会話があったあとの黒猫先生の発言で正解がわかります。


ラフカディオ・ハーン、ヘーゲル先生、黒猫先生の登場により『夏目漱石』ファンであることは一目瞭然であり、著者の純情な人柄を感じとることができます。

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「黒田清隆之像」
(1967年北海道開拓100年記念に設置されました。札幌市中央区大通西10丁目)



『開拓使官有物払い下げ事件』
『上奏事件』
『明治十四年の政変』
『四将軍』
『月曜会』


史実を書いた章であり、とても勉強になりました。


時代設定を明治にしたことに独創性を感じ日本のサーベルとフランスのレイピアとの違い等.....
読者を飽きさせないようモチーフを随所に書き込まれていますので、あっと言う間に読了しました。

# by abdulmajid0922 | 2018-10-01 13:51 | Comments(0)
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本書は
河村泳静氏に遺贈されたフランク・シャーマン コレクションを調査するうちに発見した今まで語り伝えられ書き継がれてきたものとは違う、戦後日本の文化情景が書かれています。

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『なぜ日本はフジタを捨てたのか?』
藤田嗣治とフランク・シャーマン
1945〜1949
美術ジャーナリスト 富田芳和


・昭和二十年十二月三日の新聞に掲載されたフジタの談話より
戦争画を描いたフジタの頭の片隅にはさまざまな戦いの絵を描いたウジェーヌ・ドラクロワが存在していたことがわかります。


・フジタを確実にアメリカに入国させるためのフランク・シャーマンの企画で、
1947年(昭和22年)9月2日から
NY・ケネディ画廊でフジタの個展を開催しました。

それを知った、
当時アメリカ美術家協会初代会長に推されていた国吉康雄と、藤田嗣治をファシスト・フジタと呼び抗議しようとするコミュニスト、ベン・シャーンとの二人により展覧会は妨害を受けました。


2018年4月〜6月 北海道立近代美術館にて公開された、

『フランク・シャーマン コレクション  あるアメリカ人が見た戦後日本美術』

では国吉康雄とベン・シャーンの作品が展示してありました。

「えっ! 
なぜこの二人の絵がここにっ!」

観覧者は不思議な気分になります。


尚、展示品の中には、
藤田嗣治の入会を拒否した『新制作派協会』の猪熊弦一郎のNYの自宅で若き芸術家たちと寛いでいるようすをフランク・シャーマンが撮影した写真を展示してありました。


猪熊弦一郎は太平洋戦争勃発の頃から、軍部主催の戦争画展に大作を出展し、戦争画の大家として注目を集めていたのです。


藤田嗣治は自分を拒否した猪熊弦一郎らを生涯許さなかったという。

しかし彼らとも親しく交流し、作品をも蒐集したフランク・シャーマンの心情を忖度するにあたり、
不偏不党の立場を貫き、マッカーサー元帥の二人の副官のうちのひとり、
バンカー大佐がフランク・シャーマンに与えたミッションに忠実に生きた結果だったのだと思えばいいのか?.....。



・昭和十九年の東京美術学校が起こした《美校事件》美校クーデターは興味深い話です。

君代さんが
フジタの遺品を東京藝術大学に寄贈したことは泉下の画伯さぞかし驚いていることであろう。

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本書が大いに巷に流布し、
フランク・エドワード・シャーマン(Francis Edward Sherman 1917-1991)
の名が更に世に広まることを期待します。


本書を一頁、一頁めくるたびにそれから?、それから?と大いにときめき楽しく読了しました。


# by abdulmajid0922 | 2018-09-01 11:26 | Comments(0)

伊藤若冲《象図》の巻

若冲十三歳、享保十四年(1729年)四月、
徳川幕府八代将軍 吉宗に請われてベトナムより渡来した象一行は長崎から江戸に向かう途中、京都に寄り朝廷に参内しています。


天皇の御前にてかしこまっているかのようなポーズの、真正面から捉えた高さが155cmもある象のように大きなこの象のモチーフは六曲一双の大作《樹花鳥獣図屏風》にも見られます。
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伊藤若冲《象図》寛政二年(1790)

  • 紙本墨画 軸装
  • 155.5×77.3cm  
  • 東京富士美術館

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(部分)
墨で象の鼻のシワも描いています。

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(部分)
(Google Arts&Culture)

落款「米斗翁筆七十五歳画」

印章「藤女鈞印」(白文方印)、
       「若冲居士」(朱文円印)
         円印の大きさは4-5cmほどあります。


会場で隣に展示されている二点の《鶏図》も同じ印章です。

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  • 東京富士美術館開館35周年秘蔵選 
    日本の美 百花繚乱
    北海道立近代美術館


# by abdulmajid0922 | 2018-08-11 11:36 | Comments(0)

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河村泳静氏とフランク・シャーマン
1988年 ソウルにて
(河村氏の許可を得て掲載しています)


『フランク・シャーマン コレクション選』はこの写真から始まり、始まり〜。

四月〜六月に北海道立近代美術館にて初公開された

『フランク・シャーマン コレクション  あるアメリカ人が見た戦後日本美術』

に続いて第二回目は北海道立三岸好太郎美術館での公開です。

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ある時、藤田嗣治に「君はガートルード・スタインになればいい」と言われた(出典:富田芳和著
『なぜ日本はフジタを捨てたのか?』
藤田嗣治とフランク・シャーマン
1945〜1949)
フランク・エドワード・シャーマン Francis Edward Sherman(1917-1991)が、その通り戦後日本の若き芸術家たちのためにサロンを用意し、寿司パーティーを頻繁に開き、そこで自由に遊ばせ、彼らの心の支えになることとなったのです。


日本の芸術家たちがアメリカで躍進する手助けをし、それらを成功させた事実、シルクスクリーン技術の指導等々、
日本人に与えたフランク・シャーマンの功績は誠に偉大です。

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《古い家(ベニス)》

フランク・シャーマンと親交があった、

・猪熊弦一郎(1902-1993)
《パステル風景画集》全12点揃が展示されています。

1939-40年 リトグラフ

4/125

手彩色/紙  33.2×49.1cm


・ヴェネツィアの古い建物

《古い家(ベニス)》

この作品から連想するのは、

アンリ ・ド・レニエ著

森林太郎訳 『復讐』という短編小説があります。

いかにも鷗外好みの物語で、
老翁が甥のバルタザールの青春を妬んでしまうのです。

ゴンドラの舟がごぼごぼと揺れる運河に面したバルタザールと親友ロレンツォの並んだ館を描いた「挿絵」であるかのような偶然にもそっくりなイメージなのです。


・♪プッチーニ『ジャンニ・スキッキ』で有名なフィレンツェのヴェッキオ橋

《ポントベッキョ(フローレンス)》


・フィエゾーレの夏には野外オペラが観られる円形劇場跡

《円形劇場の跡(イタリー ヒエゾーレ)》


の三点がイタリアの風景であり、制作が1939年か1940年なのか名前以外サインはしてありません。


あと九点はすべてフランスの風景です。

見るや否や ♪プッチーニ『ラ・ボエーム』の舞台セットにふさわしいと思える、遠景にサクレ・クール寺院が見える

《ビュット モンマルトル》

この一点だけが1940年の作品とわかる 

'40 弦 guèn  g.Inokouma 

とサインしてあります。


他の八点は1939年の作品です。

フランスの風景は葉がほとんど落ちた季節なのですが、唯一

《ルロット(ブールバル サンジャック)》

何台も駐車されたルロットの上の空を覆い尽くすほど青々と葉が茂る並木道を描いています。


直筆のサインは
guèn 弦
g. Inokouma.   '39


長い時の流れを感じる約40×60cmほどの全12点を収めていた帙がガラスケースの中に展示されています。


帙の表紙には1914年に完成したモンマルトルの丘に建つサクレ・クール寺院のバジリカ聖堂が大きく聳え、遠近感のある石畳の小路の奥でハイヒールを履いたエプロン姿の女給がひとり佇む聖と俗が描かれています。


アコーディオンが奏でるシャンソンが一曲、流れてきそうなまるでルネ・クレールやジュリアン・デュヴィヴィエの美しい映画のワンシーンを見るような絵です。


1940年作品の色付けしていないリトグラフです。赤い文字で大きく

Guèn と書かれています。


《パステル風景画集》全12点揃は猪熊弦一郎、最後の具象画であり、戦時中に描いた戦争画の後は抽象画に移行したと河村泳静氏の解説がありました。


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・フランク・シャーマン コレクション以外、世界中のどこにも残されていないフジタの愛用した眼鏡とケースが展示されています。



・1950年代、NY在住の猪熊弦一郎夫人フミさんの肩や背中にお灸をすえる棟方志功夫人が写った滑稽な姿のお二人の写真、その光景を見て笑っているそれぞれのご主人を写したフランク・シャーマンの「写真アルバム 6 」があります。
(会場にて河村泳静氏に説明して頂きました Aug./4/2018)



板がなくてリノリウムに彫り、インクがなくて、油絵の具で刷ったという

・朝井 清(1901-1968)

《〔軍都最後の日〕広島の夕焼》1945

リノカット/紙  29.8×44.7cm


広島原爆投下の翌日の夕焼け空の風景を、現在の平和記念公園側からの様変わりした「広島県産業奨励館」を描いた作品です。


原爆ドーム(広島県産業奨励館)を中心に仰ぎ見るように大きく、若干俯瞰するようなアングルで大地に横たわるたくさんの死体を、幹だけが辛うじて残った樹木を描く、時の経過のせいか、セピア色の作品です。


まだ、熱気が伝わるような

オドロオドロしいどよめきうねる夕焼け雲を空いっぱいに描いています。


日本版画協会展で、

フランク・シャーマンは当時のGHQの統制を怖れず発表した朝井 清の勇気に感心して購入したという。


*朝井 清が広島原爆投下の翌日、地上の地獄と天国の美しい夕焼けを見て興奮冷めやらぬうちにと、スケッチブックに夢中で描き上げた八月七日と本ブログの投稿が奇しくも同じ日付けになりました。

《〔軍都最後の日〕広島の夕焼》は

フランク・シャーマン コレクション選で最も印象に残る作品です。

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アートギャラリー北海道

河村泳静所蔵/伊達市教育委員会寄託

『フランク・シャーマン コレクション選』


2018年7月7日〜9月2日

北海道立三岸好太郎美術館


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出品作品リスト


# by abdulmajid0922 | 2018-08-07 11:50 | Comments(0)
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お盆が終わった夏休み、
親戚の伯父さんの家へ泊まりに行って花火をして遊んだ小学五年生の恭平は......。

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腹がスイカのように丸く突き出ている伯父さんと二人で遊びにきた玻璃ヶ浦の海に潜った恭平は水中眼鏡越しに二、三センチほどの青い魚を見つけた。.......



昔、昔、全身がぞっとするほどの恐怖感を味わわされた忘れ得ぬエラリー・クィーンの推理小説『Yの悲劇』が本書冒頭からふと蘇ってきました。

物理学者 湯川学はドルリー・レーンであり、恭平はジャッキー少年を髣髴するのです。


一気に読了し、
充分、存分に楽しむことができました。



# by abdulmajid0922 | 2018-07-01 11:36 | Comments(0)
ほぼ縦二等分し、左半分以上を占めて自画像を配置した大胆な構図が印象的です。

画面左上角から頬ひげの線、顎ひげの白い境目から斜め右下角に流れる一本の線が通っているので全体の安定感と美しさ、さらに像主の重量感を生み出しています。
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Paul CÉZANNE (1839-1906)
"Self-Portrait with a Hat" 1890-94
oil on canvas  
61.2×50.1cm
Bridgestone Museum of Art,
Ishibashi Foundation 


1921年大正10年3月5日-13日の事、
白樺美術館第一回展覧会(東京 京橋の星製薬画廊)にて日本初公開されたセザンヌの作品です。


セザンヌの死の翌年1907年、パリで開催された回顧展を観て感銘を受けた有島生馬は、
文芸誌『白樺』に『画家ポール・セザンヌ』を連載し初めてセザンヌの名を日本人に知らしめたのです。


*セザンヌの初めての個展で紹介された自画像の中の一枚です。

1920年に日本人の訪問者により購入されました。
(Google Arts and Culture)

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黒い線で明確に縁取られた上着のベージュ色の部分は塗り残しです。

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ベージュ色の部分に近づいて目を凝らして見ると、製作途中のような塗り残しです。

砥の粉を塗ったような色です。

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『ブリジストン美術館展
石橋財団コレクションの精華』展

北海道立近代美術館〜6/24.2018


# by abdulmajid0922 | 2018-06-03 12:26 | Comments(0)
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団子坂下から不忍通りを横断して谷中霊園へと続く一本道、三崎坂と谷中小学校

......安城民雄は千駄木駅で地下鉄千代田線を降り、三崎坂を上って、天王寺駐在所に向かった。
......

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安城清二、二代目警察官の安城民雄、三代目警察官の安城和也が歩いた、
天王寺山門前から見たサクラ並木

左側が下谷警察署 天王寺駐在所です。

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天王寺駐在所の直ぐそばの東京都指定旧跡『天王寺五重塔跡地』
(幸田露伴『五重塔』1892年(明治25年)のモデルになった五重塔です)


......昭和三十二年四月一日
三十五歳の安城清二巡査は上野署から谷中署に配属替え、天王寺駐在所勤務を命じられた。
......


一九五七年(昭和三十二年年七月)
放火により焼失した天王寺五重塔。

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天王寺山門の奥の青銅製の大仏像。

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一九六七年(昭和四十二年)
警視庁警察官、安城民雄が入学した北海道大学構内。

ケンタッキー・ブルーグラスの中央ローンの向こうにクラーク会館(一九六〇年・昭和三十五年竣工)



......民雄は、中央ローンの脇を抜けて、学生会館へと向かった。ここはクラーク会館と名付けられた建物で、生協の売店や食堂のほか、講堂もある。
.......

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札幌、薄野(すすきの)の夜景

警視庁公安部の要請で、札幌の公安担当となっている井上重治警部補にかつて、薄野連れてってやろうかと誘われた民雄が後日、井上警部補に.....


......「警部補、きょうどこかに連れていってくれませんか」
..,.,

井上は顔に明らかに憐憫の色を浮かべて言った。

「案内してやる。

おれが面倒みてやるさ」.....。

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三代目警察官、安城和也は警視庁目黒警察署中目黒駅前交番から自転車で上目黒四丁目へ向かった。


上目黒四丁目の
蛇崩・伊勢脇通りの一本北側には蛇崩川が暗渠化され、インターロッキング舗装が美しい中目黒に向かう蛇崩川緑道があります。


『警官の条件』で安城和也が美知という名の女性と三年弱の結婚生活で過ごした街、東急東横線 祐天寺は上目黒四丁目からでは徒歩数分の場所です。




# by abdulmajid0922 | 2018-05-01 13:39 | Comments(0)
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戦後の1945年11月から1957年にかけて日本に滞在した元GHQ民政官Frank Edward Sherman (1917-1991)はマサチューセッツ州のケープコッドで生まれました。


本展ポスターに使用されたハリウッドスターのブロマイドのような軍服姿のフランク・E・シャーマン

『1946年 奈良にて』


枝垂れ柳の幹にもたれ、猿沢池に望む興福寺の五重塔、強い審美眼をもつフランク・E・シャーマンの美意識の高さが一目瞭然。

構図はまるで浮世絵の世界です。

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伊原宇三郎画
《フランク・シャーマン像》1950年
油彩/カンヴァス  46.0×38.0cm


彫刻家、画家、デザイナーでもあったフランク・E・シャーマンは十四歳のときから藤田嗣治に強く憧れていました。

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フランク・E・シャーマンの進言により1949年、日本を離れニューヨークに向う藤田嗣治を見送る岡田健三と川端実。
photo by F.E.Sherman

バスに書かれた文字が懐かしい.....。

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・北海道立近代美術館 1F
『近美コレクション 名品選』ではフランク・シャーマンと交流があり、板橋区の凸版印刷にあった「シャーマン・ルーム」にも出入りしていた荻須高徳の油絵『薪炭屋』1954年 が展示され、
藤田嗣治が描いた愉快な漫画が見られます

2F会場ではイサム・ノグチの作品も展示され、

ガラスケースの中の展示品は、
・1951年、日本教育版画協会を設立した大田耕士の凸版印刷会社 シャーマン様宛にローマ字で書いた滑稽な季節の手紙、切手は3銭、4銭、7銭

・1956年NYから渋谷のワシントンハイツに住むシャーマン宛の猪熊弦一郎の書簡は、
展覧会のチケットのような一枚の紙に二人のメッセージが書かれています、
NYでの展覧会に見にきて欲しい、
セリグラフが沢山できた。
絵が2枚売れた。.......

米つぶほどの大きさの文字で小さな紙面に隙間なく書かれた猪熊弦一郎の文章にはシャーマンを愛し、慕い、信じている気持ちがようく表れているのです。


フランク・シャーマンが撮影した往時の貴重な写真も数々展示されています。

・NYにて猪熊弦一郎夫人の手料理の大皿を持ち上げて貪り食う棟方志功

・禿頭のイサム・ノグチ

・藤田嗣治が加筆して仕上げた二曲一隻の金屏風、二人の裸婦像図『Flowers』の前でワイシャツにネクタイ姿の土門拳がフランク・シャーマンの写真アルバムに収められています。

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図録
『河村泳静 所蔵 

フランク・シャーマン コレクション

あるアメリカ人が見た戦後日本美術』

北海道立近代美術館にて
〜6.24.迄、公開中です。


全く知らなかった彼の存在と功績。

戦後日本の若い芸術家たちを成功へと導き、支え、寄り添い生きたフランク・エドワード・シャーマンを大いに称え、顕彰すべきと感じます。


本展覧会の一観覧者は、
是非、フランク・シャーマンと彼ら男たちの美しき友情の映画化を望む次第であります。


今後に展開されるフランク・E・シャーマン コレクション展覧会を楽しみにしております。


Apr.24.2018

# by abdulmajid0922 | 2018-04-24 12:07 | Comments(0)
「日本橋殺人事件」の捜査のため、
日本橋警察署に勤務する加賀恭一郎、
警視庁捜査一課所属の松宮脩平、二人の刑事の足跡をたどることを読後に思いついた。

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題名の『麒麟の翼』は
日本橋の中程、両方の高欄に設置された青銅製の照明灯に飾られた麒麟像です。

この照明灯の下で、被害者は倒れたのです。

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午後九時頃、ナイフが胸に突き刺さった状態の被害者が通過した警視庁中央警察署日本橋交番の昼間の刹那。

枝垂れ桜といい、古き良き日本橋の情趣を瓦屋根の庇が醸し出しています。

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日本橋人形町にある浜町緑道公園に設置された「弁慶像」

弁慶の右手が「笠間稲荷神社」方向です。

三月下旬では浜町緑道公園に植栽された並木のソメイヨシノが満開です。

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新大橋通り

画像左側の緑が浜町緑道公園、右側が新大橋方向です。

警察官に追跡された容疑者は浜町緑道を駆け出し、この片側三車線の新大橋通りを横断しようとしてトラックに接触してしまうのです。

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日本橋人形町甘酒横丁にある
『にんぎょう町 草加屋』

昭和3年(1928年)創業の煎餅屋さん、
小説では「あまから」という店名。

通りからガラス越しに中の作業工程を覗くことができ、店内で自家製手焼き煎餅の実演を披露して販売しています。

大将自慢の煎餅は硬質で翁媼が召し上がる際はちょいと努力と工夫が必要です。

「新参者」の映画の広告が店先に....

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『日本国道路元標』日本の道路の起点

日本橋の北側、日本橋三越側に設置されています。


......「日本国道路元標。
つまり、ここから人々が日本中に飛び立っていく。

だから麒麟の背中に翼を付けたんだそうです」
.......

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大正八年創業の老舗の喫茶店
「喫茶去 快正軒」

骨董品のような型のノリタケの磁器の碗皿で香り豊かなブレンド珈琲を提供しています。

甘酒横丁の西側、人形町商店街を横断すると日本橋人形町一丁目です。

画像の奥に「玉ひで」、「小春軒」、「谷崎潤一郎生誕の地」があります。


日本橋を目指してこの通りの終点を右折すると、とても目立つ看板「小網神社」が立っており、お参りせよ!と歩みを誘われるのです。

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中央通りに面した日本橋にある有名な書店

......
「日本橋にいる人間が本屋に入るとすれば、まずはこの店だろう。.....」

書店の防犯カメラの映像から容疑者八島冬樹の行動を追う刑事たち。

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山手通りを散策中、歩道脇にハンバーガーの幟が立っていましたが、中目黒駅前の高層ビル地下にもハンバーガー・ショップがありました。

ここは小説に登場する店舗とは違うであろう、高校生が利用するには高価格の店です。



*アパートにあった
火葬された八島冬樹の骨壷の入った包みは福島へ帰る際の東京駅では中原香織の手になかった。


引越し業者に頼んだ荷物の中にあるということか.....。






# by abdulmajid0922 | 2018-04-03 16:56 | Comments(0)
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日本橋人形町甘酒横丁から人形町商店街を横断して日本橋川に向かうと、
「喫茶去 快生軒」、「玉ひで」、「小春軒」の次にレストラン「にんぎょう町 谷崎」があります。
建物の左手の壁には谷崎松子夫人の揮毫による黒御影石のプレートが設置されています。

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『谷崎潤一郎生誕の地 
1886-1965 
元東京市日本橋区蠣殼町二丁目十四番地
松子書』

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説明板
『谷崎潤一郎生誕の地』
所在地 中央区日本橋人形町一ー七ー一〇
中央区教育委員会

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隣の壁の看板に注目!

この生誕の地に立つと、
子供の頃の谷崎潤一郎を叱るときの、父親のべらんめえ口調が耳元で聞こえてくるようです。


# by abdulmajid0922 | 2018-03-31 09:29 | Comments(0)

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'Winter Landscape with Bird Trap' 

painted by
Pieter Brueghel the Younger 1601.

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(図録)

本邦初公開《鳥罠》

油彩/板 37.5×56.6cm

個人蔵/ルクセンブルク

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(Google Arts & Culture) 部分

凍った川の上でカーリングをする人々のすぐそばにはひび割れした大きな穴が開いています。

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(Google Arts & Culture)部分

戸板を仕掛けて、鳥を捕獲しようとしています。

戸板を支える、つっかえ棒には紐が付けられ右端手前の家の白い壁の窓に繋がっています。


常に危険と隣り合わせで生きているのは鳥のみならず、人間も同じ立場にあるのです。

ブリューゲルらしい主題です。

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ピーテル・ブリューゲル2世自身がこの主題の板絵を45点も描いたと図録には書かれています。


'Winter Landscape with Bird Trap'
'The Bird Trap'

BRUEGHEL 
150 YEARS OF AN ARTISTIC DYNASTY 

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ブリューゲル展 
画家一族150年の系譜

東京都美術館


# by abdulmajid0922 | 2018-03-28 21:59 | Comments(0)
コーエン兄弟で映画化されたら、ヒット間違いなしと映像美を空想しながら読了した。

三歳になる娘を車の中に置きっ放しにするところが複数回あり、きっと悲劇が起こる、きっと悲劇が起こると読者は著者の技巧に乗せられ、操られた。


無罪を言い渡した男に家族を狙われ、結局自分の手でその男を殺害することになった元裁判官の事件......。
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飼い犬のドーベルマンを角材が折れるまで叩きつける、ソシオパス武内はログハウスの暖炉の火でバウムクーヘンを焼く。


.....,
マントルピースのうえに一尋(ひとひろ)近い長さの丸竹が置いてある。
......


専門家以外、現代人には通じずとも、
竹棒の長さの単位を敢えて「尋」としたこの一文字できらりと文学の香りを放ち、ここに著者の小説家としての矜持を見て取ることができます。


 著者は今後の作品に期待できる数少ない現代小説家の一人であるといえよう。

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# by abdulmajid0922 | 2018-03-01 09:50 | Comments(0)
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明治期北海道の青春群像
有島武郎と未完の『星座』
「北海道立文学館」創立50周年記念特別展    北海道150年事業

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星野純逸上京送別記念 1897年初冬
北海道大学文書館所蔵

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(部分) 画像中央が「星野純逸」、斜め右下が「有島武郎」

『星座』に「星野清逸」で登場する有島武郎と同期の札幌農学校第19期生「星野純逸」23歳の在学中に肺結核で早逝。



『星座』より
・「星野」の千歳の実家にて

......
裏庭のすぐ先を流れている千歳川の上流をすかしてみると、五町ほどの所に火影が木叢の間を見え隠れしていた。

瀬切りをして水車がかけてあって、川を登ってくる鮭がそれにすくい上げられるのだ。

孵化場の所員に指揮されてアイヌたちが今夜も夜通し作業をやっているのに違いない。
......


・平成六年まで、鮭を採るための水車「捕魚車」(通称:インディアン水車)は千歳市の東端の根志越方面にあり、孵化場は支笏湖に向かう千歳市の西端の蘭越方面にありました。

従って、本書「星野」の千歳の実家の近くにありそうな「水車」と弟、純次の通う「孵化場」との位置関係といい、

実際に見てはいない夜中のアイヌの作業風景といい、

観念的な描写で、読者はその映像を浮かべやすいようにとの著者の芸術家たる創作美学の現れであるといえる。


「園」は、
「星野」から預かった手紙を懐にしまって演武場で時計台の鐘の音を聞いた。

時刻は、

【明治三十三年五月四日の午前十一時】

その日の夕方、「園」が「星野」から託された手紙を受け取り「おぬいさん」は読みました。

手紙に記された日付は 

【一八九九年十月四日夜】

 この七ヶ月の日付のズレ、以前からその間ずっと「星野」は手紙を保管していたとはあろうはずがない。

読者の頭の中を混乱させる年号と西暦と両方を書き分けた「日付」の違いに著者の動機を探ると、答えがすぐ分かるWebサイトがありました。

〈論文〉
札幌農学校植民学と有島武郎
『星座』と千歳川アイヌのコスモス

井上勝生            HUSCAP-北海道大学

   
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..,,.,.
夜学校を出た時真暗らだと思われていた空は実際は初冬らしくこうこうと冴えわたって、無数の星が一面に光っていた。

道路の左側は林檎園になっていて、おおかた葉の散りつくした林檎の木立が、高麗垣の上にうざうざするほど枝先を空に向けて立ち連なっていた。

思いなしか、そのずっと先の方に恵庭の奇峰が夜目にもかすかに見やられるようだ。

柿江にはその景色は親しましいものだった。
..,,.,
『星座』(青空文庫)


・無数の星が空一面に光る時間帯ではいくら明治三十三年といえども、恵庭岳がこのあたりから見えるようだというのはあくまでも想像であり、遠くの景色に山々の稜線を添えた方がより絵画的な文章になり美しさが増します。

『黒百合会』の代表らしく、
一枚のタブローを見せるかのごとく風景描写が美しい観念的な文章である。




*余談

夏目漱石の「生誕地」と「終の住処」とに近いところに「有島武郎旧居跡」の案内板が新宿区原町二丁目に設置されています。


大正十二年(1922年)
四月 有島武郎は麹町の自宅とは別に創作のために原町二丁目に家を借りました。

五月 『星座』有島武郎の援助を受け、足助素一が創設した叢文閣から刊行。

六月『一房の葡萄』叢文閣から刊行。


# by abdulmajid0922 | 2018-02-12 09:59 | Comments(0)
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千葉県警捜査ニ課係長、結城孝道はまったく似合っていないトレンチコートを着た、捜査対象者が気に食わない。

.....
格好つけやがって。

一目見た時から嫌いになった。
......
という感情を持って捜査する刑事が主人公です。

トレンチコートに嫉妬か、僻みっぽい主人公のキャラクターにはまったく惹かれない。



第4章を読み終え第5章の始まりで、ストーカーの犯人が簡単に分かってしまう構成はこの手のジャンルを読みなれた読者にはかなり物足りないです。


喫煙する描写が多く、世相に抗う著者のライフスタイルを主張しているようです。

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新聞は夕刊込みで契約したほうがずっと安い。......

妻が倒れ、重篤であるとの連絡を受けてから、自分には妻を看取る権利がない。

部下から娘に連絡をしたのか訊かれると、
そんな辛いことをしなければならないのか?.....


何を馬鹿なことをいっておるのじゃと、読者を苛々させるこの刑事には共感できない。


......
朝食前に百回の腹筋運動をこなすのだと聞いた時は、驚くよりも呆れたものだ。
.....

百回の腹筋運動になぜ、結城は呆れたのか理解できません。


娘の性格にも、父親に輪をかけて読者を苛々させるのです。



刑事ドラマ、ホームドラマ、学園ドラマの三本立ての本書を読了して思うことは

どんな小説を読んでも、普通一つや二つ 知らない言葉を覚えたとか、漢字を覚えたとか読書の醍醐味がいろいろあるものですが本書では新しいことを見い出せませんでした。


さてと、次は何を読もうかなぁ。


# by abdulmajid0922 | 2018-02-01 09:56 | Comments(0)
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高麗人がこよなく愛した木槿を随所に際立たせた本書。

十九歳のとき、「蛮族の王の奴婢になりたいか」と利休が恋した娘に訊くのであるが、日本を「蛮族」と称することは読者からいろいろ意見が湧き出てくるところである。


聚楽第 利休屋敷の一畳半の茶室の軸も花もない床の間に木槿の一枝をお供えして、十九歳で出逢った忘れじの高麗の高貴な女を偲びつつ自害した七十歳の利休。

直感でわかる、
妻宗恩の腹は煮えくりかえるのである。



......聚楽第、摘星楼の八畳の間。

金箔貼りの床の間。

床には、かきつばたの花。

堺の今井宗薫のしつらえは尾形光琳の《燕子花図》屏風を髣髴するのである。


伝統的な雅の茶の湯と侘び茶の茶の湯の世界を堪能できることを期待して楽しみながら本の頁をめくっていくと現れた細川忠興と妻玉子との性描写。


 400頁を読了させるには、性描写を入れないと本は売れないとの出版社側の意向が反映されているのであろう。



...,,ガラシャのすがりついた爪が、忠興の肩にくいこんだ。

というくだりでは、既に、

三島由紀夫が二十五歳で書いた『愛の渇き』を思い出す。

秋祭り、狂おしい揉み合いの半裸の男たちの中に入り込み、惚れた男の深い底知れない海のような背中、そこへ身を投げたいとねがった女が深く爪を立てる描写があります。

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・西ヲ東トの章では、
つい言わずもがなのことを口にしてしまう山上宗二 。

利休に口ごたえをする山上宗二が
滑稽でもあり、愛おしくもあり反面教師として、処世術が書かれています。


・名物狩りの章では、
湯気のなかで抱き合えば、閨とはちがってまた興が高まるとおそらく著者の嗜好を挟み、忠興と玉子とにつづき、利休と宗恩との性描写を描き読者サービスを展開しています。


♪利休鼠の雨が降る....

鼠色の道服を着る利休が登場し、
本書ではいくつも、いくつも新しい発見があり、読書はやはり楽しいなぁと思う次第です。


# by abdulmajid0922 | 2018-01-13 10:18 | Comments(0)

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鎌倉時代の僧侶、
『親鸞』(1173~1263)を読むと、ボロをまとい托鉢をする中世イタリアはアッシジの聖フランシスコ(1182-1226)が脳裏に浮かんできます。



四依(しえ)とは
僧たるものの守るべき心得


・食は行乞(ぎょうこつ)に依(よ)れ。

・衣は糞掃衣(ふんぞうえ)に依れ。

・坐は樹下(じゅげ)に依れ。

・病は陳棄薬(ちんきやく)に依れ。



法螺坊弁才はいう
「....いまこそ、釈尊の教えの第一歩にもどって出なおすことが必要だ。

仏法二千年の垢を洗いおとして仏陀の初心にもどるのだ。

すなわち、人はみな平等である。

....。

この世に生きることは苦しい。

心と体が痛む者を助けなければならぬ。

よりよく生きる道をさがそう。

そしてよろこびをもって生きよう。.,,,」


聖フランシスコが語っているようで、
洋の東西にかかわらず人類の考えだすことは同じなのだとつくづく思う次第です。

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本書『親鸞』は、
読者の対象をを女性に絞ったかのごとき若く美しい僧侶たちが登場します。


むずかしい題の印象をやさしいひらがなを多く用いて、新しい読者を開拓すべく女性好みに仕上げた大変読みやすい作品です。


本書に登場する美男子たち..,,


1) 美貌の少年、本名伏見平四郎、
《六波羅王子》は色白で痩身、朱のような唇。

泣く子もだまる残酷な美少年。

絵から抜けでてきたような美しい若者であるという。


2) 範宴に三年おくれて入山した学生(がくしょう)の身分の《良禅》は美しい姿。

その声に山の鶯までもが、鳴くのをやめてききいると噂されるほどの美声である。

横顔が若い女性に見えて、思わずどきりとすることもあった。

.....とりわけ美しい少年だった良禅も、しばしばあやうい目にあいそうになることがあった。

夜目にも白い良禅の顔が、花がほころぶように微笑した。

夕餉をはこんできたのは、若い良禅だった。

一瞬、範宴は美しい仏を見たのではないかと錯覚した。


3) 都の吉水にある法然上人の
草庵の廊下にいた《若い僧》のひとりが抜けるように白色の、鼻筋のとおった美しい僧である。


4) 法然坊源空の高弟、ひときわ凛々しい顔立ちの《安楽坊遵西》

絵にかいたような整った顔だちと、とびぬけた美声の持ち主である。

女のような長いまつ毛。

翳ったようなまつ毛の奥の黒い目と、薄紅色の頬と、やわらかそうな下唇のふくらみ、

その白い頬にかすかな血の色がさして、うっすらと紅をはいたようになっている..,,.なんと美しい....。

蓮の花がひらくように美しい笑顔を見せて去った。



まるで紫式部の『源氏物語』。

女性読者を夢中にさせた《光源氏》のことかと思わせるほど、官能をくすぐる美しい人物描写です。



若い僧たちが妖艶かつ、耽美的描写で登場し、読者が中・高校生男子であれば自らの仏塔が屹立するような著者のサービス精神あふれる性描写をところどころに組み込み、漢字がならぶ仏教界の話をしっかり解説している構成が素人にはとても親しみやすく読了できるのです。


読者の心理を十分、把握している
著者の手練手管に長けた筆致の妙である。


# by abdulmajid0922 | 2018-01-01 10:45 | Comments(0)
警視庁捜査一課長宮田次郎は黒革の手帳を田川信一警部補に差し入れした。

このことといい、本書帯のコピーといい、松本清張を否が応でも匂わせる商い上手な手法が読者をニンマリさせる。

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本書は二年前に発生した、
『中野駅前 居酒屋強盗殺人事件』


この事件の現場から読者は、
昔、昔、中野駅の近くの小さい料理屋「椿屋」で、五千円の札束をわしづかみにしてさっさと店から出た詩人の大谷とその妻、さっちゃんの暮らしを描いた小説『ヴィヨンの妻』を思い出すのです。


『ヴィヨンの妻』より

.......
十日、二十日とお店にかよっているうちに、私には、椿屋にお酒を飲みに来ているお客さんがひとり残らず犯罪人ばかりだという事に、気がついてまいりました。......

お店のお客さんばかりでなく、路を歩いている人みなが、何か必ずうしろ暗い罪をかくしているように思われて来ました。.......
(青空文庫)


事件が発生した
中野駅北口界隈の中野5丁目、特に中野ブロードウェイ〜昭和新道商店街のあたりは今日でも、小説『ヴィヨンの妻』に描かれた詩人の妻、さっちゃんの印象と似たような一帯なのです。


露出した長財布をジーンズの尻ポケットに差し込んで平気な顔をして闊歩するわけにはいかない地帯なのです。


本書で、事件現場の雰囲気を警視庁捜査一課田川信一警部補に池本功治警部補が言うのです。

.....
「香港かバンコクの裏街って感じですね」....。


JR中野駅北口中野通りの東側のサンモール商店街~中野ブロードウェイ~昭和新道商店街の中野5丁目界隈はWebのように、Netのように狭い露地を張り巡らし、そこを昼夜何万人もの人びとが輻輳するおどろおどろしい地帯、デカダンスがまかり通るようなまさに人外魔境なのです。

ここの毒々しい世界に慣れると、もうどなたでも離れることはできないだろう。

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ある晴れた日に東京警察病院あたりの早稲田通りで夕方、トウカエデの街路樹の下を自転車に乗って野方署へ戻る複数の清潔な感じがする、男女の若いお巡りさんたちの姿を見ることがあります。


人は昼と夜とでは簡単に思想が変わることがありますから、読者の見た若いお巡りさんたちは本書に描かれた「スナック えんじぇる」でたかる、酒を強奪する、脅す、かつて見たハリウッド映画のワンシーンを披露した野方署生活安全課の警察官だったのだろうか。


茶番を空想する内に疑問がわいた。

1
「スナック えんじぇる」のチーママ奈津代は中野ブロードウェイの入口近くを左に曲がるところで、何かを捨てて逃走した男を見ている。

奈津代はさらに、男の後を追って横丁を抜け中野通りへ出ているから、中野駅前に向いて駐車していたベンツの後部座席とリアウインドウの間に載っていた日焼け防止用の腕カバーをはっきり見定めている。

車のナンバープレートにはたしか練馬だったという。

つまり、中野通りに路駐していたベンツをこれほどの近くで見て肝心な車のナンバーには感心がなかったような田川への奈津代の答弁には現実味がない。

駅前の中野通りでは深夜であろうが、あたりが暗いとは考えにくい場所です。

どんな素人でも、車内のようすより車のナンバーを覚えておこうという気持ちの方が強くて自然であろう。

あまつさえ女性運転手と思われるベンツはゆっくりと走り出したのです。


2
......
東証地下の車寄せに運転手が待機していた。

滝沢がレクサスの助手席ドアに手をかけた.....

執拗な鶴田記者の質問を避けて会長を急いで車に乗せなければならないとき、待機していた車に手をかけるところは助手席ではなく、まず即後部座席を開けて会長を乗せるのが自然であろう。


3
警視庁の田川警部補が飛び切り上等な牛肉を買って自宅ですき焼き会をする。
そして鶴田記者を自宅に招待するという、田川がいくらなんでもこれほど突飛で軽率な行動とる男とは思えないのですが......。

虚構の世界である小説とはいえ、
自宅に招くということが受け入れらないのです。

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哲学堂公園に向かう中野通りを跨ぐ新井5丁目の歩道橋の上からは西武新宿線を往来する電車に、のどかな踏み切りの警報音を入れて動画を撮影することができます。

3月末であれば見事に咲いたソメイヨシノの並木越しに撮影することができるVista pointなのです。


その線路の北方向で、田川信一警部補が暮らしているという.....。


続編を読むことにする。


# by abdulmajid0922 | 2017-12-20 14:39 | Comments(0)