思うままに


by abdulmajid0922
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《岩内郊外の安達牧場へ向かう有島武郎と木田金次郎》

〔有島武郎、死の前年の1922年(大正11年7月)木田金次郎の友人による撮影〕

服装が二人のおかれた境遇を雄弁に語っています。

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《ポプラ》
1924年(大正13年) 木田金次郎31歳
油彩/カンヴァス 52.9×40.8cm
個人蔵


有島武郎好みの
明るいフランス印象派の風景画を髣髴する作品です。


有島武郎の死から一年後の作品。


1910年(明治43年)
木田金次郎17歳のとき、
札幌市内を流れる豊平川沿いのリンゴ園の中にあった有島武郎の家を偶然見つけてからふたりの交流が始まりました。

既にコロー、ミレーの作品は知っていましたがセザンヌについては有島武郎の持っていた複製画で初めて知り驚異の瞳を見張りつつ眺めいった木田金次郎でした。(木田金次郎著述文)

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《朝鮮金剛山》
 1928年(昭和3年) 木田金次郎35歳
油彩/カンヴァス 45.7×61.0cm
木田金次郎美術館


展示会場で異彩を放つ唯一の透明感のある爽やかな青色ではっきりした遠近感が描かれており最も印象的な作品です。


木田金次郎は1928年(昭和3年)35歳のとき、満洲・朝鮮を写生旅行しました。

北海道以外を描いた風景画は本作と
会場で隣りに展示されている《大連風景(老虎灘)》の二点しか残っていないという貴重な作品です。

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《バラ(絶筆)》
1962年(昭和37年) 木田金次郎69歳
油彩/カンヴァス 64.8×53.3cm
木田金次郎美術館

木田金次郎の死後、アトリエのイーゼルに載ったままだったという本作は、『木田金次郎 新作展』で東京、大阪、福岡、札幌を巡回した後、渡す約束をした方の為に加筆していた最中だったのでした。

リンゴ、牡丹などの静物画では鮮やかな赤色を大胆に使用しています。

散る花、咲き誇る花には周りのみんなに支えられて生きる人の儚い一生を見るおもいがいたします。

光をふんだんに描き生命力にあふれたバラの花々の赤色の濃淡が観覧者の気持ちを生き生きとさせ掉尾を飾るにふさわしい作品です。

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『木田金次郎 画集』
発行/木田金次郎美術館 1999年
〈表紙カバー《春のモイワ》1961年〉


『生れ出づる悩み』出版100周年記念
「有島武郎と木田金次郎」展

2018年10月13日〜11月4日

会場:札幌 JRタワー プラニスホール


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# by abdulmajid0922 | 2018-11-01 10:12 | Comments(0)
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舞台は花の東京、八百八町。
鳥居忠重部長の伝法な六方詞に江戸落語の趣きがあり、痛快な捕物帳が展開されることを予想して最後まで読む者の心を惹きつけるのです。

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荒木刑事巡査の江戸詞は、どこかわざとらしい気がし、生まれも育ちも深川と言ってはいるが、本当に江戸っ子かどうかと訝る岡崎巡査です。


この岡崎の疑惑は黒猫先生と荒木との会話があったあとの黒猫先生の発言で正解がわかります。


ラフカディオ・ハーン、ヘーゲル先生、黒猫先生の登場により『夏目漱石』ファンであることは一目瞭然であり、著者の純情な人柄を感じとることができます。

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「黒田清隆之像」
(1967年北海道開拓100年記念に設置されました。札幌市中央区大通西10丁目)



『開拓使官有物払い下げ事件』
『上奏事件』
『明治十四年の政変』
『四将軍』
『月曜会』


史実を書いた章であり、とても勉強になりました。


時代設定を明治にしたことに独創性を感じ日本のサーベルとフランスのレイピアとの違い等.....
読書を飽きさせないようモチーフを随所に書き込まれていますので、あっと言う間に読了しました。

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# by abdulmajid0922 | 2018-10-01 13:51 | Comments(0)
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本書は
河村泳静氏に遺贈されたフランク・シャーマン コレクションを調査するうちに発見した今まで語り伝えられ書き継がれてきたものとは違う、戦後日本の文化情景が書かれています。

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『なぜ日本はフジタを捨てたのか?』
藤田嗣治とフランク・シャーマン
1945〜1949
美術ジャーナリスト 富田芳和


・昭和二十年十二月三日の新聞に掲載されたフジタの談話より
戦争画を描いたフジタの頭の片隅にはさまざまな戦いの絵を描いたウジェーヌ・ドラクロワが存在していたことがわかります。


・フジタを確実にアメリカに入国させるためのフランク・シャーマンの企画で、
1947年(昭和22年)9月2日から
NY・ケネディ画廊でフジタの個展を開催しました。

それを知った、
当時アメリカ美術家協会初代会長に推されていた国吉康雄と、藤田嗣治をファシスト・フジタと呼び抗議しようとするコミュニスト、ベン・シャーンとの二人により展覧会は妨害を受けました。


2018年4月〜6月 北海道立近代美術館にて公開された、

『フランク・シャーマン コレクション  あるアメリカ人が見た戦後日本美術』

では国吉康雄とベン・シャーンの作品が展示してありました。

「えっ! 
なぜこの二人の絵がここにっ!」

観覧者は不思議な気分になります。


尚、展示品の中には、
藤田嗣治の入会を拒否した『新制作派協会』の猪熊弦一郎のNYの自宅で若き芸術家たちと寛いでいるようすをフランク・シャーマンが撮影した写真を展示してありました。


猪熊弦一郎は太平洋戦争勃発の頃から、軍部主催の戦争画展に大作を出展し、戦争画の大家として注目を集めていたのです。


藤田嗣治は自分を拒否した猪熊弦一郎らを生涯許さなかったという。

しかし彼らとも親しく交流し、作品をも蒐集したフランク・シャーマンの心情を忖度するにあたり、
不偏不党の立場を貫き、マッカーサー元帥の二人の副官のうちのひとり、
バンカー大佐がフランク・シャーマンに与えたミッションに忠実に生きた結果だったのだと思えばいいのか?.....。



・昭和十九年の東京美術学校が起こした《美校事件》美校クーデターは興味深い話です。

君代さんが
フジタの遺品を東京藝術大学に寄贈したことは泉下の画伯さぞかし驚いていることであろう。

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本書が大いに巷に流布し、
フランク・エドワード・シャーマン(Francis Edward Sherman 1917-1991)
の名が更に世に広まることを期待します。


本書を一頁、一頁めくるたびにそれから?、それから?と大いにときめき楽しく読了しました。


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# by abdulmajid0922 | 2018-09-01 11:26 | Comments(0)

伊藤若冲《象図》の巻

若冲十三歳、享保十四年(1729年)四月、
徳川幕府八代将軍 吉宗に請われてベトナムより渡来した象一行は長崎から江戸に向かう途中、京都に寄り朝廷に参内しています。


天皇の御前にてかしこまっているかのようなポーズの、真正面から捉えた高さが155cmもある象のように大きなこの象のモチーフは六曲一双の大作《樹花鳥獣図屏風》にも見られます。
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伊藤若冲《象図》寛政二年(1790)

  • 紙本墨画 軸装
  • 155.5×77.3cm  
  • 東京富士美術館

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(部分)
墨で象の鼻のシワも描いています。

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(部分)
(Google Arts&Culture)

落款「米斗翁筆七十五歳画」

印章「藤女鈞印」(白文方印)、
       「若冲居士」(朱文円印)
         円印の大きさは4-5cmほどあります。


会場で隣に展示されている二点の《鶏図》も同じ印章です。

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  • 東京富士美術館開館35周年秘蔵選 
    日本の美 百花繚乱
    北海道立近代美術館


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# by abdulmajid0922 | 2018-08-11 11:36 | Comments(0)

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河村泳静氏とフランク・シャーマン
1988年 ソウルにて
(河村氏の許可を得て掲載しています)


『フランク・シャーマン コレクション選』はこの写真から始まり、始まり〜。

四月〜六月に北海道立近代美術館にて初公開された

『フランク・シャーマン コレクション  あるアメリカ人が見た戦後日本美術』

に続いて第二回目は北海道立三岸好太郎美術館での公開です。

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ある時、藤田嗣治に「君はガートルード・スタインになればいい」と言われた(出典:富田芳和著
『なぜ日本はフジタを捨てたのか?』
藤田嗣治とフランク・シャーマン
1945〜1949)
フランク・エドワード・シャーマン Francis Edward Sherman(1917-1991)が、その通り戦後日本の若き芸術家たちのためにサロンを用意し、寿司パーティーを頻繁に開き、そこで自由に遊ばせ、彼らの心の支えになることとなったのです。


日本の芸術家たちがアメリカで躍進する手助けをし、それらを成功させた事実、シルクスクリーン技術の指導等々、
日本人に与えたフランク・シャーマンの功績は誠に偉大です。

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《古い家(ベニス)》

フランク・シャーマンと親交があった、

・猪熊弦一郎(1902-1993)
《パステル風景画集》全12点揃が展示されています。

1939-40年 リトグラフ

4/125

手彩色/紙  33.2×49.1cm


・ヴェネツィアの古い建物

《古い家(ベニス)》

この作品から連想するのは、

アンリ ・ド・レニエ著

森林太郎訳 『復讐』という短編小説があります。

いかにも鷗外好みの物語で、
老翁が甥のバルタザールの青春を妬んでしまうのです。

ゴンドラの舟がごぼごぼと揺れる運河に面したバルタザールと親友ロレンツォの並んだ館を描いた「挿絵」であるかのような偶然にもそっくりなイメージなのです。


・♪プッチーニ『ジャンニ・スキッキ』で有名なフィレンツェのヴェッキオ橋

《ポントベッキョ(フローレンス)》


・フィエゾーレの夏には野外オペラが観られる円形劇場跡

《円形劇場の跡(イタリー ヒエゾーレ)》


の三点がイタリアの風景であり、制作が1939年か1940年なのか名前以外サインはしてありません。


あと九点はすべてフランスの風景です。

見るや否や ♪プッチーニ『ラ・ボエーム』の舞台セットにふさわしいと思える、遠景にサクレ・クール寺院が見える

《ビュット モンマルトル》

この一点だけが1940年の作品とわかる 

'40 弦 guèn  g.Inokouma 

とサインしてあります。


他の八点は1939年の作品です。

フランスの風景は葉がほとんど落ちた季節なのですが、唯一

《ルロット(ブールバル サンジャック)》

何台も駐車されたルロットの上の空を覆い尽くすほど青々と葉が茂る並木道を描いています。


直筆のサインは
guèn 弦
g. Inokouma.   '39


長い時の流れを感じる約40×60cmほどの全12点を収めていた帙がガラスケースの中に展示されています。


帙の表紙には1914年に完成したモンマルトルの丘に建つサクレ・クール寺院のバジリカ聖堂が大きく聳え、遠近感のある石畳の小路の奥でハイヒールを履いたエプロン姿の女給がひとり佇む聖と俗が描かれています。


アコーディオンが奏でるシャンソンが一曲、流れてきそうなまるでルネ・クレールやジュリアン・デュヴィヴィエの美しい映画のワンシーンを見るような絵です。


1940年作品の色付けしていないリトグラフです。赤い文字で大きく

Guèn と書かれています。


《パステル風景画集》全12点揃は猪熊弦一郎、最後の具象画であり、戦時中に描いた戦争画の後は抽象画に移行したと河村泳静氏の解説がありました。


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・フランク・シャーマン コレクション以外、世界中のどこにも残されていないフジタの愛用した眼鏡とケースが展示されています。



・1950年代、NY在住の猪熊弦一郎夫人フミさんの肩や背中にお灸をすえる棟方志功夫人が写った滑稽な姿のお二人の写真、その光景を見て笑っているそれぞれのご主人を写したフランク・シャーマンの「写真アルバム 6 」があります。
(会場にて河村泳静氏に説明して頂きました Aug./4/2018)



板がなくてリノリウムに彫り、インクがなくて、油絵の具で刷ったという

・朝井 清(1901-1968)

《〔軍都最後の日〕広島の夕焼》1945

リノカット/紙  29.8×44.7cm


広島原爆投下の翌日の夕焼け空の風景を、現在の平和記念公園側からの様変わりした「広島県産業奨励館」を描いた作品です。


原爆ドーム(広島県産業奨励館)を中心に仰ぎ見るように大きく、若干俯瞰するようなアングルで大地に横たわるたくさんの死体を、幹だけが辛うじて残った樹木を描く、時の経過のせいか、セピア色の作品です。


まだ、熱気が伝わるような

オドロオドロしいどよめきうねる夕焼け雲を空いっぱいに描いています。


日本版画協会展で、

フランク・シャーマンは当時のGHQの統制を怖れず発表した朝井 清の勇気に感心して購入したという。


*朝井 清が広島原爆投下の翌日、地上の地獄と天国の美しい夕焼けを見て興奮冷めやらぬうちにと、スケッチブックに夢中で描き上げた八月七日と本ブログの投稿が奇しくも同じ日付けになりました。

《〔軍都最後の日〕広島の夕焼》は

フランク・シャーマン コレクション選で最も印象に残る作品です。

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アートギャラリー北海道

河村泳静所蔵/伊達市教育委員会寄託

『フランク・シャーマン コレクション選』


2018年7月7日〜9月2日

北海道立三岸好太郎美術館


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出品作品リスト


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# by abdulmajid0922 | 2018-08-07 11:50 | Comments(0)
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お盆が終わった夏休み、
親戚の伯父さんの家へ泊まりに行って花火をして遊んだ小学五年生の恭平は......。

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腹がスイカのように丸く突き出ている伯父さんと二人で遊びにきた玻璃ヶ浦の海に潜った恭平は水中眼鏡越しに二、三センチほどの青い魚を見つけた。.......



昔、昔、全身がぞっとするほどの恐怖感を味わわされた忘れ得ぬエラリー・クィーンの推理小説『Yの悲劇』が本書冒頭からふと蘇ってきました。

物理学者 湯川学はドルリー・レーンであり、恭平はジャッキー少年を髣髴するのです。


一気に読了し、
充分、存分に楽しむことができました。



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# by abdulmajid0922 | 2018-07-01 11:36 | Comments(0)
ほぼ縦二等分し、左半分以上を占めて自画像を配置した大胆な構図が印象的です。

画面左上角から頬ひげの線、顎ひげの白い境目から斜め右下角に流れる一本の線が通っているので全体の安定感と美しさ、さらに像主の重量感を生み出しています。
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Paul CÉZANNE (1839-1906)
"Self-Portrait with a Hat" 1890-94
oil on canvas  
61.2×50.1cm
Bridgestone Museum of Art,
Ishibashi Foundation 


1921年大正10年3月5日-13日の事、
白樺美術館第一回展覧会(東京 京橋の星製薬画廊)にて日本初公開されたセザンヌの作品です。


セザンヌの死の翌年1907年、パリで開催された回顧展を観て感銘を受けた有島生馬は、
文芸誌『白樺』に『画家ポール・セザンヌ』を連載し初めてセザンヌの名を日本人に知らしめたのです。


*セザンヌの初めての個展で紹介された自画像の中の一枚です。

1920年に日本人の訪問者により購入されました。
(Google Arts and Culture)

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黒い線で明確に縁取られた上着のベージュ色の部分は塗り残しです。

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ベージュ色の部分に近づいて目を凝らして見ると、製作途中のような塗り残しです。

砥の粉を塗ったような色です。

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『ブリジストン美術館展
石橋財団コレクションの精華』展

北海道立近代美術館〜6/24.2018


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# by abdulmajid0922 | 2018-06-03 12:26 | Comments(0)
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団子坂下から不忍通りを横断して谷中霊園へと続く一本道、三崎坂と谷中小学校

......安城民雄は千駄木駅で地下鉄千代田線を降り、三崎坂を上って、天王寺駐在所に向かった。
......

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安城清二、二代目警察官の安城民雄、三代目警察官の安城和也が歩いた、
天王寺山門前から見たサクラ並木

左側が下谷警察署 天王寺駐在所です。

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天王寺駐在所の直ぐそばの東京都指定旧跡『天王寺五重塔跡地』
(幸田露伴『五重塔』1892年(明治25年)のモデルになった五重塔です)


......昭和三十二年四月一日
三十五歳の安城清二巡査は上野署から谷中署に配属替え、天王寺駐在所勤務を命じられた。
......


一九五七年(昭和三十二年年七月)
放火により焼失した天王寺五重塔。

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天王寺山門の奥の青銅製の大仏像。

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一九六七年(昭和四十二年)
警視庁警察官、安城民雄が入学した北海道大学構内。

ケンタッキー・ブルーグラスの中央ローンの向こうにクラーク会館(一九六〇年・昭和三十五年竣工)



......民雄は、中央ローンの脇を抜けて、学生会館へと向かった。ここはクラーク会館と名付けられた建物で、生協の売店や食堂のほか、講堂もある。
.......

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札幌、薄野(すすきの)の夜景

警視庁公安部の要請で、札幌の公安担当となっている井上重治警部補にかつて、薄野連れてってやろうかと誘われた民雄が後日、井上警部補に.....


......「警部補、きょうどこかに連れていってくれませんか」
..,.,

井上は顔に明らかに憐憫の色を浮かべて言った。

「案内してやる。

おれが面倒みてやるさ」.....。

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三代目警察官、安城和也は警視庁目黒警察署中目黒駅前交番から自転車で上目黒四丁目へ向かった。


上目黒四丁目の
蛇崩・伊勢脇通りの一本北側には蛇崩川が暗渠化され、インターロッキング舗装が美しい中目黒に向かう蛇崩川緑道があります。


『警官の条件』で安城和也が美知という名の女性と三年弱の結婚生活で過ごした街、東急東横線 祐天寺は上目黒四丁目からでは徒歩数分の場所です。




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# by abdulmajid0922 | 2018-05-01 13:39 | Comments(0)
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戦後の1945年11月から1957年にかけて日本に滞在した元GHQ民政官Frank Edward Sherman (1917-1991)はマサチューセッツ州のケープコッドで生まれました。


本展ポスターに使用されたハリウッドスターのブロマイドのような軍服姿のフランク・E・シャーマン

『1946年 奈良にて』


枝垂れ柳の幹にもたれ、猿沢池に望む興福寺の五重塔、強い審美眼をもつフランク・E・シャーマンの美意識の高さが一目瞭然。

構図はまるで浮世絵の世界です。

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伊原宇三郎画
《フランク・シャーマン像》1950年
油彩/カンヴァス  46.0×38.0cm


彫刻家、画家、デザイナーでもあったフランク・E・シャーマンは十四歳のときから藤田嗣治に強く憧れていました。

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フランク・E・シャーマンの進言により1949年、日本を離れニューヨークに向う藤田嗣治を見送る岡田健三と川端実。
photo by F.E.Sherman

バスに書かれた文字が懐かしい.....。

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・北海道立近代美術館 1F
『近美コレクション 名品選』ではフランク・シャーマンと交流があり、板橋区の凸版印刷にあった「シャーマン・ルーム」にも出入りしていた荻須高徳の油絵『薪炭屋』1954年 が展示され、
藤田嗣治が描いた愉快な漫画が見られます

2F会場ではイサム・ノグチの作品も展示され、

ガラスケースの中の展示品は、
・1951年、日本教育版画協会を設立した大田耕士の凸版印刷会社 シャーマン様宛にローマ字で書いた滑稽な季節の手紙、切手は3銭、4銭、7銭

・1956年NYから渋谷のワシントンハイツに住むシャーマン宛の猪熊弦一郎の書簡は、
展覧会のチケットのような一枚の紙に二人のメッセージが書かれています、
NYでの展覧会に見にきて欲しい、
セリグラフが沢山できた。
絵が2枚売れた。.......

米つぶほどの大きさの文字で小さな紙面に隙間なく書かれた猪熊弦一郎の文章にはシャーマンを愛し、慕い、信じている気持ちがようく表れているのです。


フランク・シャーマンが撮影した往時の貴重な写真も数々展示されています。

・NYにて猪熊弦一郎夫人の手料理の大皿を持ち上げて貪り食う棟方志功

・禿頭のイサム・ノグチ

・藤田嗣治が加筆して仕上げた二曲一隻の金屏風、二人の裸婦像図『Flowers』の前でワイシャツにネクタイ姿の土門拳がフランク・シャーマンの写真アルバムに収められています。

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図録
『河村泳静 所蔵 

フランク・シャーマン コレクション

あるアメリカ人が見た戦後日本美術』

北海道立近代美術館にて
〜6.24.迄、公開中です。


全く知らなかった彼の存在と功績。

戦後日本の若い芸術家たちを成功へと導き、支え、寄り添い生きたフランク・エドワード・シャーマンを大いに称え、顕彰すべきと感じます。


本展覧会の一観覧者は、
是非、フランク・シャーマンと彼ら男たちの美しき友情の映画化を望む次第であります。


今後に展開されるフランク・E・シャーマン コレクション展覧会を楽しみにしております。


Apr.24.2018

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# by abdulmajid0922 | 2018-04-24 12:07 | Comments(0)
「日本橋殺人事件」の捜査のため、
日本橋警察署に勤務する加賀恭一郎、
警視庁捜査一課所属の松宮脩平、二人の刑事の足跡をたどることを読後に思いついた。

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題名の『麒麟の翼』は
日本橋の中程、両方の高欄に設置された青銅製の照明灯に飾られた麒麟像です。

この照明灯の下で、被害者は倒れたのです。

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午後九時頃、ナイフが胸に突き刺さった状態の被害者が通過した警視庁中央警察署日本橋交番の昼間の刹那。

枝垂れ桜といい、古き良き日本橋の情趣を瓦屋根の庇が醸し出しています。

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日本橋人形町にある浜町緑道公園に設置された「弁慶像」

弁慶の右手が「笠間稲荷神社」方向です。

三月下旬では浜町緑道公園に植栽された並木のソメイヨシノが満開です。

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新大橋通り

画像左側の緑が浜町緑道公園、右側が新大橋方向です。

警察官に追跡された容疑者は浜町緑道を駆け出し、この片側三車線の新大橋通りを横断しようとしてトラックに接触してしまうのです。

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日本橋人形町甘酒横丁にある
『にんぎょう町 草加屋』

昭和3年(1928年)創業の煎餅屋さん、
小説では「あまから」という店名。

通りからガラス越しに中の作業工程を覗くことができ、店内で自家製手焼き煎餅の実演を披露して販売しています。

大将自慢の煎餅は硬質で翁媼が召し上がる際はちょいと努力と工夫が必要です。

「新参者」の映画の広告が店先に....

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『日本国道路元標』日本の道路の起点

日本橋の北側、日本橋三越側に設置されています。


......「日本国道路元標。
つまり、ここから人々が日本中に飛び立っていく。

だから麒麟の背中に翼を付けたんだそうです」
.......

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大正八年創業の老舗の喫茶店
「喫茶去 快正軒」

骨董品のような型のノリタケの磁器の碗皿で香り豊かなブレンド珈琲を提供しています。

甘酒横丁の西側、人形町商店街を横断すると日本橋人形町一丁目です。

画像の奥に「玉ひで」、「小春軒」、「谷崎潤一郎生誕の地」があります。


日本橋を目指してこの通りの終点を右折すると、とても目立つ看板「小網神社」が立っており、お参りせよ!と歩みを誘われるのです。

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中央通りに面した日本橋にある有名な書店

......
「日本橋にいる人間が本屋に入るとすれば、まずはこの店だろう。.....」

書店の防犯カメラの映像から容疑者八島冬樹の行動を追う刑事たち。

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山手通りを散策中、歩道脇にハンバーガーの幟が立っていましたが、中目黒駅前の高層ビル地下にもハンバーガー・ショップがありました。

ここは小説に登場する店舗とは違うであろう、高校生が利用するには高価格の店です。



*アパートにあった
火葬された八島冬樹の骨壷の入った包みは福島へ帰る際の東京駅では中原香織の手になかった。


引越し業者に頼んだ荷物の中にあるということか.....。






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# by abdulmajid0922 | 2018-04-03 16:56 | Comments(0)
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日本橋人形町甘酒横丁から人形町商店街を横断して日本橋川に向かうと、
「喫茶去 快生軒」、「玉ひで」、「小春軒」の次にレストラン「にんぎょう町 谷崎」があります。
建物の左手の壁には谷崎松子夫人の揮毫による黒御影石のプレートが設置されています。

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『谷崎潤一郎生誕の地 
1886-1965 
元東京市日本橋区蠣殼町二丁目十四番地
松子書』

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説明板
『谷崎潤一郎生誕の地』
所在地 中央区日本橋人形町一ー七ー一〇
中央区教育委員会

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隣の壁の看板に注目!

この生誕の地に立つと、
子供の頃の谷崎潤一郎を叱るときの、父親のべらんめえ口調が耳元で聞こえてくるようです。


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# by abdulmajid0922 | 2018-03-31 09:29 | Comments(0)

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'Winter Landscape with Bird Trap' 

painted by
Pieter Brueghel the Younger 1601.

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(図録)

本邦初公開《鳥罠》

油彩/板 37.5×56.6cm

個人蔵/ルクセンブルク

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(Google Arts & Culture) 部分

凍った川の上でカーリングをする人々のすぐそばにはひび割れした大きな穴が開いています。

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(Google Arts & Culture)部分

戸板を仕掛けて、鳥を捕獲しようとしています。

戸板を支える、つっかえ棒には紐が付けられ右端手前の家の白い壁の窓に繋がっています。


常に危険と隣り合わせで生きているのは鳥のみならず、人間も同じ立場にあるのです。

ブリューゲルらしい主題です。

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ピーテル・ブリューゲル2世自身がこの主題の板絵を45点も描いたと図録には書かれています。


'Winter Landscape with Bird Trap'
'The Bird Trap'

BRUEGHEL 
150 YEARS OF AN ARTISTIC DYNASTY 

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ブリューゲル展 
画家一族150年の系譜

東京都美術館


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# by abdulmajid0922 | 2018-03-28 21:59 | Comments(0)
コーエン兄弟で映画化されたら、ヒット間違いなしと映像美を空想しながら読了した。

三歳になる娘を車の中に置きっ放しにするところが複数回あり、きっと悲劇が起こる、きっと悲劇が起こると読者は著者の技巧に乗せられ、操られた。


無罪を言い渡した男に家族を狙われ、結局自分の手でその男を殺害することになった元裁判官の事件......。
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飼い犬のドーベルマンを角材が折れるまで叩きつける、ソシオパス武内はログハウスの暖炉の火でバウムクーヘンを焼く。


.....,
マントルピースのうえに一尋(ひとひろ)近い長さの丸竹が置いてある。
......


専門家以外、現代人には通じずとも、
竹棒の長さの単位を敢えて「尋」としたこの一文字できらりと文学の香りを放ち、ここに著者の小説家としての矜持を見て取ることができます。


 著者は今後の作品に期待できる数少ない現代小説家の一人であるといえよう。

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# by abdulmajid0922 | 2018-03-01 09:50 | Comments(0)
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明治期北海道の青春群像
有島武郎と未完の『星座』
「北海道立文学館」創立50周年記念特別展    北海道150年事業

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星野純逸上京送別記念 1897年初冬
北海道大学文書館所蔵

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(部分) 画像中央が「星野純逸」、斜め右下が「有島武郎」

『星座』に「星野清逸」で登場する有島武郎と同期の札幌農学校第19期生「星野純逸」23歳の在学中に肺結核で早逝。



『星座』より
・「星野」の千歳の実家にて

......
裏庭のすぐ先を流れている千歳川の上流をすかしてみると、五町ほどの所に火影が木叢の間を見え隠れしていた。

瀬切りをして水車がかけてあって、川を登ってくる鮭がそれにすくい上げられるのだ。

孵化場の所員に指揮されてアイヌたちが今夜も夜通し作業をやっているのに違いない。
......


・平成六年まで、鮭を採るための水車「捕魚車」(通称:インディアン水車)は千歳市の東端の根志越方面にあり、孵化場は支笏湖に向かう千歳市の西端の蘭越方面にありました。

従って、本書「星野」の千歳の実家の近くにありそうな「水車」と弟、純次の通う「孵化場」との位置関係といい、

実際に見てはいない夜中のアイヌの作業風景といい、

観念的な描写で、読者はその映像を浮かべやすいようにとの著者の芸術家たる創作美学の現れであるといえる。


「園」は、
「星野」から預かった手紙を懐にしまって演武場で時計台の鐘の音を聞いた。

時刻は、

【明治三十三年五月四日の午前十一時】

その日の夕方、「園」が「星野」から託された手紙を受け取り「おぬいさん」は読みました。

手紙に記された日付は 

【一八九九年十月四日夜】

 この七ヶ月の日付のズレ、以前からその間ずっと「星野」は手紙を保管していたとはあろうはずがない。

読者の頭の中を混乱させる年号と西暦と両方を書き分けた「日付」の違いに著者の動機を探ると、答えがすぐ分かるWebサイトがありました。

〈論文〉
札幌農学校植民学と有島武郎
『星座』と千歳川アイヌのコスモス

井上勝生            HUSCAP-北海道大学

   
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..,,.,.
夜学校を出た時真暗らだと思われていた空は実際は初冬らしくこうこうと冴えわたって、無数の星が一面に光っていた。

道路の左側は林檎園になっていて、おおかた葉の散りつくした林檎の木立が、高麗垣の上にうざうざするほど枝先を空に向けて立ち連なっていた。

思いなしか、そのずっと先の方に恵庭の奇峰が夜目にもかすかに見やられるようだ。

柿江にはその景色は親しましいものだった。
..,,.,
『星座』(青空文庫)


・無数の星が空一面に光る時間帯ではいくら明治三十三年といえども、恵庭岳がこのあたりから見えるようだというのはあくまでも想像であり、遠くの景色に山々の稜線を添えた方がより絵画的な文章になり美しさが増します。

『黒百合会』の代表らしく、
一枚のタブローを見せるかのごとく風景描写が美しい観念的な文章である。




*余談

夏目漱石の「生誕地」と「終の住処」とに近いところに「有島武郎旧居跡」の案内板が新宿区原町二丁目に設置されています。


大正十二年(1922年)
四月 有島武郎は麹町の自宅とは別に創作のために原町二丁目に家を借りました。

五月 『星座』有島武郎の援助を受け、足助素一が創設した叢文閣から刊行。

六月『一房の葡萄』叢文閣から刊行。


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# by abdulmajid0922 | 2018-02-12 09:59 | Comments(0)
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千葉県警捜査ニ課係長、結城孝道はまったく似合っていないトレンチコートを着た、捜査対象者が気に食わない。

.....
格好つけやがって。

一目見た時から嫌いになった。
......
という感情を持って捜査する刑事が主人公です。

トレンチコートに嫉妬か、僻みっぽい主人公のキャラクターにはまったく惹かれない。



第4章を読み終え第5章の始まりで、ストーカーの犯人が簡単に分かってしまう構成はこの手のジャンルを読みなれた読者にはかなり物足りないです。


喫煙する描写が多く、世相に抗う著者のライフスタイルを主張しているようです。

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新聞は夕刊込みで契約したほうがずっと安い。......

妻が倒れ、重篤であるとの連絡を受けてから、自分には妻を看取る権利がない。

部下から娘に連絡をしたのか訊かれると、
そんな辛いことをしなければならないのか?.....


何を馬鹿なことをいっておるのじゃと、読者を苛々させるこの刑事には共感できない。


......
朝食前に百回の腹筋運動をこなすのだと聞いた時は、驚くよりも呆れたものだ。
.....

百回の腹筋運動になぜ、結城は呆れたのか理解できません。


娘の性格にも、父親に輪をかけて読者を苛々させるのです。



刑事ドラマ、ホームドラマ、学園ドラマの三本立ての本書を読了して思うことは

どんな小説を読んでも、普通一つや二つ 知らない言葉を覚えたとか、漢字を覚えたとか読書の醍醐味がいろいろあるものですが本書では新しいことを見い出せませんでした。


さてと、次は何を読もうかなぁ。


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# by abdulmajid0922 | 2018-02-01 09:56 | Comments(0)
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高麗人がこよなく愛した木槿を随所に際立たせた本書。

十九歳のとき、「蛮族の王の奴婢になりたいか」と利休が恋した娘に訊くのであるが、日本を「蛮族」と称することは読者からいろいろ意見が湧き出てくるところである。


聚楽第 利休屋敷の一畳半の茶室の軸も花もない床の間に木槿の一枝をお供えして、十九歳で出逢った忘れじの高麗の高貴な女を偲びつつ自害した七十歳の利休。

直感でわかる、
妻宗恩の腹は煮えくりかえるのである。



......聚楽第、摘星楼の八畳の間。

金箔貼りの床の間。

床には、かきつばたの花。

堺の今井宗薫のしつらえは尾形光琳の《燕子花図》屏風を髣髴するのである。


伝統的な雅の茶の湯と侘び茶の茶の湯の世界を堪能できることを期待して楽しみながら本の頁をめくっていくと現れた細川忠興と妻玉子との性描写。


 400頁を読了させるには、性描写を入れないと本は売れないとの出版社側の意向が反映されているのであろう。



...,,ガラシャのすがりついた爪が、忠興の肩にくいこんだ。

というくだりでは、既に、

三島由紀夫が二十五歳で書いた『愛の渇き』を思い出す。

秋祭り、狂おしい揉み合いの半裸の男たちの中に入り込み、惚れた男の深い底知れない海のような背中、そこへ身を投げたいとねがった女が深く爪を立てる描写があります。

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・西ヲ東トの章では、
つい言わずもがなのことを口にしてしまう山上宗二 。

利休に口ごたえをする山上宗二が
滑稽でもあり、愛おしくもあり反面教師として、処世術が書かれています。


・名物狩りの章では、
湯気のなかで抱き合えば、閨とはちがってまた興が高まるとおそらく著者の嗜好を挟み、忠興と玉子とにつづき、利休と宗恩との性描写を描き読者サービスを展開しています。


♪利休鼠の雨が降る....

鼠色の道服を着る利休が登場し、
本書ではいくつも、いくつも新しい発見があり、読書はやはり楽しいなぁと思う次第です。


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# by abdulmajid0922 | 2018-01-13 10:18 | Comments(0)

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鎌倉時代の僧侶、
『親鸞』(1173~1263)を読むと、ボロをまとい托鉢をする中世イタリアはアッシジの聖フランシスコ(1182-1226)が脳裏に浮かんできます。



四依(しえ)とは
僧たるものの守るべき心得


・食は行乞(ぎょうこつ)に依(よ)れ。

・衣は糞掃衣(ふんぞうえ)に依れ。

・坐は樹下(じゅげ)に依れ。

・病は陳棄薬(ちんきやく)に依れ。



法螺坊弁才はいう
「....いまこそ、釈尊の教えの第一歩にもどって出なおすことが必要だ。

仏法二千年の垢を洗いおとして仏陀の初心にもどるのだ。

すなわち、人はみな平等である。

....。

この世に生きることは苦しい。

心と体が痛む者を助けなければならぬ。

よりよく生きる道をさがそう。

そしてよろこびをもって生きよう。.,,,」


聖フランシスコが語っているようで、
洋の東西にかかわらず人類の考えだすことは同じなのだとつくづく思う次第です。

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本書『親鸞』は、
読者の対象をを女性に絞ったかのごとき若く美しい僧侶たちが登場します。


むずかしい題の印象をやさしいひらがなを多く用いて、新しい読者を開拓すべく女性好みに仕上げた大変読みやすい作品です。


本書に登場する美男子たち..,,


1) 美貌の少年、本名伏見平四郎、
《六波羅王子》は色白で痩身、朱のような唇。

泣く子もだまる残酷な美少年。

絵から抜けでてきたような美しい若者であるという。


2) 範宴に三年おくれて入山した学生(がくしょう)の身分の《良禅》は美しい姿。

その声に山の鶯までもが、鳴くのをやめてききいると噂されるほどの美声である。

横顔が若い女性に見えて、思わずどきりとすることもあった。

.....とりわけ美しい少年だった良禅も、しばしばあやうい目にあいそうになることがあった。

夜目にも白い良禅の顔が、花がほころぶように微笑した。

夕餉をはこんできたのは、若い良禅だった。

一瞬、範宴は美しい仏を見たのではないかと錯覚した。


3) 都の吉水にある法然上人の
草庵の廊下にいた《若い僧》のひとりが抜けるように白色の、鼻筋のとおった美しい僧である。


4) 法然坊源空の高弟、ひときわ凛々しい顔立ちの《安楽坊遵西》

絵にかいたような整った顔だちと、とびぬけた美声の持ち主である。

女のような長いまつ毛。

翳ったようなまつ毛の奥の黒い目と、薄紅色の頬と、やわらかそうな下唇のふくらみ、

その白い頬にかすかな血の色がさして、うっすらと紅をはいたようになっている..,,.なんと美しい....。

蓮の花がひらくように美しい笑顔を見せて去った。



まるで紫式部の『源氏物語』。

女性読者を夢中にさせた《光源氏》のことかと思わせるほど、官能をくすぐる美しい人物描写です。



若い僧たちが妖艶かつ、耽美的描写で登場し、読者が中・高校生男子であれば自らの仏塔が屹立するような著者のサービス精神あふれる性描写をところどころに組み込み、漢字がならぶ仏教界の話をしっかり解説している構成が素人にはとても親しみやすく読了できるのです。


読者の心理を十分、把握している
著者の手練手管に長けた筆致の妙である。


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# by abdulmajid0922 | 2018-01-01 10:45 | Comments(0)
警視庁捜査一課長宮田次郎は黒革の手帳を田川信一警部補に差し入れした。

このことといい、本書帯のコピーといい、松本清張を否が応でも匂わせる商い上手な手法が読者をニンマリさせる。

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本書は二年前に発生した、
『中野駅前 居酒屋強盗殺人事件』


この事件の現場から読者は、
昔、昔、中野駅の近くの小さい料理屋「椿屋」で、五千円の札束をわしづかみにしてさっさと店から出た詩人の大谷とその妻、さっちゃんの暮らしを描いた小説『ヴィヨンの妻』を思い出すのです。


『ヴィヨンの妻』より

.......
十日、二十日とお店にかよっているうちに、私には、椿屋にお酒を飲みに来ているお客さんがひとり残らず犯罪人ばかりだという事に、気がついてまいりました。......

お店のお客さんばかりでなく、路を歩いている人みなが、何か必ずうしろ暗い罪をかくしているように思われて来ました。.......
(青空文庫)


事件が発生した
中野駅北口界隈の中野5丁目、特に中野ブロードウェイ〜昭和新道商店街のあたりは今日でも、小説『ヴィヨンの妻』に描かれた詩人の妻、さっちゃんの印象と似たような一帯なのです。


露出した長財布をジーンズの尻ポケットに差し込んで平気な顔をして闊歩するわけにはいかない地帯なのです。


本書で、事件現場の雰囲気を警視庁捜査一課田川信一警部補に池本功治警部補が言うのです。

.....
「香港かバンコクの裏街って感じですね」....。


JR中野駅北口中野通りの東側のサンモール商店街~中野ブロードウェイ~昭和新道商店街の中野5丁目界隈はWebのように、Netのように狭い露地を張り巡らし、そこを昼夜何万人もの人びとが輻輳するおどろおどろしい地帯、デカダンスがまかり通るようなまさに人外魔境なのです。

ここの毒々しい世界に慣れると、もうどなたでも離れることはできないだろう。

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ある晴れた日に東京警察病院あたりの早稲田通りで夕方、トウカエデの街路樹の下を自転車に乗って野方署へ戻る複数の清潔な感じがする、男女の若いお巡りさんたちの姿を見ることがあります。


人は昼と夜とでは簡単に思想が変わることがありますから、読者の見た若いお巡りさんたちは本書に描かれた「スナック えんじぇる」でたかる、酒を強奪する、脅す、かつて見たハリウッド映画のワンシーンを披露した野方署生活安全課の警察官だったのだろうか。


茶番を空想する内に疑問がわいた。

1
「スナック えんじぇる」のチーママ奈津代は中野ブロードウェイの入口近くを左に曲がるところで、何かを捨てて逃走した男を見ている。

奈津代はさらに、男の後を追って横丁を抜け中野通りへ出ているから、中野駅前に向いて駐車していたベンツの後部座席とリアウインドウの間に載っていた日焼け防止用の腕カバーをはっきり見定めている。

車のナンバープレートにはたしか練馬だったという。

つまり、中野通りに路駐していたベンツをこれほどの近くで見て肝心な車のナンバーには感心がなかったような田川への奈津代の答弁には現実味がない。

駅前の中野通りでは深夜であろうが、あたりが暗いとは考えにくい場所です。

どんな素人でも、車内のようすより車のナンバーを覚えておこうという気持ちの方が強くて自然であろう。

あまつさえ女性運転手と思われるベンツはゆっくりと走り出したのです。


2
......
東証地下の車寄せに運転手が待機していた。

滝沢がレクサスの助手席ドアに手をかけた.....

執拗な鶴田記者の質問を避けて会長を急いで車に乗せなければならないとき、待機していた車に手をかけるところは助手席ではなく、まず即後部座席を開けて会長を乗せるのが自然であろう。


3
警視庁の田川警部補が飛び切り上等な牛肉を買って自宅ですき焼き会をする。
そして鶴田記者を自宅に招待するという、田川がいくらなんでもこれほど突飛で軽率な行動とる男とは思えないのですが......。

虚構の世界である小説とはいえ、
自宅に招くということが受け入れらないのです。

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哲学堂公園に向かう中野通りを跨ぐ新井5丁目の歩道橋の上からは西武新宿線を往来する電車に、のどかな踏み切りの警報音を入れて動画を撮影することができます。

3月末であれば見事に咲いたソメイヨシノの並木越しに撮影することができるVista pointなのです。


その線路の北方向で、田川信一警部補が暮らしているという.....。


続編を読むことにする。


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# by abdulmajid0922 | 2017-12-20 14:39 | Comments(0)

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森鷗外『渋江抽斎』風の歴史小説技法を取り入れた本書は、下巻にその趣が著しい。

豊臣秀吉に仕えた前野将右衛門という、妻以外の美しい女性に襲われ、それと別に襲われ未遂もあった、死ぬまで女性に恵まれた男が主人公。

本小説の擱筆後、現地木曽川の川原に腰を下ろし本書に登場した前野将右衛門、その妻あゆ、蜂須賀小六、お市の方、吉乃......を偲ばれたという著者を思う読者は時空を超えて清冽な木曽川と深い河ガンジス川とが重なるのです。

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主人公、将右衛門の一生は最後の最後まで女性の香りが失せることのない殿方が羨む素敵な人生でした。


妻「あゆ」には生涯にわたって常に愛し続けるよう躾けられつつ、思わずゴクリと唾を飲むほどの美貌の「吉乃」に恋をする。


春の小川のほとりで草花を摘みながらあかるく笑っていた信長さまのお妹、少女の頃からの「お市さま」を存じ上げ、

孫六兼元の刀に♩会いたさ、見たさに怖さを忘れ「吉乃」に似た美女「お栄」に会ってしまう。


死を前にして、闇の遠くから聞こえてきた大変な美女であります「鶴」の可憐な唇から流れる闇笛の音に包まれるようにして生涯を終えた男。


♩うさぎ追いし伊木山
♩こぶな釣りし木曽川
思い出すは「あゆ」「吉乃」「お栄」.....
多くのものに支えられて生きた幸福な男、オペラ・ブッファにできそうな
将右衛門の物語です。


父親の墓と並んで、雑司ヶ谷墓地に眠る永井荷風は織田信長の母の実家、土田家の子孫であったと、大変に興味深い事実を知ることができました。


『男の一生』 遠藤周作 著 
1991年 日本経済新聞社


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# by abdulmajid0922 | 2017-11-14 14:56 | Comments(0)

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『鈴木大拙 没後40年』松ヶ岡文庫 編 より

「生き仏との出会い」と題して、 出光佐三は一九六六年(昭和四十一年)七月、聖路加国際病院にて亡くなられた鈴木大拙先生との出会いを回顧されました。


生涯にわたって仙厓を愛した出光佐三。

鈴木大拙の死の十五年前のこと、
ニューヨークでの『仙厓和尚の展覧会』を開催した際に、すでに鈴木大拙はニューヨークに滞在されており、展覧会のパンフレットをご覧になり、出光佐三へ手紙を書いたのがお二人の関係の始まりでした。


これには仙厓和尚の手引きがあったと、出光佐三は感じたと書いています。


出光佐三の非常な恩人、飛田重太郎が軽井沢の別荘で重病であられる。

その別荘の隣りは鈴木大拙先生の別荘であり先生の血圧が上がり危険な状態でした。

佐三は、早速鈴木大拙先生の別荘へ伺いました。

椅子に座っておられた鈴木大拙先生の膝下に座り、先生を仰ぎ見たとき「ははア、これが仏さまだ、これが阿弥陀さまだ」と思ったのです。
.....
全くそのままの姿が、生きた仏さまでした。....,.

それは一生忘れられない立派なお顔でした。
......

「生き仏との出会い」出光佐三
初出:『大法輪』三十三巻九十号
          [昭和四十一年年九月]

KAWADE道の手帖
『鈴木大拙 没後40年』
松ヶ岡文庫 編   河出書房新社 2006年

『生き仏との出会い』が掲載されています本書は出光昭介氏の「巻頭言」ではじまり鈴木大拙、明治三年(一ハ七〇年)出生から、昭和四十一年(一九六六年)生涯を終えられるまでの業績が記されています。

一九六二年(昭和三十七年)、
ニコニコ笑顔の鈴木大拙(九十二歳)と出光佐三(七十七歳)が東慶寺境内を歩く貴重な写真が掲載されています。

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画:仙厓義梵筆『双鶴画賛』出光美術館


佐三の死の一か月ほど前のことでした。

戦後の苦しい時に手放した『双鶴画賛』が古美術商により再び出光佐三の手元に巡ってまいりました。


出光佐三(1885-1981)
鈴木大拙(1870-1966)


お二人とも、神奈川県鎌倉市 
鈴木大拙が住まいとしておられた松ヶ岡文庫がある松岡山東慶寺の墓地に眠っておられます。
(合掌)


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# by abdulmajid0922 | 2017-11-01 10:34 | Comments(0)
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『鈴木大拙 没後40年』
松ヶ岡文庫編
河出書房新社 2006年 より


鈴木大拙を語るに、本書では4人の方々がポール・ケーラスに触れています。


1「巻頭言」出光昭介
.....米国ではポール・ケーラス博士が宗演の話を聞き「ゴスペル・オブ・ブッダ」を書く。

大拙は送られて来た本の翻訳をする。

その後ケーラスが老子の「道徳経」を英訳するのを手伝いに宗演老師の勧めで渡米する。



2「無限への憧れ 」構成:安藤礼二
.....ケーラスがその地で模索していたのは、なによりも宗教と科学の調和であった。

鈴木大拙が語る「私の履歴書」
......へゲラー氏というのは.....ポール・ケーラスを出版社の編集長に招き...仏教は科学的な教えであるというので万国宗教会議の時に宗演老師などをラサールに招待したのが縁で、老師の紹介で、わしはオープン・コート出版社に働くことに....。


3「若き大拙と科学問題」金子 務
西欧の個人主義と科学

......大拙は初めて、明治三〇年、世紀末の機械文明国アメリカに渡り、イリノイ州ラサールのポール・ケーラスが関係するオープン・コート出版社に勤めながら、翻訳や仏教の普及、新知識の吸収に務めた。


4 「鈴木大拙論」増谷文雄
国際関係のはじまり

.....シカゴにポール・ケーラスというドイツ出身のイギリス人が住んでおりました。

.....老子に興味を持ったようで「老子道徳経」の翻訳をまずやりかかった。
それからそのつぎは、The Gospel of Buddha 「仏陀の福音」を書きました。

これはひじょうに広く読まれました。
日本に翻訳が二つありますが、その一つは、鈴木大拙その人の翻訳であります。

......
ポール・ケーラスと一緒にオープン・コートの仕事をずっとつづけられること、十一年に及びます。



ポール・ケーラスを語らぬわけにはいかないほど、鈴木大拙とは切っても切れぬ関係であったことが理解できます。


ポール・ケーラスといえば、
"Karma : a story of Early Buddhism" 
1894年(明治27年) 雑誌「オープン・コート」に発表。42歳


ポール・ケーラスが発表した同年にトルストイ伯爵がこれをロシア語に翻訳して『カルマ』の作品名でロシア国内に発表しました。


"Karma : a story of Early Buddhism" を、
1898年(明治31年) 28歳の鈴木大拙が邦訳したのが『因果の小車』。

この中に“THE SPIDER WEB”(蜘蛛の糸)の話があるのです。
("Karma : a story of Early Buddhism" 
インターネットで確認することが出来ます)


1918年(大正7年)
27歳の芥川龍之介は『蜘蛛の糸』と題して発表しました。


この仏教小話『蜘蛛の糸』はロシアの一部の地方の民話にあり取材先のお婆さんから聞いた話だとして、すでにドストエフスキーは
1880年に刊行された『カラマーゾフの兄弟』の中でグルーシェンカのたとえ話「ねぎ」に書かれています。



地球のどこで暮らしていても、人種、宗教を超越して、
人間が心を動かし、感動することは一緒なのだとつくづく思う次第であります。


Paul Carus
ポール・ケーラス(1852-1919)

D.T.Suzuki
鈴木大拙(1870-1966)


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# by abdulmajid0922 | 2017-10-26 21:58 | Comments(0)


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安政六年(1859年) アメリカでは、ペンシルヴァニア州で本格的な石油採掘が行われた。

それにより「鯨油」を燃やしてランプを灯していた時代から「灯油」を燃やしてランプを灯すというアメリカ人の暮らしが変わったことが本書で描かれており、「鯨油」という言葉から昔の昔に読んだハーマン・メルヴィル著『白鯨』(1852年)を思い出し、痛快な気持ちで読み進むことができました。

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鐡造は腹をくくって「四千万円」と言った。

〈読書は、ここでページをめくります

次のページの第一行

読者にえっと言わせるこの技法は、
著者の捧腹絶倒作品 『幸福な生活』で一度味わいましたので、尚更滑稽でした。〉

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《日章丸》
日章丸はインド洋からアラビア海に向けて北上していた。

鐡造の檄文を読み終えた後、新田船長に
大塚一等航海士が言った。

「船長、一言、申し上げたいことがあります」
という下りがあります。

一等航海士が船長にはっきり物申す姿勢はハーマン・メルヴィル著『白鯨』に登場するスターバック一等航海士をふと思い出した。


トランプ大統領はイランへさらに制裁をかけるとTVニュースが報道する今日です。

本書はイランとアメリカとの不仲の原因がはっきり描かれており、
イランがなぜ日本に好意的なのか、よくわかり、とても勉強になりました。


ただの痛快娯楽小説じゃないことに感動し、インターネットで仙厓《双鶴画賛》を凝視し、ほのぼのと幸せな気持ちに浸っております。



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# by abdulmajid0922 | 2017-10-19 10:07 | Comments(0)
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安定感のある水差しに均衡のとれた配置で躍動する葉と薫り立つような八重咲きのキョウチクトウの花が生けられている。

エミール・ゾラの小説『生きる歓び』
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《夾竹桃と本のある静物》拡大

(ÉmileZola La joie de vivre)を卓の端にわざわざ不安定に配置したゴッホの心理を想像する観覧者の頭の中には勝手な物語が生まれてくるのです。

《Oleanders》
《Still life:Vase with Oleanders and Book s》Vincent Willem van Gogh
《ひまわり》の連作の前に描かれた1888年8月アルルでの作品です。

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北海道立近代美術館前庭にて、酒樽に設えた夾竹桃に八重咲きの桃のような花が咲いています。

キョウチクトウ/夾竹桃
キョウチクトウ科・キョウチクトウ属

学名/Nerium oleander var. indicum

和名/西洋夾竹桃

原産地/地中海沿岸〜インド〜中国南部

花言葉/用心、油断しない......

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日本初公開《夾竹桃と本のある静物》

1888年5月にアルルの黄色い家に住み始めたゴッホから弟テオへの手紙〜

「....ぼくはまた、門の前に樽植えにして夾竹桃を二本、植えようと思っている」(書簡540/763)
(図録より)

本展覧会の関係者の意気込みが十分に伝わる素敵な演出です。


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日本初公開
フィンセント・ファン・ゴッホ
《夾竹桃と本のある静物》1888年
油彩/カンヴァス 60.3×73.7cm
メトロポリタン美術館蔵
©The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY



『Van Gogh & Japan
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』

北海道立近代美術館にて公開中〜10/15/2017迄



夾竹桃の花を映画の名作の中で見ることができます。

・フランシス・フォード・コッポラの
『The Godfather』1972年 より

三男マイケルがシチリアの山の上の村、コルレオーネを訪れた時、ふと出会ったアポローニアと ♪目と目で通じ合うそうゆう仲になった場面での周りは夾竹桃の花がいっぱい咲いているのです。

・ベルナルド・ベルトルッチの
『1900年』1976年 より

ヴィットリオ・ストラーロの息を呑む美しいポプラ並木のカメラワークから始まるこの映画では、バート・ランカスターの登場シーンで邸の庭にヴァン・ゴッホが好んだ鉢植えのピンク色の花が咲いた夾竹桃が幾つも配置されています。

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# by abdulmajid0922 | 2017-08-31 12:26 | Comments(0)
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オリジナルは江戸の浮世絵師、
渓斎英泉《雲龍打掛の花魁》
大判錦絵竪二枚続 73.1cm×25.8cm
千葉市美術館

雑誌「パリ・イリュストレ」1886年5月「日本特集 45号・46号 」の
表紙に掲載された浮世絵を見て、ゴッホはグリッドを使い拡大して仕上げました。
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19世紀フランスにおいて、娼婦はしばしば鶴や蛙と呼ばれました。

ゴッホは偶然ではなく、その意味を理解して描いています。

花魁の周りに描かれた動植物はすべて他の浮世絵からの借用です。(Google Arts & Culture)


『Van Gogh & Japan
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』

展覧会場では、ゴッホが引用した丹頂と蛙とが描かれているオリジナルを展示しています。

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(Wikipedia)

《タンギー爺さん》
Le Pere Tanguy 1887年
油彩/カンヴァス 92cm×75cm
ロダン美術館

《花魁(渓斎英泉による)》が背景の右に描かれています。

『Van Gogh & Japan
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』

展覧会場では、奥山儀八郎の複製
『ゴッホ作 《タンギー爺さん》による版画』1952年
が展示されています。

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『Van Gogh & Japan
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』
北海道立近代美術館〜2017年10月15日迄

展覧会場は、
青い上着を点描技法で描き上げた 《画家としての自画像》1887年から始まり、
次に並ぶ作品は観覧者にはサプライズ企画です.......。

《ポプラ林の中の二人》1890年で終わる素晴らしい展覧会です。




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# by abdulmajid0922 | 2017-08-26 11:40 | Comments(0)
録音テープ発見者の筆による、本書の発刊に至るメイキングを披露した「あとがき」がいい。

発見者が平岡家に宛てた録音テープの内容を公にすることの許可を乞う、思いっきり歯の浮くような美辞麗句を連ねたファンレターが圧巻である。


業界のプロフェッショナルである発見者の超絶技巧の熱い、熱い情を込めた思いに平岡家の遺族は胸を打たれたのであろう。

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TBS ヴィンテージ クラシックス 編
講談社


果たして、
録音テープに残されていた対談の三島由紀夫の肉声が活字になり、表紙には三島さんの精悍な面持ちの写真を用いて立派な単行本として出版された。


発見者の達成感に満ち溢れた北叟笑むようすが目に浮かぶ。


社内ミッションの任務遂行中にこの録音テープを発見したときの彼の雀躍りした姿を読者は想像に難くない。

業界のプロフェッショナルである発見者の脳裏に燦爛とひらめいたひとことを読書は想像に難くない。

「これは売れるッ!」

録音テープの対談を活字にしただけでは書店に並べたとき見た目の商品としては弱い。

検討した結果、
対談の内容を考慮して『太陽と鉄』を付録につけてページを増やすとこの定価がとれる。


買う方も、買う方だよと

泉下の三島由紀夫は例の如く呵呵大笑しておられよう。


本書の商品化の実現に至った発見者はさぞかし呵呵大笑しておられよう。


本書のあとがきに、三島家、三島家とあるが頭の中で平岡家と修正して読了せし。


『癩王のテラス』を引用すれば、

三島由紀夫の肉体は滅びても、三島由紀夫の精神こそずっと商品となり永遠なのだ。青春こそ不死なのだ。



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# by abdulmajid0922 | 2017-08-17 10:31 | Comments(0)
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近藤博重 《リスボン郊外》
油彩/カンヴァス 45cm×53cm
設置場所:札幌医科大学附属病院

風の音と潮騒が聞こえそうで、
アニメ映画のワンカットを見るようです。

空と海の神経を張り詰める強烈な青さが観覧者の心にぐっと突き刺さる。

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空より、海の青さの描き方がとても複雑に色を重ねていることがよくわかります。

襟裳岬でもない、積丹半島でもない、
遠い遠いポルトガルのリスボンの海岸を描いたこの異国情緒あふれる風景画は見る者に心地よい夢を見させてくれる作品です。
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# by abdulmajid0922 | 2017-08-02 11:15 | Comments(0)
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《Berchtesgaden・
SanktBartholomä》
《聖バルトロメ・ケーニッヒゼー》 佐々木幸雄 筆
油彩/カンヴァス 65×31cm

南ドイツ バイエルン州 ベルヒテスガーデン国立公園に屹立する Watzmann ヴァッツマン山と Königssee ケーニヒス湖(王の湖)に浮かんでいるような構図の赤い屋根の聖バルトロメ僧院。


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絵本の中に入ったようなドイツ・アルペン街道の一部です。

観光客の大勢訪れていることがわかります。

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《Berchtesgaden・
SanktBartholomä》
ドイツ語のヒゲ文字で作品名がカンヴァスの下部に記しています。

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落款 佐々木幸雄先生 雅号 「労多産翁」

第17回 札幌医科大学美術部
イリス会OBと仲間展
さいとうギャラリー
2017年7月4日〜7月9日

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# by abdulmajid0922 | 2017-07-12 10:00 | Comments(0)
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ウィーン自然史博物館でハプスブルグ家のコレクションの中から見つけたふくろうが著者の目を釘付けにした。

兄思いの弟、著者が三十七歳からふくろうを意識して、蒐集した膨大な数の写真集。

この本は、ふくろうのデザイナーへのプレゼンになること間違いなしです。

ふくろうの意味するところは、賢者のしるし。

増殖するふくろうを見据え世界を睥睨し、皇帝を夢みる著者は、自らの強い意志で日常的なストレスを解放していたのではないか。

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ページをめくるうち次第に著者のふくろうへの執着、気迫が伝わり魔界に引き込まれる怖さを感じ、本を閉じました。

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私のマニアック読本③
『世界の街角のふくろう工芸品と装飾品』

TAKE FREE で会場に観覧者のためにご用意して下さった記念の本です。

ありがとうございます!


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近藤博重 筆
《牛豚君、溺愛されるも限りあり》
油彩/カンヴァス 50号


第17回 札幌医科大学美術部
イリス会OBと仲間展
さいとうギャラリー
2017年7月4日〜7月9日


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# by abdulmajid0922 | 2017-07-09 10:41 | Comments(0)
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文中.....
医学部では一学年違えば、雲の上と下くらいに精神的差があり、我々、最上級生はその頂点に存在することを自覚しはじめた。
.....

胸部外科和田教授と整形外科渡辺講師の話は真剣に聴いていた。
.....

7ページに亘り、和田教授による「我が国初の心臓移植」に触れ、ポルノ作家風の渡辺淳一の札幌医科大学を追われた話題をジョン・ミルトンの『失楽園』を引用して読者を楽しませるなかなかの妙技である。BRAVO!

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〈愛しき野良猫〉では14ページを割いて猫特集を組んでいます。

圧巻は
最後の章〈ふくろうに迷い込んで〉では
63ページに及び著者の蒐集した「ふくろう」のフィギュアの写真を親が我が子を自慢するようにたっぷりと掲載しているのです。

読者は途中でもう、ふくろうは辟易。

もう充分です。 

お腹いっぱいになりました。(呵呵)

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改訂 近藤博重 マニアック読本①
『マカオカジノ戦記』(裏表紙)


札幌医科大学美術部に在籍されていました著者直筆のタブローがあります。

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近藤博重 筆《牛豚君、溺愛されるも限りあり》油彩/カンヴァス 50号

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近藤博重 筆《能登にて》
油彩/カンヴァス 30号


第17回 札幌医科大学美術部
イリス会OBと仲間展
2017年7月4日〜7月9日
さいとうギャラリー


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# by abdulmajid0922 | 2017-07-07 10:56 | Comments(0)
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入り口から真正面の一気に目を惹く
幸治敏興《天上大風》
油彩/カンヴァス 60号×2

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ルネサンス期のトンドを髣髴する円形の作品は、
佐々木 幸雄 《花の宴会》
油彩/φ28cm
特に蝶々の写実が、ため息のでるほど見事に緻密なのです。

円形に色彩の豊かさと精緻な蝶のモチーフは、並河靖之(1845-1927)の有線七宝の作品が蘇ります。


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ポスターに使用された
千葉 靖男 《秋の賑わい》
油彩/カンヴァス 15号


第17回 札幌医科大学美術部
イリス会OBと仲間展
2017年7月4日〜7月9日
さいとうギャラリー





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# by abdulmajid0922 | 2017-07-06 11:42 | Comments(0)