谷崎潤一郎 の巻
2014年 09月 06日
谷崎潤一郎
(1886年明治19年
東京市日本橋区蛎殻町2-14
現東京都中央区日本橋人形町1-7に生まれる〜
1965年昭和40年 神奈川県湯河原町の自宅 「湘碧山房」で亡くなりました。 享年79)
「陰翳礼賛」
In Praise of Shadows
英訳:ドナルド・キーンさんのフレンドだったエドワード・サイデンステッカーさんです。
昭和8年12月号〜9年1月号の
「経済往来」日本評論社の月刊総合雑誌に掲載されました
随筆です。
「陰翳禮讃」創元社より
厠(かわや)のいろいろ
○
....大和の上市の町で或る饂飩屋(うどんや)へ這入ったときのことである。...
*落語を聞いているようで笑いを抑えられません。
○
....,便所の匂ひには神經(しんけい)を鎭靜(ちんせい)させる効用があるのではないかと思ふ。
便所が瞑想に適する場所であることは、人のよく知る通りであるが、近頃の水洗式の便所では、
どうもそれが思ふやうに行かない。.....
○
小便所は、朝顔へ杉の葉を詰めたのが最も雅味があるけれども、
あれもどうかと思ふのは、
冬だと夥しい湯氣が立つのである。
画像:蕎麦屋さんの玄関先です。
○
.....支那で天津の英國人のホテルへ泊まった時、食堂のボーイに
「ホエア・イズ・イト・レツト・ルーム?」と小聲(こごえ)できいたら「W・C?」と大きな聲で聞き返されたのには面食つた....
画像:蕎麦屋さんの玄関先です。
傘立ては、 取り替えられました。
オーナーの気持ちを想像すると、こりゃまた、落語になりまする。
未読の方は是非、読まれることをお勧めします。
創元選書
陰翳禮讃
谷崎潤一郎
奥付
昭和十四年六月三日
初 版發行
昭和二十四年十二月二十日
十二版發行
札幌市中央図書館蔵
「幼少時代」
に登場する父、倉五郎の口から出る言葉は、今では少なくなりました東京下町のべらんめえ調です。
芝居か落語でしか聞く事のない
言葉遣いになりました。
谷崎潤一郎新聞
芦屋市谷崎潤一郎記念館 発行
夏の常設展
「谷崎潤一郎 人と作品」
2014 7/5(土)ー9/7(日)
*特設コーナー
文豪•谷崎と三人の妻
秋の特別展
「細雪」
9/13(土)ー12/7(日)
谷崎を湯河原で看取った松子夫人です。
松子夫人とは、
「細雪」の四姉妹の中で最も美しく、孔雀が羽根を広げたような華やかな美貌を持つ次女、幸子のモデルです。
今は消えたと聞きますが、
綺麗な芦屋言葉がふんだんに会話から出て来ます。
会話が流れるメロディーのように聞こえる小説です。
未読の方は、是非ご一読あれ。
あの太平洋戦争中によくぞ、自分の意志を貫き、デリシャスな小説を書き上げた谷崎に「Bravo!」と言いたい。
「細雪」
THE Makioka Sisters
英語翻訳者:エドワード・サイデンステッカーです。
谷崎潤一郎記念館展示室
兵庫県芦屋市伊勢町12番15号