カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

森鷗外・夏目漱石/箒とはたき の巻

*夏目漱石「吾輩は猫である」より

《細君は単に掃除のために掃除をしているからである。》


《十》

「あなた、もう七時ですよ」と襖越しに細君が声を掛けた。

.......細君は、遅くなっても知りませんよと云う姿勢で箒とはたきを担いで書斎の方へ行ってしまった。

やがてぱたぱた書斎中を叩き散らす音がするのは例によって例のごとき掃除を始めたのである。

一体掃除の目的は運動のためか、遊戯のためか、掃除の役目を帯びぬ吾輩の関知するところでないから、知らん顔をしていれば差し支えないようなものの、ここの細君の掃除法のごときに至ってはすこぶる無意義のものと云わざるを得ない。

何が無意義であるかと云うと、この細君は単に掃除のために掃除をしているからである。

はたきを一通り障子へかけて、箒を一応畳の上へ滑らせる。

それで掃除は完成した者と解釈している。

掃除の源因及び結果に至っては微塵
の責任だに背負っておらん。

かるが故に奇麗な所は毎日奇麗だが、ごみのある所、ほこりの積っている所はいつでもごみが溜ってほこりが積っている。

告朔の餼羊と云う故事もある事だから、これでもやらんよりはましかも知れない。

しかしやっても別段主人のためにはならない。

ならないところを毎日毎日御苦労にもやるところが細君のえらいところである。

細君と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくって頑として結びつけられているにもかかわらず、掃除の実に至っては、妻君がいまだ生れざる以前のごとく、はたきと箒が発明せられざる昔のごとく、毫も挙っておらん。

思うにこの両者の関係は形式論理学の命題における名辞のごとくその内容のいかんにかかわらず結合せられたものであろう。 
........
(青空文庫)



「吾輩は猫である」

1905年 明治38年 1月〜
1906年 明治39年 8月迄全11回に亘り俳句雑誌「ホトトギス」に連載されました。
夏目漱石が38歳の時の作品です。

e0322201_11113222.jpg

画像:「漱石山房」記念館 完成予想図
新宿区早稲田南町7番地


*森鷗外「あそび」より

《塵を取るためとは思わずに、はたくためにはたくのである。》



木村は官吏である。 

ある日いつもの通りに、午前六時に目を醒ました。夏の初めである。
.,,,.,,
木村は座布団の側にある日出新聞を取り上げて、空虚にしてある机の上に広げて、七面の処を開ける。

文芸欄のある処である。 

朝日の灰の翻れるのを、机の向うへ吹き落しながら読む。

顔はやはり晴々としている。 

唐紙のあっちからは、はたきと箒との音が劇しく聞える。

女中が急いで寝間を掃除しているのである。

はたきの音が殊に劇しいので、木村は度々小言を言ったが、一日位直っても、また元の通りになる。

はたきに附けてある紙ではたかずに、柄の先きではたくのである。

木村はこれを「本能的掃除」と名づけた。

鳩の卵を抱いているとき、卵と白墨の角を刓したのと取り換えて置くと、やはりその白墨を抱いている。

目的は余所になって、手段だけが実行せられる。

塵を取るためとは思わずに、はたくためにはたくのである。 

尤もこの女中は、本能的掃除をしても、「舌の戦ぎ」をしても、活溌で間に合うので、木村は満足している。

舌の戦ぎというのは、ロオマンチック時代のある小説家の云った事で、女中が主人の出た迹で、近所をしゃべり廻るのを謂うのである。 
(青空文庫)


「あそび」

1910年 明治43年 5月に創刊した文藝雑誌「三田文學」の同年8月号に発表されました。
(編輯兼発行人:永井荘吉(荷風))

森鷗外が48歳の時の作品です。

e0322201_11113398.jpg

画像:「文京区立 森鷗外記念館」
東京都文京区千駄木1丁目23-4



[PR]
by abdulmajid0922 | 2016-10-24 11:02 | Comments(0)