思うままに


by abdulmajid0922
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劈頭第一/ 森鷗外・夏目漱石 の巻

森鷗外と夏目漱石の小説から「劈頭第一 へきとうだいいち」の言葉を学ぶ



森鷗外(50歳の時の作品)《かのように》

.*五条秀麿と綾小路との会話....

......
「綾小路さんがいらっしゃいました」と、雪は籠の中の小鳥が人を見るように、くりくりした目の瞳を秀麿の顔に向けて云った。

雪は若檀那様に物を言う機会が生ずる度に、胸の中で凱歌の声が起る程、無意味に、何の欲望もなく、秀麿を崇拝しているのである。 

この時雪の締めて置いた戸を、廊下の方からあらあらしく開けて、茶の天鵞絨の服を着た、秀麿と同年位の男が、駆け込むように這入って来て、いきなり雪の肩を、太った赤い手で押えた。

「おい、雪。若檀那の顔ばかり見ていて、取次をするのを忘れては困るじゃないか。」

雪の顔は真っ赤になった。

そして逃げるように、黙って部屋を出て行った。

綾小路の方は振り返ってもみなかったのである。
 秀麿の眉間には、注意して見なくては見えない程の皺が寄ったが、それが又注意して見ても見えない程早く消えて、顔の表情は極真面目になっている。

「君つまらない笑談は、僕の所でだけはよしてくれ給え。」

「劈頭第一に小言を食わせるなんぞは驚いたね。
気持の好い天気だぜ。
君の内の親玉なんぞは、秋晴とかなんとか云うのだろう。
尤もセゾンはもう冬かも知れないが.....。」

(青空文庫)


明治45年(1912年)1月「中央公論」に掲載



夏目漱石(38歳の時の処女作)

《吾輩は猫である》

*主人と美学者迷亭先生との会話....

《一》
......
主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美学者が久し振りで主人を訪問した。

彼は座につくと劈頭第一に「画はどうかね」と口を切った。

主人は平気な顔をして
「君の忠告に従って写生を力めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。

西洋では昔しから写生を主張した結果今日のように発達したものと思われる。

さすがアンドレア・デル・サルだ」.....,.
(青空文庫)



俳句雑誌「ホトトギス」
1905年 明治38年 1月~
1906年 明治39年 8月 全11回連載


夏目漱石著
《吾輩は猫である》は現住所東京都文京区向丘2丁目 で執筆されました。

現在の「日本医科大学 橘桜会館」です。

ここは夏目漱石が住む前に森鷗外が1年間ほど住んでいた「千朶山房」です。

明治25年(1892) 鷗外はすぐ近くの現在の千駄木1丁目へ引越しをしました。

明治36年(1903年)から夏目漱石が3年間住むこととなり、後に「猫の家」と呼ばれるのです。


現在は川端康成の揮毫による
「跡居旧石漱目夏」の石碑が建立されて、「猫の家」は「森鷗外・夏目漱石住宅」博物館明治村へ移築されています。

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夏目漱石と夏目鏡子のお墓

菅虎雄揮毫の戒名: 文献院古道漱石居士
圓明院静操浄鏡大姉

妻鏡子の発案による安楽椅子の形の墓は鈴木禎次(鏡子さんの妹の夫)の設計です。
(「則天去私」とは掛け離れた此の大きな墓は夫婦間のお互いを理解することがいかに難しいことなのかの現れと思われる現象です)

左手は「夏目家之墓」です。


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夏目漱石と夏目鏡子のお墓

安楽椅子の裏に彫られた
俗名: 夏目金之助 夏目キヨ


東京都豊島区南池袋4丁目
東京都立 雑司が谷霊園



森鷗外著
《かのように》は現住所 東京都文京区千駄木1丁目 で執筆されました。

「観潮樓」と鷗外自ら名付けました
現在の「文京区立 森鷗外記念館」です。



《吾輩は猫である》が執筆された場所「猫の家」(千朶山房)と
《かのように》が執筆された場所「観潮樓」。

この二軒の家は「文京区立 森鷗外記念館」脇の「観潮樓」正門前の近道になる「藪下通り」を南へ歩き日本医科大学と大学中央図書館の間のコンクリート製の階段「解剖坂」(階段の上り口の左手には解剖棟があります)を上ると5分足らずで着きます。

この二軒の家に通ずるもう一つの道があります。

「森鷗外記念館」の建つ団子坂を上った道を西へ歩き駒込高校前の交差点を左折すると9分で到着する距離でした。


森鷗外、夏目漱石の両氏は
妻より男同士の友情を重んじ大切に育て生きた男たちである。

こんな近くに住んでいたならもっともっと交際があって普通だろうと思うのだが....,.。


漱石は江戸生まれですから佐幕派、
鷗外は石見の国生まれですから攘夷派。


新しい物語を創作できそうです..。

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文京 ミューズネット マップ

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五基ある墓の奥から
1:弟 森篤次郎、鷗外の次男不律、甥のとおる之墓

2:父 森静男墓

3:森林太郎墓(中村不折の揮毫)

4:妻 森志げ子墓

5: 森家墓 弟 潤三郎、長男於莵と妻らの墓


東京都三鷹市下連雀4-18-20
黄檗宗 霊泉山禅林寺にて




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by abdulmajid0922 | 2016-11-12 13:23 | Comments(0)