『騎士団長殺し』読後感 の巻
2017年 04月 09日

〈1〉
プロローグの後、早速五ページから未成年層をぐっと書面に引きつける性描写。
思春期の読書によっての官能的な記憶は生涯に「渉」って善きにつけ悪しきにつけ、事が起こるたび脳裏に蘇る。
〈2〉
プジョー205ハッチバックで
アメリカン・ロード・ムービーよろしく主人公は妻を残し東京から北海道までドライブをします。
道中、四月に於いて北海道で老人がキノコ採りに山中に入って熊に襲われ死んだというニュースをテレビで知る主人公。
雪が融けたばかりの四月のキノコ採りは一度も聞いたことがない話しです。
作家のミスです。
〈3〉
エージェントのアドバイスからローリング・ストーンズ 1964年『Time is on my side』
俺はいつも側にいる。
おまえはいつか戻って来る。
という内容の歌を連想する主人公。
復縁をここでほのめかしている。
1972年発売の『ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ』
1980年発売のブルース・スプリングスティーン『ザ・リヴァー』
を懐かしむ主人公。
プジョーに乗っていた主人公。
二歳年上の友人の旧式ボルボのカセットデッキでエアチェックした一九八〇年代の音楽を聴き歓談する主人公。
「騎士団長」の表情がマーロン・ブランド、リー・マーヴィンに似ているという主人公。
団塊の世代が懐かしむ時代の音楽、映画、文化をふんだんに描いています。
主人公の年齢の設定は三十六歳。
ゆえに主人公の年齢には合点がいかない!
物語をヒット曲と共に進行する手法は、田中康夫著 1980年『なんとなく、クリスタル』で読者はすでに経験済みである。
〈4〉
東北地方の名前も知らない小さな町のファミリー・レストランでの描写は1960年代カリフォルニアのとあるダイナーを思わせ、昔の翻訳本を読んだ感覚が蘇ります。
免色の家で双眼鏡を使って秋川まりえが盗み見をされていたことを知る。
観察されていることを知って意識して楽しむ秋川まりえ。
こういうファムファタールを確かに昔映画で、もしくはTVドラマにありました。
1984年 米映画 ブライアン・デ・パルマ監督『ボディ・ダブル』を髣髴する場面が描かれてあり、洋画ファンはすぐ気が付きます。
主人公が描いた秋川まりえの三枚のデッサンについて....彼女を描くことは、表面ではなく中心に存在するものをつかまえる...というようなことを免色に説明をします。
この部分を読んで瞬時にある記憶が蘇りました。
こんなテキストがあります。
森鷗外著『花子』
1910年(明治43年)「三田文学」に掲載
「人の体も形が形として面白いのではありません。霊の鏡です。形の上に透き徹つて見える内の焔が面白いのです。」
.....ロダンは云つた。
たくさんの芸術、音楽家やその曲名を挙げ、歴史描写を挟み、
随所に顕れる昔の映画を回顧させる描写。
オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』をも思い浮かべてしまい、
懐かしく、懐かしく、沸き起こる記憶を蘇らせながら楽しく、楽しく読み終えました。
読後感は【独創性に欠ける】です。
読者が連想することを承知して、著者自ら『レイダース』と書き込み言い訳をしています。
地下通路は江戸川乱歩『孤島の鬼』を髣髴する。
1980年 田中康夫著『なんとなくクリスタル』のサントラ盤を思い出しながら
初めて読んだ著者の作品。
文学に弱い現代人に飽きられない手法として読者の好色におもねる度重なる性描写は、馬の鼻に人参をぶら下げたようで、何だか馬鹿にされているような気がします。
不愉快な技巧です。
初めて当作家の小説を読了したが、ノーベル賞を与えられないのが納得出来ました。
【独創性がない】当作家にノーベル賞の授与などありえない。