思うままに


by abdulmajid0922
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有島武郎『星座』読後感 の巻

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明治期北海道の青春群像
有島武郎と未完の『星座』
「北海道立文学館」創立50周年記念特別展    北海道150年事業

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星野純逸上京送別記念 1897年初冬
北海道大学文書館所蔵

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(部分) 画像中央が「星野純逸」、斜め右下が「有島武郎」

『星座』に「星野清逸」で登場する有島武郎と同期の札幌農学校第19期生「星野純逸」23歳の在学中に肺結核で早逝。



『星座』より
・「星野」の千歳の実家にて

......
裏庭のすぐ先を流れている千歳川の上流をすかしてみると、五町ほどの所に火影が木叢の間を見え隠れしていた。

瀬切りをして水車がかけてあって、川を登ってくる鮭がそれにすくい上げられるのだ。

孵化場の所員に指揮されてアイヌたちが今夜も夜通し作業をやっているのに違いない。
......


・平成六年まで、鮭を採るための水車「捕魚車」(通称:インディアン水車)は千歳市の東端の根志越方面にあり、孵化場は支笏湖に向かう千歳市の西端の蘭越方面にありました。

従って、本書「星野」の千歳の実家の近くにありそうな「水車」と弟、純次の通う「孵化場」との位置関係といい、

実際に見てはいない夜中のアイヌの作業風景といい、

観念的な描写で、読者はその映像を浮かべやすいようにとの著者の芸術家たる創作美学の現れであるといえる。


「園」は、
「星野」から預かった手紙を懐にしまって演武場で時計台の鐘の音を聞いた。

時刻は、

【明治三十三年五月四日の午前十一時】

その日の夕方、「園」が「星野」から託された手紙を受け取り「おぬいさん」は読みました。

手紙に記された日付は 

【一八九九年十月四日夜】

 この七ヶ月の日付のズレ、以前からその間ずっと「星野」は手紙を保管していたとはあろうはずがない。

読者の頭の中を混乱させる年号と西暦と両方を書き分けた「日付」の違いに著者の動機を探ると、答えがすぐ分かるWebサイトがありました。

〈論文〉
札幌農学校植民学と有島武郎
『星座』と千歳川アイヌのコスモス

井上勝生            HUSCAP-北海道大学

   
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..,,.,.
夜学校を出た時真暗らだと思われていた空は実際は初冬らしくこうこうと冴えわたって、無数の星が一面に光っていた。

道路の左側は林檎園になっていて、おおかた葉の散りつくした林檎の木立が、高麗垣の上にうざうざするほど枝先を空に向けて立ち連なっていた。

思いなしか、そのずっと先の方に恵庭の奇峰が夜目にもかすかに見やられるようだ。

柿江にはその景色は親しましいものだった。
..,,.,
『星座』(青空文庫)


・無数の星が空一面に光る時間帯ではいくら明治三十三年といえども、恵庭岳がこのあたりから見えるようだというのはあくまでも想像であり、遠くの景色に山々の稜線を添えた方がより絵画的な文章になり美しさが増します。

『黒百合会』の代表らしく、
一枚のタブローを見せるかのごとく風景描写が美しい観念的な文章である。




*余談

夏目漱石の「生誕地」と「終の住処」とに近いところに「有島武郎旧居跡」の案内板が新宿区原町二丁目に設置されています。


大正十二年(1922年)
四月 有島武郎は麹町の自宅とは別に創作のために原町二丁目に家を借りました。

五月 『星座』有島武郎の援助を受け、足助素一が創設した叢文閣から刊行。

六月『一房の葡萄』叢文閣から刊行。


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by abdulmajid0922 | 2018-02-12 09:59 | Comments(0)