パブロ・ピカソ『ネレトバの戦い』1969年
オフセットリトグラフ 103.5cm×50.2cm
英語版の映画広告用に製作されたポスターです。
《ゲルニカ》1937 (ソフィア王妃芸術センター、マドリード)を髣髴するキュビズム技法の作品です。
上部に見られるピカソが書き記した映画タイトルと署名入りのこの赤色で仕上げたポスターにはピカソ自身のオリジナル作品があります。
パブロ・ピカソ(1881-1973)
《サビニの女たちの略奪》1963
油彩/カンヴァス 195.3cm×131.1cm
ボストン美術館
古代ローマ創世時の伝説「サビニの女たちの略奪」がモチーフです。
1962年、キューバのミサイル危機に触発されたピカソの考えを明らかに示した作品です。
実はこの作品は過去の二人の作品の影響を受けています。
ニコラ・プッサン(1594-1665)
《サビニの女たちの掠奪》1637-38
油彩/カンヴァス 159cm×206cm
ルーヴル美術館
ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)
《サビニの女たち》1799
油彩/カンヴァス 385cm×522cm
ルーヴル美術館
【パブロ・ピカソの名言集より
〜 「優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」】
映画『ネレトバの戦い』1969年 と監督ヴェリコ・ブライーチ氏(Vejiko Bulajić 1928-) について
BITKA NA NERETVI
THE BATTLE OF NERETVA
ユーゴスラビア、西ドイツ、イタリア、アメリカ共同製作 1969年
脚本/ステヴァン・ブライーチ、ラトコ・デュロヴィッチ、ウーゴ・ピロ
英訳/アルフレッド・ヘイズ
撮影/トミスラフ・ピンター
音楽/バーナード・ハーマン、ヴラディミル・クラウス=ライテリッチ
演奏/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
監督・脚本/ヴェリコ・ブライーチ
出演/
ハーディ・クリューガー(1928-1/19/2022)、
セルゲイ・ボンダルチュク、
オーソン・ウェルズ ....
1943年1月から3月にかけて起きた枢軸国(ドイツ・イタリア・クロアチア)によるユーゴスラビア・パルチザンの掃討作戦で起きた戦いを描いた映画です。
現ヘルツェゴヴィナ=ネレトヴァ県ヤブラニツァを流れるネレトヴァ川に架かる鉄道橋を爆破したセットの橋は現在もそのままの状態で保存し、近くにはユーゴスラビア・パルチザン勝利の戦闘を記録した博物館が建設されました。
モンテネグロ出身、現クロアチアの映画監督ヴェリコ・ブライーチ氏のWW2期はレジスタンス運動家であり15歳のときユーゴスラビア・パルチザンに加入しました。
戦後、ローマのイタリア国立実験映画センターを1959年に卒業してチェーザレ・ザァッティーニの脚本で映画製作をし、
ユーゴスラビア帰国前にはフェデリコ・フェリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカの助手を務めました。
1964年ヴェリコ・ブライーチは1963年7月26日、現、北マケドニア共和国の首都スコピエ市で起きた壊滅的な地震の被害を撮影した長編ドキュメンタリー映画『Skopje 63』はカンヌ映画祭で上映され、モンテカルロ・テレビ祭のゴールデンニンフ賞(最優秀賞)と批評家賞を受賞しました。
映画祭の審査員長を通じて閉会式会場にてパブロ・ピカソは監督と出会い祝福しました。
後に監督ヴェリコ・ブライーチ氏はパリ在住のピカソの代理人に映画広告用のポスター製作の依頼を申し出たのです。
映画を観てユーゴスラビアの歴史を知ったピカソはブライーチ監督の依頼を快諾し、自由のために戦う反ファシズムの象徴として赤色のポスターに仕上げたのです。
ピカソは高額な報酬を要求せず優秀なユーゴスラビア産のワイン12本入り1ケースをリクエストし、ワイン好きのブライーチ監督はコレクションの中からダルマチア、サラエボ、マケドニア産の選りすぐりのワイン12本をピカソへ進呈したのです。
#NoMoreWar
#PeaceInUkraine Feb.24th.2022