思うままに


by abdulmajid0922
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2018年 09月 01日 ( 1 )

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本書は
河村泳静氏に遺贈されたフランク・シャーマン コレクションを調査するうちに発見した今まで語り伝えられ書き継がれてきたものとは違う、戦後日本の文化情景が書かれています。

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『なぜ日本はフジタを捨てたのか?』
藤田嗣治とフランク・シャーマン
1945〜1949
美術ジャーナリスト 富田芳和


・昭和二十年十二月三日の新聞に掲載されたフジタの談話より
戦争画を描いたフジタの頭の片隅にはさまざまな戦いの絵を描いたウジェーヌ・ドラクロワが存在していたことがわかります。


・フジタを確実にアメリカに入国させるためのフランク・シャーマンの企画で、
1947年(昭和22年)9月2日から
NY・ケネディ画廊でフジタの個展を開催しました。

それを知った、
当時アメリカ美術家協会初代会長に推されていた国吉康雄と、藤田嗣治をファシスト・フジタと呼び抗議しようとするコミュニスト、ベン・シャーンとの二人により展覧会は妨害を受けました。


2018年4月〜6月 北海道立近代美術館にて公開された、

『フランク・シャーマン コレクション  あるアメリカ人が見た戦後日本美術』

では国吉康雄とベン・シャーンの作品が展示してありました。

「えっ! 
なぜこの二人の絵がここにっ!」

観覧者は不思議な気分になります。


尚、展示品の中には、
藤田嗣治の入会を拒否した『新制作派協会』の猪熊弦一郎のNYの自宅で若き芸術家たちと寛いでいるようすをフランク・シャーマンが撮影した写真を展示してありました。


猪熊弦一郎は太平洋戦争勃発の頃から、軍部主催の戦争画展に大作を出展し、戦争画の大家として注目を集めていたのです。


藤田嗣治は自分を拒否した猪熊弦一郎らを生涯許さなかったという。

しかし彼らとも親しく交流し、作品をも蒐集したフランク・シャーマンの心情を忖度するにあたり、
不偏不党の立場を貫き、マッカーサー元帥の二人の副官のうちのひとり、
バンカー大佐がフランク・シャーマンに与えたミッションに忠実に生きた結果だったのだと思えばいいのか?.....。



・昭和十九年の東京美術学校が起こした《美校事件》美校クーデターは興味深い話です。

君代さんが
フジタの遺品を東京藝術大学に寄贈したことは泉下の画伯さぞかし驚いていることであろう。

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本書が大いに巷に流布し、
フランク・エドワード・シャーマン(Francis Edward Sherman 1917-1991)
の名が更に世に広まることを期待します。


本書を一頁、一頁めくるたびにそれから?、それから?と大いにときめき楽しく読了しました。


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by abdulmajid0922 | 2018-09-01 11:26 | Comments(0)